先進企業に学ぶ(課題別編) – 市場の変化に、21社はどう対応したか|市場が半分に縮んだ、需要が急に消えた、参入が増えた、業界の常識が合わない

ローカルグローススタジオは、『地方企業にスタートアップのような成長を』というテーマで、コンテンツ発信と支援サービスを展開しています。この記事では、実践的なビジネスノウハウを、できるだけわかりやすくお伝えしていきます。

この記事は、「先進企業に学ぶ」シリーズで取り上げた31社のうち、市場の変化に直面した21社を、変化の種類ごとに並べ直したものです。主力商品の市場が半分以下に縮んだ、災害と感染症で需要が急に消えた、ブームで人が集まりその後に引いた、業界が使えないと呼ぶものが手元にあった、自社の技術を素材の名前でしか捉えていなかった、業界の常識や制度が自社の事業を想定していなかった、業績以外の理由で続けてきた事業をやめた、という7つの問題を扱います。

どの問題も、1社だけの話ではありません。同じ変化を経験した会社を並べると、対応の仕方の共通点と、会社ごとに違った条件の両方が見えます。各章は「起きたこと」「それぞれの会社がどうしたか」「共通点と分かれ目」「自社に当てはめるなら」の順です。会社ごとの説明は、そのときの状況、下した判断、その後の結果の3段で書き、個社の記事へリンクしています。詳しい経緯と一次資料は、リンク先で読めます。

この記事の要約

市場の変化は7つに分けています。変化の速さの順に、ゆっくり縮む変化(1章)、急に動く変化(2章と3章)を先に置き、次に対応の中身(4章から6章)、最後にやめる判断(7章)を並べました。自社に近い問題の章から読めます。

起きた問題起きた会社どう越えたか
主力商品の市場が、半分以下に縮んだ(1章)鈴廣かまぼこ、マルカワみそ、久原本家、サタケ既存の商品や技術をやめず、その隣に次の商売を置いています。鈴廣かまぼこは練り製品の市場が40年で半分以下になるなかで、かまぼこを魚肉たんぱくと言い直し、届ける相手を広げました
災害と感染症で、需要が急に消えた(2章)いろどり、石屋製菓、黒川温泉、雨風太陽危機のあとに新しい仕組みを作ったのではなく、平時に作っていたものがその局面で働いています。石屋製菓は年商210億円ベースから70億円へ落ちた年に、白い恋人への依存を下げる打ち手を並べました
ブームで人が集まり、その後に引いた(3章)ヤッホーブルーイング、餃子の雪松、F VILLAGE増えた需要の理由を、自社の力だけで説明していません。ヤッホーブルーイングは、地ビールブームの崩壊の理由として業界全体の品質を挙げています
業界が「使えない」と呼んでいたものが、手元にあった(4章)飛騨産業、四万十ドラマ、甲子化学工業、浅野撚糸材料そのものは変えず、呼び名と使い道を変えて商品にしています。飛騨産業は捨てられていた節のある木材を主役にした「森のことば」シリーズを2001年に出しました
自社の技術を、素材の名前でしか捉えていなかった(5章)飛騨産業、サタケ、鈴廣かまぼこ技術を原理の言葉で言い直したことで、扱える対象が増えています。飛騨産業は曲木の技術を「内側を圧縮して固定する技術」と捉え直し、スギの硬化につなげました
業界の常識や制度が、自社の事業を想定していなかった(6章)サグリ、マイファーム、坂ノ途中制度が変わるのを待たず、実証や契約の条件を先に作っています。サグリは目視というルールが残る段階で実証を重ね、導入する自治体が先に現れました
業績以外の理由で、続けてきた事業をやめた(7章)ベアレン醸造所、タルマーリー、ファクトリエ黒字の店や17年続けた主力事業を閉じ、その理由と代償を自分から公表しています。ベアレン醸造所は売上が上位だった駅ビル内の店を、働き方を理由に閉じました

参考資料一覧

この記事は、次の個社記事から事実と発言を抜粋しています。各社の一次資料(公式サイト、取材記事、開示資料)は、それぞれの記事の参考資料一覧に載せています。

数字で見る市場の変化

会社市場や需要に起きたこと数字出典
鈴廣かまぼこ練り製品の市場規模の40年の変化100万トンから40数万トン個社記事(鈴木智博氏の説明)
マルカワみそ全国の味噌屋の数と、出荷量が減り続けた場合の見通し780社のうち730社個社記事(河崎紘徳氏のnote)
久原本家福岡県内の醤油屋の数の変化150社から107社個社記事(河邉哲司氏の発言)
飛騨産業飛騨地方の木工家具メーカーの数(1974年から2017年)76社から25社個社記事(岡田贊三氏の説明)
浅野撚糸撚糸の仕事が中国へ移った後の年商7億円から2億円個社記事(本人談)
ヤッホーブルーイング地ビールブームで増えた会社の数と、その後に撤退した数300社近くのうち100社ほど個社記事(井手直行氏の発言)
餃子の雪松無人餃子販売店の総店舗数(2020年度末から2022年度末)約131店から1,282店個社記事(帝国データバンクの調査)
餃子の雪松自社の店舗数(2023年2月から2026年9月)432店から91店個社記事(公式サイトの実測)
石屋製菓観光の需要が消えた年の年商210億円ベースから70億円個社記事(石水創氏の発言)
いろどり彩の年商(2018年度、2020年度、2024年度)2億5,500万円、約1億5,000万円、約2億6,000万円個社記事
四万十ドラマ地域の栗の生産量(昭和30年代、2013年、2017年秋)約800トン、18トン、50トン個社記事(愛媛大学の紀要論文)

数字の読み方を、先に2点断っておきます。1つは、ここに並べた業界の数字が、同じ基準で集計されたものではないことです。経営者が自分の言葉で語ったものと、個社記事が引いた統計と、公式サイトの実測が混ざっており、時点も範囲も違うため、社どうしを直接比べる材料にはなりません。2つ目は、増えた数字と減った数字を同じ表に入れていることです。減った数字には、市場が縮んだ結果と、自分の判断で減らした結果の両方が入っています。

1. 主力商品の市場が、半分以下に縮んだ

起きたこと

主力商品の市場そのものが縮んだ会社が4社あります。鈴廣かまぼこの11代目である鈴木智博氏は、練り製品の市場規模が40年前の100万トンから40数万トンへ縮小したと説明しています。マルカワみその河崎紘徳氏は、全国の味噌屋の数と出荷量の推移を自分で数えて語っています。久原本家の河邉哲司氏が家業に入った1978年、福岡県内には醤油屋が150社ありました。サタケでは、日本酒の市場が縮むなかで、2000年代に酒造用精米機からの撤退が社内で検討されています。

それぞれの会社がどうしたか

鈴廣かまぼこは、かまぼこを魚肉たんぱくと言い直しました。 1865年創業のかまぼこ屋で、10代目の鈴木博晶氏が社長に就いたのは1996年です。市場が半分以下になるなかで掲げているのが「魚肉たんぱくで世界を健やかに」というテーマで、未利用魚の活用や大学との共同研究に踏み込んでいます。鈴廣かまぼこの博晶氏は、いまの局面をこう語っています。

「今は次の転機である第4創業期に当たります。この先50年を見据えると、これまでのビジネスモデルは通用しなくなると感じています。また、成長とは何かを考えさせられる時代でもあります。常に『老舗にあって老舗にあらず』という信念で進んでいかなくてはならないと考えています」

2025年8月時点のグループ連結売上高は104億9000万円、従業員は653名です。同年9月8日に、11代目の鈴木智博氏へ社長を渡しました。

マルカワみそは、手間のかかる作り方の側へ寄せました。 1914年に麹屋として創業した福井県越前市の味噌蔵です。河崎宏氏は1992年、37歳のときに無農薬の大豆づくりを始め、2001年に北陸の味噌業界で第1号となる有機JAS認定工場の認証を取得しました。転換から認定までの9年は赤字が続いています。あわせて、いったん途絶えていた蔵付き麹菌の自家採取を復活させ、木桶での仕込みを続けました。マルカワみその専務取締役である河崎紘徳氏は、業界の先行きを数字で語っています。

「このまま味噌の出荷量が右肩下がりだと、730社は廃業する、もしくは縮小するだろう」

2020年にはYouTube「みそチャンネル」を開設し、2021年からは無料のオンライン味噌作り教室を毎月開いています。2021年9月期の売上高は3億6000万円、従業員数は35名でした。

久原本家は、醤油を原料にした業務用のたれへ移りました。 河邉哲司氏が1978年に継いだ会社は、年商約6,300万円、従業員6名の醤油屋です。久原本家の河邉氏は、入社直後の見極めをこう語っています。

「いくら頑張って醤油を売っても、これはとてもじゃないけど売上を上げられないということにぶち当たりまして。いくら頑張っても、いくら頑張っても、地元のナンバーワン、ナンバー2を、俺は絶対抜くことはできんと。そういうところからスタートしたんですよ」

入口になったのは、大学2年のときに研修を受けたまま社内でほとんど動いていなかった、たれを詰める機械でした。1980年代に業務用のOEM生産を広げ、1990年に明太子の「椒房庵」、2006年に「茅乃舎だし」を出しています。2026年2月期のグループ売上高は336億円、従業員は1,486名です。

サタケは、顧客が減る前提で、顧客を作る側に回りました。 1896年創業の食品産業機械メーカーで、国内の大型精米工場でシェア約7割を持ちます。日本酒の市場が縮むなかで検討された酒造用精米機からの撤退は実行されず、2015年に新しい精米方法の開発へ着手し、2018年度に「真吟精米」として実用化しました。2026年5月時点で、全国100蔵を超える酒蔵が採用しています。もう1つの縮小が、顧客である農家の減少でした。サタケの松本和久社長は、地域への取り組みをこう説明しています。

「農家がいて米があるわけで、農家には恩返しを続けていかなければなりません。農家の数も減少している中、農業を元気にしたい。過疎が進む東広島市豊栄町で2016年から取り組む『豊栄プロジェクト』はそうした思いで始めました」

2015年7月に農業生産法人を設立し、代表はサタケの社員が務めています。

共通点と分かれ目

4社に共通しているのは、縮んだ市場の商品や技術を捨てていないことです。鈴廣かまぼこはかまぼこを、マルカワみそは味噌を、久原本家は醤油を、サタケは精米機を残したまま、その隣に次の商売を置いています。もう1つの共通点は、市場の縮み方を経営者が自分の言葉で語れることです。ここで挙げた業界の数字は、いずれも本人の説明として記録に残っています。

分かれ目は、隣に何を置いたかです。鈴廣かまぼこが置いたのは商品の呼び方で、かまぼこを魚肉たんぱくと言い直すと、かまぼこを知らない人まで届け先に入ります。久原本家が置いたのは売り先で、同じ醤油を原料にして業務用のたれへ移りました。マルカワみそが置いたのは作り方の水準と販路で、有機と天然醸造を選び、通販と発信で顧客に直接つながっています。サタケが置いたのは顧客そのもので、農業生産法人を作りました。

私たちはターゲットと便益を5-10パターンに整理するという記事で、1つのサービスは単一の相手ではなく5〜10個の属性を内包しており、同じサービスでも顧客によって得られる価値が違うと書きました。4社を読み解くと、私たちが記事に書いた考え方と同じ考えで成果を出していることが分かります。市場が縮んだときに減っているのは、これまで買ってくれていた相手であって、自社の技術が応えられる課題ではありません。

自社に当てはめるなら

最初にやることは、自社の主力商品が置かれた市場の大きさを、10年前や20年前と比べた1つの数字にすることです。数字にすると、待つのか変えるのかの判断が、体感ではなく事実から出せます。

  • 自社の業界の事業所数や出荷額の推移を、数字で言えるか
  • 手元の技術や設備を必要とする相手が、いまの顧客の外にいないか
  • 既存事業の黒字が、次の商売を何年支えられるか

2. 災害と感染症で、需要が急に消えた

起きたこと

災害や感染症で、需要が数か月のうちに動いた会社が4社あります。いろどりの上勝町では、1981年の寒波で基幹作物のみかんが壊滅しました。石屋製菓は2020年、観光の需要の消失に直面します。黒川温泉は2016年の熊本地震で一部の旅館が長期の休業に入りました。雨風太陽の産直アプリでは、コロナ禍に注文が急に増えています。

それぞれの会社がどうしたか

いろどりは、需要が消えた側で単価を上げました。 1981年の寒波で基幹作物を失った上勝町で、営農指導員だった横石知二氏が代わりの作物を探し、1986年に山の葉を売るという着想に至りました。40年後、コロナ禍で料亭や飲食店の需要が止まります。いろどりの横石氏は、当時の落ち込みをこう語っています。

「国内で新型コロナウイルスの感染が広がった2020年3月から緊急事態宣言が出された4月、5月は、売上高が前年同月比3割程度まで落ち込みました」

彩の年商は、2018年度の2億5,500万円から2020年度に約1億5,000万円まで落ち、2024年度には約2億6,000万円へ戻りました。戻した要因として挙げられているのは、2024年4月に彩の単価を20%から25%引き上げたことと、円安によるインバウンドの需要増です。

石屋製菓は、需要が消えた年に依存を下げる打ち手を並べました。 2020年2月の段階で観光客の減少が始まり、3月は7割減、4月は9割減と続きます。石屋製菓の石水創氏は、この年をこう振り返っています。

「人生で一番つらい期間でした。売り上げは激減です。コロナ以前の年商210億円ベースから、2020年度は70億円まで落ち込みました。これは本当に大変で、工場は3か月間稼働できませんでした」

打った手は、組織を小さくすることと、不採算店舗からの撤退でした。あわせて、東京の直営店の拡張や2021年12月のドバイ出店など、白い恋人への依存を下げる打ち手が並んでいます。北海道新聞の取材で、石水氏はインバウンドの消失を契機に、土産への依存から海外で売る形への転換を進めていると語っています。

黒川温泉は、組合という続ける場所を持っていました。 2016年の熊本地震では一部の旅館が長期の休業に入り、街全体としては約1か月後のゴールデンウィークにほぼ通常の営業へ戻っています。それでも、アクセスの不便さと風評で観光客は減り、地震前の水準に近づいたのは2018年ごろでした。黒川温泉の北里有紀氏は、そのときの受け止めを語っています。

「観光業には衣食住のすべてが含まれていて、その先にはさまざまな取引先があります。もし旅館がなくなったら、5年後、10年後にこの地域の人びとの暮らしはどうなるのか。自分たちは地域経済を支えているのだと、責任を痛感しました」

1986年に始まった入湯手形は、2022年6月時点で累計およそ310万枚が売れ、2026年に40年目へ入りました。2026年7月28日の地震では、温泉街そのものに被害はなく、営業が続いていることが公式サイトで確認できます。

雨風太陽は、倉庫を持たない形で注文の急増を受けました。 高橋博之氏が東日本大震災の後にNPO法人として立ち上げ、食材の付く月刊誌「東北食べる通信」を経て、生産者が自分で発信する産直アプリ「ポケットマルシェ」へ移った会社です。商品は生産者から消費者へ直接送られ、運営会社は物流センターを持ちません。雨風太陽の高橋氏は、上場会見でこの形の効き方を説明しています。

「物流センターを持つ倉庫モデルではありませんので、コロナ禍中、(中略)我々は受注の急増に対応ができた」

ただし、コロナ禍に登録者や生産者がどれだけ増えたかを示す数字は、個社記事でも確認できていません。

共通点と分かれ目

4社に共通しているのは、災害や感染症が起きてから新しい仕組みを作ったのではないことです。黒川温泉の組合と入湯手形、石屋製菓の道内の顧客接点、雨風太陽の倉庫を持たない形、いろどりの料亭という出荷先は、どれも平時に作られていました。急な変化の局面で効いたのは、そのときに始めた施策ではありません。

分かれ目は、需要の動いた向きです。いろどりと石屋製菓と黒川温泉は消えた側で、雨風太陽は増えた側にいました。戻り方も違います。黒川温泉は元の水準に近づくまで2年かかり、いろどりは単価の改定と円安が重なって5年目に戻し、石屋製菓は依存する相手そのものを土産から海外と道内へ入れ替えています。同じ「需要が急に動いた」でも、消えた側は時間を、増えた側は処理できる量を問われています。

自社に当てはめるなら

最初にやることは、直近5年で自社の売上が最も落ちた月を1つ選び、その理由と、元の水準へ戻るまでにかかった月数を書き出すことです。

  • 需要が急に消えたときに、支えになった仕組みは何だったか
  • その仕組みは、危機の前に作られていたか、危機の後に作ったか
  • 需要が急に増えたときに、処理できる量を決めているのは何か

3. ブームで人が集まり、その後に引いた

起きたこと

自社の商品や業態に人が急に集まり、その後に引いた会社が3社あります。ヤッホーブルーイングは1997年の醸造開始から数年、地ビールブームの追い風を受けました。餃子の雪松は、コロナ禍の需要と重なって出店が加速し、同じ業態の参入も相次ぎます。F VILLAGEは2023年3月の開業で、初年度から目標を上回る来場者を集めました。

それぞれの会社がどうしたか

ヤッホーブルーイングは、業界全体の品質が自社の評判を決める場面を経験しました。 ブームの時期について、井手直行氏は「完全に天狗になっていました」と振り返っています。ブームが去った理由として挙げられているのは3つで、価格の高さと、なじみのない味と、業界全体の品質でした。ヤッホーブルーイングの井手氏は、3つ目をこう説明しています。

「一番良くなかったのが、品質が悪いという問題もありまして。当時ブームで地ビールメーカーが乱立して、その中ではまだまだビールを作る経験が本当に未熟な会社もたくさんありまして、明らかに製造工程上ちょっとミスを犯したような味のビールというのも出ていた」

300社近くできた地ビール会社のうち、100社ほどが倒産か事業撤退に至ったと語られています。20人いた社員は約半数に減り、8年連続の赤字が続きました。立て直しの起点は、7年近く開店休業だった通販サイトです。2005年から3年連続で年率30%超の成長を達成しています。

餃子の雪松は、参入が増えた市場で、増やす側に回りませんでした。 無人餃子販売店の総店舗数は、2020年度末の約131店から2022年度末には全国1,282店へ増えています。設備投資が軽い業態は、自社にとっての参入のしやすさであると同時に、他社にとっての参入のしやすさでもありました。餃子の雪松のマーケティング部長である高野内謙伍氏は、卸と加盟の申し出への対応を語っています。

「スーパーや料理店から、ウチに卸してくれないか、ウチで取り扱わせてほしい、FCやらせてくれないか、といった問い合わせが毎日のようにあるのですが、すべてお断りしています。(中略)私たちのなかでは、『伝説の餃子』なので、その考えはありません」

店舗数は2023年2月の432店から、2024年11月に219店、2026年9月時点の公式サイト掲載では91店になりました。2023年からは、既にある店舗網とイオングループの店舗に冷凍ラーメンの自動販売機を置く事業を始めています。

F VILLAGEは、開業の翌年に力を入れました。 北海道日本ハムファイターズが2023年3月に本拠地を移した、およそ32ヘクタールの街区です。野球が好きな人だけを相手にすると先細りになるという見立てから、球場ではなく街を作る設計が選ばれました。F VILLAGEの前沢賢氏は、開業後の受け止めをこう語っています。

「私たちが一番嫌だったのは”開業特需”と言われることでした。だからこそ、2年目はかなり必死に取り組んでいました」

年間の来場者は2023年がおよそ346万人、2024年が418万7,046人、2025年が459万1,357人と3年続けて増えました。2024年と2025年は、どちらも公式戦以外の来場が公式戦を上回っています。

共通点と分かれ目

3社に共通しているのは、増えた需要の理由を自社の力だけで説明していないことです。井手氏は追い風を実力と誤認したと振り返り、前沢氏は伸びている段階でも「山を登っている途中」と表現しています。餃子の雪松の急拡大も、コロナ禍の需要と、設備投資が軽い業態という条件が重なったものでした。

分かれ目は、人が引いた後に何が残ったかです。ヤッホーブルーイングに残ったのは、顧客の連絡先が残る通販という経路でした。F VILLAGEに残ったのは、公式戦以外の来場が公式戦を上回る街区です。餃子の雪松に残ったのは借りている立地で、商品が1種類の業態には、選ばれなくなったときに店舗の側で吸収する手段がありませんでした。

私たちは顧客獲得コストを下げるには「ストック>フロー」を意識しようという記事で、広告のように出稿を止めれば効果も消えるフロー型と、一度構築すれば継続的に効果を発揮するストック型を分けて考えると書きました。3社を読み解くと、私たちが記事に書いた考え方と同じ考えが表れています。ブームや話題で来た需要は、その要因がなくなれば消えます。同じ記事では、ストック型は効果が出るまで時間がかかるとも書きました。3年で400店を超える速度で出した店舗は、この意味では積み上げの側に入りません。

自社に当てはめるなら

最初にやることは、いま伸びている売上を、自社の打ち手による分と、市場の追い風による分に分けて書くことです。

  • 直近で増えた売上のうち、市場の要因はどれくらいか
  • 自社と同じ業態が、いま何社まで増えているか
  • 需要が引いたときに残るものは、顧客との関係か、借りている場所か

4. 業界が「使えない」と呼んでいたものが、手元にあった

起きたこと

業界が欠点や廃棄物と呼ぶものが、自社の手元にあった会社が4社あります。飛騨産業の工場には、節があるという理由で捨てられていた木材がありました。四万十ドラマの地域には、手の入らない栗山が残っていました。甲子化学工業は、オフィス家具の需要が減るなかで新しい素材を探していました。浅野撚糸には、指示と違う作り方をされた試作品がありました。

それぞれの会社がどうしたか

飛騨産業は、捨てられていた節材を主役にしました。 1990年代に輸入家具が急増し、飛騨産業には強い逆風になりました。飛騨地方の木工家具メーカーは、1974年には76社ありましたが2017年には25社まで減っています。全国の家具・装備品製造業の出荷額も、1990年の約3兆3,900億円から2010年には約1兆3,660億円へ落ちています。廃業も視野に入った状態で2000年に社長へ就いたのが、地元企業の経営者だった岡田贊三氏でした。飛騨産業の岡田氏は、現場での会話をこう記録しています。

「『それもわかるが、世の中自然志向ブームじゃないか。スーパーで売っている真っ直ぐなキュウリも露地で採れる曲がったキュウリも同じ味だといわれるだろ。真っ直ぐだから美味しいわけじゃないだろ。ならば木材には節があるのはあたり前だ。同じ木材なのに、なぜ節があったら家具に使えないんだ?』」

2001年に節を主役にした「森のことば」シリーズを発表し、これが起死回生の商品になりました。

四万十ドラマは、手の入らなかった栗山を条件として捉え直しました。 地域の栗の生産量は、昭和30年代のおよそ800トンから2013年に18トンまで落ちていました。四万十ドラマの畦地履正氏は、放置されていた期間をこう説明しています。

「でも、放置されていたおかげで、肥料も農薬も抜け切って、ケミカルフリーの栗山になったんです」

買い取り価格は市場価格の1.5倍で、理由として挙げられているのは、農薬を使わない栽培の手間と、高く買うことを自らの使命とする認識です。栗の生産量は2017年秋に50トンまで戻りました。

甲子化学工業は、処理費用のかかる貝殻を原材料にしました。 大阪の射出成形の会社で、従業員はパートを含めて16名です。3代目候補の南原徹也氏は、リモートワークの浸透でオフィス家具の需要が減ることと、プラスチックへの指摘が重なる状況を「たしかな逆風が吹いています」と語っています。素材開発の出発点は卵の殻でしたが、そこで一度止まりました。甲子化学工業の南原氏が、次の判断を説明しています。

「卵の殻再生プラスチックの開発には成功したものの、すでに先行商品がありました。独自性を狙うには、まだ手つかずの廃棄物がいい。『ホタテの殻はどう?』というお声が多く、ホタテ殻の状況について何も知らなかったので自分の目で直接確認しようと、北海道の猿払(さるふつ)村へ行きました」

現地で約300kgの貝殻を煮沸洗浄するところから始め、約3年で新素材が完成しました。それを使ったヘルメット「HOTAMET」は2022年12月に発表され、大阪・関西万博のCo-Design Challengeに選ばれています。

浅野撚糸は、指示と違う作り方をされた試作品を商品にしました。 2000年代に仕事が中国へ移り、年商は7億円から2億円へ落ちました。お湯に溶ける糸を使った撚糸「SUPER ZERO」の開発に着手し、三重県のおぼろタオルへ試作を依頼します。ところが、狙っていた伸縮性は出ませんでした。浅野撚糸の浅野雅己氏は、その場面をこう振り返っています。

「要するに、偶然だったんです。『間違い』から魔法のタオルが生まれました。今振り返ると、本当によく間違えてくれたと思います。もしあの時、指示通りに伸び縮みするタオルを正確に作っていたら、今のような大ヒットには絶対になっていませんでした」

浅野氏は失敗と判断して帰ろうとしており、止めたのは相手のおぼろタオルの社長でした。お湯で洗ったところ、繊維が膨らんで厚みと柔らかさが出ています。2007年6月に発売した「エアーかおる」は、2025年3月時点で累計1,900万枚規模になりました。

共通点と分かれ目

4社に共通しているのは、材料そのものを作り変えていないことです。節のある木材も、手が入らなかった栗山も、処理費用のかかる貝殻も、仕様から外れた試作品も、変えたのは呼び名と使い道でした。もう1つの共通点は、言い出した人が業界の内側で育った人ではないことです。岡田氏は家具業界の外から来た経営者で、南原氏は大手ゼネコンの出身、四万十ドラマの方針はデザイナーの梅原真氏の一喝から生まれ、浅野撚糸の発見は取引先の社長が止めたことで残りました。

分かれ目は、商品になるまでの時間です。飛騨産業は2000年の就任から翌2001年に発表しており、社内にあるものを使ったため時間がかかっていません。甲子化学工業は素材の開発に約3年、浅野撚糸は2002年頃の着手から2007年の発売まで5年かかりました。四万十ドラマは生産量を戻すのに、2013年から2017年秋までかかっています。自社の中で使い道を変えるのか、外の素材を扱えるようにするのかで、必要な時間が変わっています。

私たちはインサイトを理解する ~「本当は○○したい」をつかむ〜という記事で、業界の常識や当たり前を疑い、「なぜこの業界ではこのやり方が当たり前なのか」と問い直すことを書きました。同じ記事では、予想外の使われ方に注目することも挙げています。4社を読み解くと、私たちが記事に書いた考え方と同じ考えで成果を出していることが分かります。「なぜ節があったら家具に使えないんだ」という問いも、パイルに溶ける糸を使った試作品も、業界の当たり前の外側にありました。

自社に当てはめるなら

最初にやることは、自社の中で「使えない」「捨てるもの」「もう終わった」と呼ばれているものを、名前を付けて書き出すことです。材料、土地、試作品、設備のどれかに、別の使い道が残っていることがあります。

  • 自社が費用をかけて捨てているものは何か
  • 業界の慣習で欠点とされている性質を、価値として説明できないか
  • 仕様から外れた試作を、廃棄の前に触る時間があるか

5. 自社の技術を、素材の名前でしか捉えていなかった

起きたこと

自社の技術を、扱ってきた素材の名前で捉えていた会社が3社あります。飛騨産業の技術は、1920年の創業時に持ち込まれた「ブナ材を曲げる技術」でした。サタケの祖業は米の精米機です。鈴廣かまぼこは、かまぼこを作る会社として161年を過ごしてきました。素材の名前のままでは、扱える対象がその素材に限られます。

それぞれの会社がどうしたか

飛騨産業は、曲木の技術を圧縮の技術と言い直しました。 スギは日本の人工林面積の約4割を占めながら、軟らかすぎて家具材には不向きとされてきました。この課題に取り組む道筋を示したのが、岐阜大学の棚橋光彦教授の助言です。飛騨産業の岡田贊三氏が、その言葉を記録しています。

「『岡田社長のところには曲木の技術があるじゃないですか。あれは内側を圧縮して固定するから曲がっているのです。あの技術を表面に使えば、圧縮は可能なはずですよ』」

岡田氏は「この言葉は目からウロコでした」と続けています。2004年11月には、工場に1,000トンと200トンの圧縮プレスを導入しました。圧縮スギの「HIDA」シリーズは2005年のミラノサローネに出品されています。

サタケは、精米機の技術を選別と電気の技術へ伸ばしました。 玄米や雑穀に混ざった石や虫食い米を光で選別する色彩選別機は、対象を米から麦類、豆類、ナッツ、コーヒー豆、種子へ広げています。1980年代半ばには、電力事情の悪い東南アジア向けに小さい消費電力で起動できる精米機を開発する過程で、低始動電流の特殊モータが生まれ、後に鉄道車両にも採用されました。サタケは、自社の性格を研究開発の体制で説明しています。

「サタケは技術開発こそ会社発展の原動力と考えている技術開発型企業です。広島R&D部門だけで300名以上のエンジニアが研究開発に従事しており、現在までに3,000件以上の特許を取得しています」

精米機というカテゴリーから出ないまま、扱う対象と技術の範囲が広がっています。

鈴廣かまぼこは、強みを魚肉たんぱくを扱う技術と定義しました。 1章で見た「魚肉たんぱくで世界を健やかに」というテーマは、技術の捉え方にも及んでいます。練り方や塩を入れるタイミングといった工程を科学的に解析し、「かまぼこを科学する」という言葉で社内に導入しました。鈴廣かまぼこは、原料の見方をこう説明しています。

「魚は種類や時期によって性格が全て異なっており、それらをしっかりと活かしきることが大切です」

自社の強みを「魚肉たんぱく質を自在に加工する技術とノウハウ」と整理しており、商品名ではなく扱える素材と技術で会社を定義しています。

共通点と分かれ目

3社に共通しているのは、設備も職人も入れ替えていないことです。曲木のプレスも、選別の仕組みも、すり身を扱う工程も、以前から社内にありました。変えたのは、その技術を何と呼ぶかです。ブナを曲げられるのではなく内側を圧縮して固定できる、米を選別できるのではなく色と形と水分で選り分けられる、かまぼこを作れるのではなく魚肉のたんぱく質を加工できる、という言い直しが、扱える対象を増やしています。

分かれ目は、言い直すきっかけの出どころです。飛騨産業のきっかけは大学教授の一言で、社外から来ました。サタケのきっかけは市場の制約で、停電の多い地域向けの開発が別の技術を生んでいます。鈴廣かまぼこのきっかけは原料の減少という前提で、社内から出ています。外の助言と、市場の条件と、自社の前提のどれが起点になるかは、会社によって違います。

私たちは間違ってはいけない戦略の順番|ビジョン→事業→商品→営業→組織という記事で、事業戦略とは「誰に対して」「どんな課題を解決するのか」を定義することであり、それが商品や営業の前に来ると書きました。同じ記事では、目の前のリソースや制約から考え始めると現状維持型の戦略になるとも書いています。3社を読み解くと、私たちが記事に書いた考え方と同じ考えで成果を出していることが分かります。技術を素材の名前で持っている限り、解決できる課題もその素材の周りに限られます。

自社に当てはめるなら

最初にやることは、自社が得意な工程を、素材や商品の名前を使わずに一文で書くことです。「何を作れるか」ではなく「何ができるか」の形にすると、その技術を必要とする別の課題が見つかることがあります。

  • 自社の技術を、素材の名前を使わずに説明できるか
  • その技術で解ける課題が、いまの業界の外にないか
  • 言い直すきっかけになる相手が、大学や取引先にいるか

6. 業界の常識や制度が、自社の事業を想定していなかった

起きたこと

制度や商慣習が、自社の事業を想定していなかった会社が3社あります。サグリが扱う衛星データは、農地調査が目視で行われる前提の制度の中では使えませんでした。マイファームが向き合ったのは、農地の耕作者が農地の所有者でなければならないという農地法です。坂ノ途中が扱う農産物は、量も安定性も一般の流通が求める水準に届きませんでした。

それぞれの会社がどうしたか

サグリは、ルールが変わる前から実証を重ねました。 衛星データと機械学習で農地を解析する会社で、耕作放棄地の判定を支援する「アクタバ」が中核です。当時の農地調査は道路からの目視が前提で、衛星データの利用は想定されていませんでした。サグリの坪井俊輔氏は、その順序をこう語っています。

「日本でこの事業を始めようとした当初、農地調査は目視というルールがありました。衛星データの利活用は認められていなかったのです。けれど、それはおかしいと思ったので、現場の声をとにかく届けていこうと、衛星利用の実証例をたくさん作りました。すると、ルールがまだ変わっていないのにもかかわらず、2021年度に岐阜県下呂市が『日本の農業に必要だ』と言って導入してくれた。…そして2022年度に国のルールが変わり、衛星データを農地調査に利用できるようになりました。自分たちだけで切り開いたと言うつもりはありませんし、国も変えようと動いていたのだと思います。それでも、ルールが変わる前から取り組み、良い結果を出してきたことで、いま僕たちがダントツで走っているという自負はあります」

農林水産省が2020年度に委託した実証事業では、サグリを含む5社の解決策が比較され、報告書に目視を前提とした記載の変更が要ると書かれています。制度を1社で変えたという整理にはなりません。

マイファームは、法律の壁を避けて個人に貸す形にしました。 西辻一真氏が2007年に創業し、耕作放棄地を借りて区画に分け、個人が野菜を作れる体験農園を運営してきました。マイファームの西辻氏は、農業を始めたい人が始められない理由を段階に分けて説明しています。

「新規就農者にとって一番の壁は法律です。農地の耕作者が農地の所有者でなければならない、という農地法ですね。例えば農業希望者が100人いるとして、農地法の壁で20人くらいになる。次に、必要なものが揃わない、つまり初期投資で3から4人になる。最後に集客ノウハウの問題があって、これをクリアしないと収益としてあがらない。すると、ほとんど0人に近くなる」

最初にお金を払う相手も、農家ではなく野菜を作りたい個人でした。農園は2009年1月に79か所、2015年11月に100か所へ増えています。

坂ノ途中は、安定供給という前提のほうを外しました。 小野邦彦氏が2009年に京都で創業し、新規に就農した農家を中心に仕入れています。1軒あたりの規模は小さく、収穫量も安定しません。坂ノ途中の小野氏は、自社の位置をこう語っています。

「誰もそんな面倒くさいことしていないからでしょうね(笑)。僕らの事業は農産物流通の常識からすると成り立つはずがないものなんです」

契約の時点で価格を先に示し、欠品してもよく、作りすぎてもなるべく買うという条件を農家へ伝えています。これが可能な根拠として挙げられているのは、契約農家の多さです。誰かが不作でも別の誰かが豊作になるため、条件を出せるという説明でした。

共通点と分かれ目

3社に共通しているのは、制度や慣習が変わるのを待っていないことです。サグリは実証の実績を、マイファームは法律に触れずに済む貸し方を、坂ノ途中は農家へ出す契約の条件を、それぞれ先に作りました。もう1つの共通点は、最初の相手の選び方です。3社とも、制度の外にいる相手から始めています。

分かれ目は、手を入れた場所です。サグリが変えにいったのは判定の手段で、実証を重ねた結果、制度より先に導入する自治体が現れました。マイファームが変えたのは事業の形で、農地を借りて区画に分けることで法律と初期投資の2つの壁に同時に効いています。坂ノ途中が変えたのは取引の条件で、少量で不安定なままの農産物を引き受けています。制度そのものに向かうのか、制度を避ける形を作るのかで、必要になる時間が変わります。

私たちは地方企業やスタートアップに共通する、低リソース・ブランド無しの戦わない戦略という記事で、戦略は「戦を略す」と書き、やらないことを決めることだと書きました。同じ記事では、競合が対応していない顧客のニーズを特定することも挙げています。3社を読み解くと、私たちが記事に書いた考え方と同じ考えで成果を出していることが分かります。制度や慣習が想定していない領域は、大手が入っていない領域でもあります。

自社に当てはめるなら

最初にやることは、自社のやり方が業界の慣習や制度と合わない点を、1つ書き出すことです。書き出すと、変えにいく相手が制度なのか、自社の事業の形なのかが分かれます。

  • 自社の事業を止めているものは、法律か、業界の慣習か、取引先の条件か
  • 制度が変わるのを待たずに、実績を作れる相手がいるか
  • 慣習の外側にいる顧客から、先に始められないか

7. 業績以外の理由で、続けてきた事業をやめた

起きたこと

数字が悪いからではない理由で、続けてきた事業や店をやめた会社が3社あります。ベアレン醸造所の盛岡駅ビル内の店は、黒字で、同社の飲食店の中でも売上が上位でした。タルマーリーは2008年から17年続けたパン屋という形をやめています。ファクトリエが2022年に閉じた名古屋の店も、黒字でした。

それぞれの会社がどうしたか

ベアレン醸造所は、黒字の店を働き方を理由に閉じました。 2001年に3人で始めた盛岡のビール会社です。2019年2月17日、盛岡駅ビル内の直営店を閉じました。理由は業績ではなく、長時間営業と無休営業の体制の中で人繰りが難しくなったことです。ベアレン醸造所の嶌田洋一氏は、判断の背景をこう語っています。

「全社会議をやっても駅前店のスタッフは参加できないので、一体感を大切にしてきた社風なのにこれでいいのか?というジレンマもありました。閉店を決めたこと自体は、”働き方改革のために”という意味ではそれほど特別なことだとは思っていません。でもかなりのインパクトがあったようなので、世間にも社員にも、そしてお客様にも”そこまでやるのか!本気なんだな”というのは伝わったのかなと思います」

同じ時期の数字も公表されています。残業時間は前年比で54%減、有給休暇の消化率は2016年の53%から2018年度に85%超になり、経常利益は2016年度比で146%増と示されました。労働時間の指標と利益の指標が、同じ場所に並べて出されています。

タルマーリーは、17年続けた主力事業をやめると宣言しました。 鳥取県智頭町で、里山の空気中から採取した野生の菌でパンとビールを作ってきた店です。2023年8月に渡邉格氏が重度の糖尿病で3週間入院し、2025年春には製造を任せていたスタッフが独立して常勤スタッフがゼロになりました。タルマーリーの格氏は、転換の年をこう書いています。

「なにせ『”パン屋”をやめる』と決めたのだから…。2008年に開業してからずっと事業の主体は”パン屋”で、一生懸命に実績を積んできた。それにもかかわらず、今年からは『智頭タルマーリー発酵研究所』というコンセプトを掲げ、大きく方向転換すると宣言した。(中略)今年も無事に生き延びた。これほど喜ばしいことがあるだろうか」

4軒の空き家をカフェと宿、パン工房、ビール工房、ギャラリーに分けて使う構想です。同じ連載には、パンの販売をやめたと伝えると顧客がそのまま帰ってしまう場面や、売上が大きく減った年だったことも書かれています。

ファクトリエは、黒字の店を将来を示せないという理由で閉じました。 国内の縫製工場と直接提携し、工場が決めた価格で買い取る形を採ってきた会社です。2016年10月に開いた名古屋の店舗を、約6年後の2022年8月26日に閉じました。ファクトリエの山田敏夫氏は、その理由を自分の発信に残しています。

「名古屋のお店を8月末で閉店させていただきます。約6年間、本当にありがとうございました。(中略)なんとか名古屋店は黒字でした。それでも閉める決断をしたのは、将来のビジョンを示せなかったことに尽きます。(中略)経営者の先輩方に相談しても、『非情になれない経営者は失格』とのアドバイスばかりで、自分の未熟さと後ろ髪を引かれる思いに、考えていました」

現在のファクトリエはオンラインが中心です。提携工場は2016年の34社から、2026年8月には63社になりました。

共通点と分かれ目

3社に共通しているのは、やめた理由と代償を自分から公表していることです。ベアレン醸造所は閉じた店が黒字だったことを明かし、労働時間と利益の数字を並べました。タルマーリーは売上が減ったことと顧客が帰ってしまう場面を連載に書いています。ファクトリエは、相談した相手からのアドバイスと自分の受け止めの違いまで残しました。閉じる理由として業績を挙げた会社は、3社ともありません。

分かれ目は、やめる判断の出どころです。ベアレン醸造所の理由は人繰りと働き方で、駅ビルという立地が営業時間を決めていました。タルマーリーの理由は経営者本人の健康と人手で、事業の形そのものを変えています。ファクトリエの理由は将来を示せなかったことで、売り場を増やす方向から別の方向へ移りました。自社の外の変化を見て決めた会社と、自社の内側の事情から決めた会社に分かれています。

自社に当てはめるなら

最初にやることは、いま黒字の事業の中で、5年後も同じ形で続けられるかを説明しにくいものを1つ挙げることです。黒字であることと、続けられることは別に確かめられます。

  • 黒字の事業を、業績以外の理由で見直したことがあるか
  • やめる理由を、社内と顧客に説明できる言葉にしているか
  • やめた後に減る数字と、増える時間を並べて見ているか

本事例から見える経営とマーケティングの学び

市場の変化は会社ごとに違って見えますが、並べると3つの速さに収まります。1章のようにゆっくり縮む変化、2章のように数か月で動く変化、3章のように急に増えて引く変化です。この記事で扱った21社は、どの速さの変化でも、外から新しいものを持ち込んで越えていません。手元の材料の呼び名を変え、技術を言い直し、売り先や取引の条件を組み替えることで越えています。

同時に、どの会社も時間をかけています。マルカワみそは有機への転換から認定まで9年、その間は赤字でした。サタケは撤退が検討された酒造用精米機を、約20年後に真吟精米として実用化しています。甲子化学工業の素材開発は約3年、浅野撚糸のタオルは着手から発売まで5年でした。サグリは、制度が変わらなければ売れないという不確実さを抱えたまま実証を続けています。変化に気づいてから結果が出るまでの期間を、何年で見るかが、打てる手を決めています。

もう1つ、各章の「分かれ目」で見たとおり、同じ変化を越えた会社でも条件は違います。隣に置いたものが商品の呼び方か顧客そのものか、需要が消えた側か増えた側か、やめる理由が働き方か健康かで、答え方が変わります。そして、うまくいった判断がその後も続くとは限りません。餃子の雪松の店舗数は432店から91店になり、いろどりの彩の年商は落ちてから戻りました。自社の条件がどの会社に近いかを見てから、その会社の記事を読むと、当てはめやすくなります。個社の経緯は、各章のリンク先で読めます。

「ビジネス知の機会格差をなくす」という私たちのミッションに向けて、これからも実践的で価値ある情報を発信していきます。この記事の内容について、さらに詳しく知りたい方は、ぜひご連絡ください。