先進企業に学ぶ(課題別編) – 売上の悩みを、15社はどう解決したか|売り先がない、誰にも刺さらない、価格を決められない、知名度がない

ローカルグローススタジオは、『地方企業にスタートアップのような成長を』というテーマで、コンテンツ発信と支援サービスを展開しています。この記事では、実践的なビジネスノウハウを、できるだけわかりやすくお伝えしていきます。

この記事は、「先進企業に学ぶ」シリーズで取り上げた31社のうち、売上の場面で問題が起きた15社を、問題の種類ごとに並べ直したものです。最初の売り先が見つからない、広く売ろうとして誰にも届かない、同じ商品が売れなくなった、価格を自社で決められない、作り手に利益が残らない、商品が1種類しかない、知名度がない、という7つの問題を扱います。

どの問題も、1社だけの話ではありません。同じ問題を経験した会社を並べると、解決の仕方の共通点と、会社ごとに違った条件の両方が見えます。各章は「起きたこと」「それぞれの会社がどうしたか」「共通点と分かれ目」「自社に当てはめるなら」の順です。会社ごとの説明は、そのときの状況、下した判断、その後の結果の3段で書き、個社の記事へリンクしています。詳しい経緯と一次資料は、リンク先で読めます。

この記事の要約

売上の場面で起きた問題は7つです。事業の進む順に、売り先を探す段階(1章)、誰に売るかを決める段階(2章と3章)、価格と流通を決め直す段階(4章と5章)、商品と知名度を増やす段階(6章と7章)の順に並べています。自社に近い問題の章から読めます。

起きた問題起きた会社どう越えたか
最初の売り先が見つからず、断られ続けた(1章)ファクトリエ、いろどり、久原本家断られた事実をそこで止めず、断った相手のところへもう一度行っています。ファクトリエは99軒に断られた後の100軒目で提携先を得て、いろどりは自費で料亭に通って要件を聞き取りました
広く売ろうとするほど、商品の良さが伝わらなくなった(2章)ヤッホーブルーイング、ヘラルボニー、坂ノ途中、黒龍酒造届く相手を狭め、届かない相手を先に受け入れています。ヤッホーブルーイングは100人に1人へ深く刺さる方針を選び、黒龍酒造は生産量を半分以下に落として取引先を選び直しました
商品は変えていないのに、売れなくなった(3章)ヤッホーブルーイング、能作、雨風太陽商品ではなく、売る場所と売り方のほうを変えています。ヤッホーブルーイングは7年近く放置していた通販サイトへ移り、能作は同じ真鍮のベルに短冊を付けて風鈴にしました
問屋や卸を通していて、顧客の声も価格も自社に残らなかった(4章)玉川堂、久原本家、能作売上が落ちると分かった上で流通を短くしています。玉川堂は百貨店との取引をやめた年に売上が約30%落ち、それでも直営店を選びました
販売価格から原価を逆算する慣習で、作り手に利益が残らなかった(5章)ファクトリエ、四万十ドラマ、こゆ財団価格を決める順序を変え、比べる相手を置き換えて高い価格の根拠を作っています。四万十ドラマは栗を市場価格の1.5倍で買い、こゆ財団はライチを1粒1,000円で売りました
商品が1種類しかなく、新しい商品も出せなかった(6章)ヤッホーブルーイング、餃子の雪松、ヘラルボニー商品を増やさず、その商品のまわりの企画と、同じ商品が使われる場面を増やしています。ヘラルボニーは同じ作品を、雑貨、空間、ホテル、他社との協業へ広げました
広告費がなく、知名度もゼロだった(7章)能作、甲子化学工業、マルカワみそ止めれば消える広告ではなく、残り続ける場所と毎日の発信に投じています。能作は売上13億円の年に16億円をかけて産業観光型の新社屋を建てました

参考資料一覧

この記事は、次の個社記事から事実と発言を抜粋しています。各社の一次資料(公式サイト、取材記事、開示資料)は、それぞれの記事の参考資料一覧に載せています。

数字で見る売上の動き

会社売上や数量に起きたこと数字出典
ファクトリエ最初の提携先に行き着くまでに回った工場の数100軒目個社記事(山田氏のnote)
能作真鍮の卓上ベルが3か月で売れた数と、短冊を付けて風鈴に変えた後の同じ3か月30個から3,000個個社記事
能作能作克治氏が経営に踏み込んでからの約20年の売上1.3億円から18億円個社記事(公式リリース)
玉川堂百貨店との取引をやめて直営店に移した年の売上約30%減個社記事(玉川基行氏の発言)
黒龍酒造取引先を選び直したときの生産量1,000石程度から500石以下個社記事(本人談)
ヤッホーブルーイング通販を主軸にして立て直した後の売上の伸び3年連続で年率30%超個社記事
ヤッホーブルーイング上位10%の顧客が占める売上の割合6割以上個社記事(井手氏の発言)
四万十ドラマ栗の買い取り価格と、地域の栗の生産量の回復市場価格の1.5倍、18トンから50トン個社記事(愛媛大学の紀要論文)
こゆ財団新富ライチの1粒の価格と、ふるさと納税の寄付額1,000円、約2,000万円から19億円個社記事
久原本家初の自社ブランド「椒房庵」が黒字化するまでの期間9年個社記事(本人談)
餃子の雪松商品1種類のまま増えた店舗数と、その後の減少432店から91店個社記事(公式サイトの実測)

数字の読み方を、先に2点断っておきます。1つは、ここに並べた数字はいずれも個社記事に書かれた事実から拾ったもので、各社が売上の推移として並べて公表した数字ではありません。会社ごとに時点も範囲も違うため、社どうしを直接比べる材料にはなりません。2つ目は、増えた数字だけを並べていないことです。玉川堂の約30%減も、黒龍酒造の生産量の半減も、餃子の雪松の店舗の減少も、同じ表に入れています。意図して減らした数字と、増えた後に減った数字は、意味が違います。

1. 最初の売り先が見つからず、断られ続けた

起きたこと

3社で、最初に買ってくれる相手が見つからない期間が続きました。ファクトリエの山田敏夫氏は、国内の縫製工場と直接提携する形を考えて工場を回りましたが、断られ続けます。いろどりの横石知二氏は、山の葉を料理に添える商品として出荷しましたが、「こんなものは使えない」と返品が続きました。久原本家の河邉哲司氏は、年商約6,300万円、従業員6名の醤油屋を継ぎ、新規の宅配先を回って断られ続けています。

それぞれの会社がどうしたか

ファクトリエは、100軒目の工場と提携しました。 山田氏は20歳でフランスへ留学し、パリのGUCCI店でアルバイトをする中で日本のアパレルの国産比率の低さを知りました。帰国後に国内の縫製工場を回りますが、工場が自社の名前を出して直接販売する形は、当時の業界では一般的ではありませんでした。ファクトリエの本人の発信に、その結果が残っています。

「100軒目でお会いできたのが、HITOYOSHIさんでした」

99軒に断られた後の1軒です。買う人がいることを示せない段階で作る側に協力を求める順序であったため、実績のない時点では受け入れられにくい提案でした。提携工場は2016年に34社、2026年1月に61社、同年8月には63社になっています。

いろどりは、返品された理由を料亭へ聞きに行きました。 1981年の寒波で徳島県上勝町の基幹作物だったみかんが枯死し、代わりの作物を探していた横石氏は、1986年に山の葉を売るという着想を得ます。ところが、出荷を始めると返品が続きました。いろどりの横石氏は、その後の動き方をこう語っています。

「ところがそうではないんですよ。葉っぱが売り物になる、というのは確信したんですが、『どんな葉っぱが売り物になるのか』まではわかっていなかった。当初は『こんなものは使えない』と言われて返品だらけ。だから、どんなものだったら売れるのかを知るため、あちらこちらの料亭に自腹を切って赴いて、カウンターに張り付いて女将さんや料理長さんに質問をしたりしましたね。最初はけんもほろろに断られていたんですが、何度となく通い、話していくうちにいろいろ教えてもらえるようになりました」

10月のどの週に欲しいのか、南天の葉はどの程度の大きさが良いのかという情報を持ち帰って生産者へ伝えたことで、上勝町の葉は山に生えているものから、発注に合わせて育てる商品に変わりました。

久原本家は、断られた末に売る商品のほうを変えました。 1978年に家業へ入った河邉氏の仕事は、前掛けをして軽トラックに乗り、福岡県久山町の得意先を一軒ずつ回る醤油の宅配でした。新規の営業では、断られ続けます。

「やっぱり、いろいろとしがらみがあるわけです。人間不信になるくらい、がくぜんとしました」

当時、福岡県内には150社の醤油屋がありました。久原本家の河邉氏は、地元で最も大きい2社を抜くことはできないと見極め、醤油を原料にした業務用のたれへ移ります。入口になったのは、大学2年のときに研修を受けたまま社内でほとんど動いていなかった、たれを詰める機械でした。

共通点と分かれ目

3社に共通しているのは、断られた事実をそこで止めず、断った相手のところへもう一度行っていることです。山田氏は99軒に断られた後も工場を回り続けました。横石氏は自費で料亭のカウンターに座り、女将や料理長に質問を重ねています。河邉氏は、父に頼んだ商談で先方から息子を呼べと言われ、翌日に自分で出向いて取引が決まりました。

分かれ目は、断られた後に何を変えたかです。ファクトリエが変えたのは取引の条件で、工場が価格を決められるという形を用意しました。いろどりが変えたのは商品そのもので、季節と形と色の要件に合わせて出荷する形にしています。久原本家が変えたのは売る商品と相手で、醤油の小売から業務用のたれへ移りました。相手の言葉のどこを受け取るかで、変える場所が違っています。

私たちはインサイトを理解する ~「本当は○○したい」をつかむ〜という記事で、クレームや不満の言葉の裏にある本質を探ると書きました。3社を読み解くと、私たちが記事に書いた考え方と同じ考えが表れています。「こんなものは使えない」という返品は、それだけでは断りの言葉ですが、何がどう使えないのかを聞きに行くと、注文の要件に変わります。

自社に当てはめるなら

最初にやることは、直近で断られた取引を3件書き出し、相手が言った言葉をそのまま並べることです。言葉を残しておくと、条件の話か、商品の話か、相手が違ったのかを分けられます。

  • 断られた理由を、相手の言葉のまま記録しているか
  • 断られた後に、同じ相手へもう一度会いに行ったことがあるか
  • 変える場所が、取引の条件と商品と相手のどれか決まっているか

2. 広く売ろうとするほど、商品の良さが伝わらなくなった

起きたこと

売り先を広げるほど、商品の良さが届かなくなった会社が4社あります。ヤッホーブルーイングは地ビールブームで一度売れましたが、ブームが去ると売上が急落しました。ヘラルボニーは、知的障害のある作家の作品を扱う事業が福祉の文脈で語られ、応援として買われる状態に直面します。坂ノ途中が扱う農産物は、量も安定性も一般の流通が求める水準に届きませんでした。黒龍酒造は、取引を希望する先すべてに卸していた結果、生酒や吟醸酒が常温の棚に置かれていました。

それぞれの会社がどうしたか

ヤッホーブルーイングは、100人に1人へ深く刺さる方針を選びました。 1997年の醸造開始から数年は追い風を受けましたが、価格の高さと、なじみのない味と、業界全体の品質低下が重なり、20人いた社員は約半数に減って8年連続の赤字が続きました。ヤッホーブルーイングの井手直行氏は、現在の製品開発の方針を、避けられない不利として説明しています。

「特定のキャラクターを使うと、それが好きな方にはフックするが、嫌いな方には拒絶されるリスクがある。ネコ好きにはたまらないが、ネコ嫌いには拒絶され、イヌ好きには何の興味ももたれない」

日本のビール市場の98%は大手メーカーが占めています。その残りで、さらに1人に絞る選択です。2025年6月の発表では、2025年11月期の売上高が前期比16%増、売上総利益が18%増で過去最高になりました。

ヘラルボニーは、同じであることではなく違いを打ち出しました。 松田崇弥氏と松田文登氏は、重度の知的障害と自閉症のある兄について「かわいそう」と言われ続けた経験から、2018年7月に岩手県で会社を設立します。就労継続支援B型事業所の平均工賃は、厚生労働省の令和2年度の調査で月額15,776円でした。ヘラルボニーの発信の方針は、この金額では暮らせないという事実から決まっています。

「私たちは『みんな一緒』と言うより、『知的障害があるからこそ描ける』というセグメント性を強めて発信しています」

想定する読み手も、関心のある層ではありません。松田崇弥氏は、福祉やアートに関心のない地元の友人が「格好いい」と言うかどうかを基準にしたと語っています。作家への年間ロイヤリティは、直近の発表で過去4年に25.5倍になりました。

坂ノ途中は、満たせない条件のほうを事業の前提にしました。 小野邦彦氏が2009年に京都で創業した会社が扱うのは、新規に就農した農家が中心です。1軒あたりの規模は小さく、収穫量も安定しません。坂ノ途中の小野氏は、事業の位置づけをこう語っています。

「ぼくらは、少量不安定だけど高品質な農産物がまっとうな値段で流通していく形を作ろうとしています。少量不安定の弱点はこちらで工夫して乗り越えるのですが、品質を上げるのは農家さんにお願いしなきゃいけない」

何が届くかを事前に確定できない定期宅配は、通常であれば売りにくい条件です。それでも受け入れる顧客がいることは、青虫のついたキャベツを届けたときに、子どもと虫かごで育てたら蝶になったという返信が来た記録に表れています。定期宅配は2019年に約1,750件、2025年に約1万2,000件になりました。

黒龍酒造は、生産量を半分以下に落として取引先を選び直しました。 8代目蔵元の水野直人氏は、協和発酵の営業を経て1990年に家業へ戻り、全国の得意先を自分の足で回ります。黒龍酒造の水野氏は、そこで見たものをこう語っています。

「私は大手酒造メーカーに勤めておりました。その後、福井に戻って蔵を継ぐことになるのですが、弊社の全ての得意先を一度まわって現状を確認してみたのです。当時は販路にはあまりこだわりがなく、お取引いただける全てに販売をしておりました。そのお得意先様を確認すると、生酒や吟醸酒でも常温で置かれておりました。日本酒は繊細なお酒です。適切な温度管理が必要ですし、紫外線を防ぐ事も大切です。その当時の酒屋さんにとっては、お酒は置けば売れる時代だったので、あまり品質管理を重視することはなかったのだと思います。日本酒は、そのように扱われるのが普通だったのです」

冷蔵管理を求めても理解されなかった先との取引を終え、当時1,000石程度あった生産量を500石以下に落としました。現在は特約店に限定した流通を続け、三季醸造で6,000石程度まで戻っています。

共通点と分かれ目

4社に共通しているのは、届かない相手が出ることを先に受け入れている点です。ヤッホーブルーイングは99人に届かないことを製品開発の段階で決めました。ヘラルボニーは同質性を訴える言い方を避けています。坂ノ途中は一般の流通が求める安定供給を満たそうとせず、黒龍酒造は取引先の数そのものを減らしました。

分かれ目は、狭めた対象です。ヤッホーブルーイングとヘラルボニーが狭めたのは買う人で、届く相手の側を絞りました。坂ノ途中が狭めたのは扱う商品の条件で、少量で不安定なままの農産物に限っています。黒龍酒造が狭めたのは卸す相手で、品質を守れる特約店だけに絞りました。同じ「狭める」でも、買う人を狭めるのか、商品を狭めるのか、売り先を狭めるのかで、その後に必要になる準備が変わります。

私たちは地方企業やスタートアップに共通する、低リソース・ブランド無しの戦わない戦略という記事で、戦略は「戦を略す」と書き、やらないことを決めることだと書きました。4社を読み解くと、私たちが記事に書いた考え方と同じ考えで成果を出していることが分かります。大量に作って大量に売る構造では、99人に届かない商品は成立しません。狭くすること自体が、資本の大きな相手との違いになっています。

自社に当てはめるなら

最初にやることは、自社の商品が届かない相手を、名前の付く形で1つ書き出すことです。届かない相手を言葉にできると、その分だけ、届く相手に何を用意するかがはっきりします。

  • 自社の商品が届かない相手を、言葉にできているか
  • 狭めるのは、買う人か、商品の条件か、売り先か
  • 狭めた後に売上が落ちる期間を、どこまで見込んでいるか

3. 商品は変えていないのに、売れなくなった

起きたこと

商品そのものは変わっていないのに、売れない状態になった会社が3社あります。ヤッホーブルーイングの「よなよなエール」は、地ビールブームが去った後、土産物店の棚では売れなくなりました。能作が2001年に出した初の自社商品である真鍮の卓上ベルは、12店舗合わせて3か月で30個しか売れていません。雨風太陽の「東北食べる通信」は読者が2年半で1万人を超えていましたが、雑誌という形では紹介できる生産者の数に上限がありました。

それぞれの会社がどうしたか

ヤッホーブルーイングは、7年近く放置していた通販サイトへ移りました。 8年連続の赤字が続く中、退職した社員のロッカーから1997年6月付の手紙が出てきます。楽天の三木谷浩史氏の署名で「一緒にインターネットで世界を目指しましょう」と書かれていました。楽天市場のオープン1か月後に出店していながら、7年近く開店休業のままだったことになります。ヤッホーブルーイングの井手氏は、向き合ってみて分かったことをこう語っています。

「しょうがなく開店休業状態だった楽天市場店をなんとかしようとネット販売に向き合いました。そこではじめて知ったことは、全然売れなくなったと思っていた〈よなよなエール〉が、実はネットではそこそこ売れていたんです」

手を付けた理由も前向きなものではありません。営業として思いつく手を全部やり尽くし、避けていたものだけが残った状態でした。ここから通販を主軸に立て直し、2005年から3年連続で年率30%超の成長を達成しています。

能作は、売れなかったベルに短冊を付けて風鈴にしました。 1984年に婿養子として社員8人の下請け鋳物工場へ入った能作克治氏は、18年間職人として現場に立ち、2002年に社長へ就任します。2001年に東京・原宿の展示会へ出した卓上ベルは、セレクトショップでの取り扱いが決まったものの、売れませんでした。本人は「日本のライフスタイルの中では、ベルを使う習慣がありません」と敗因を書いています。転機は、ショップの販売員の「音色がとてもいいから、風鈴にしたらどうか」という一言でした。能作の克治氏は、この経験をこう振り返っています。

「工場にこもって製造に専念してきた私が1人で考えるより、実際にお店でお客様に接している人の意見を聞くべきだ。そう気づいたんです」

1個4,000円の風鈴が、同じ3か月で3,000個売れました。作ったものは同じ真鍮の鋳物で、変えたのは短冊と、その商品が何と呼ばれるかです。

雨風太陽は、伸びている雑誌の形を自分でやめました。 高橋博之氏が岩手県で始めた「東北食べる通信」は、食材の付く月刊誌です。読者は都市に住む人で、2年半で1万人を超えました。それでも雨風太陽の高橋氏は、その形を続けていません。

「2年半で読者は1万人を突破したが、雑誌モデルはコストもかかり、紹介できる生産者の数にも限りがある。このスピードでは社会課題の解決には程遠い」

次に始めたのが産直アプリ「ポケットマルシェ」で、生産者が自分で発信し、消費者と直接やり取りする形にしました。運営会社ではなく生産者が旬の情報を送ったほうが購買転換率が高くなると本人が説明していますが、「50倍近く」という数字の算出条件は公開されていません。

共通点と分かれ目

3社に共通しているのは、売れない原因を商品の中に探していない点です。ヤッホーブルーイングは味を変えず、能作は鋳物の作り方を変えず、雨風太陽は生産者との関係をそのまま次の事業へ引き継いでいます。もう1つの共通点は、変えるきっかけが社外から来ていることです。楽天からの手紙も、販売員の一言も、社内の会議で出たものではありません。

分かれ目は、変えた対象です。ヤッホーブルーイングが変えたのは売り場で、土産物店から通販へ移りました。しかもその販路は7年近く前から社内にありました。能作が変えたのは商品の呼び名と用途で、同じ鋳物をベルから風鈴にしています。雨風太陽が変えたのは届ける形そのもので、雑誌からアプリへ移り、発信する人を運営会社から生産者に変えました。売り場、呼び名、届け方のどこに原因があるかを見分けられると、商品を作り直さずに済みます。

自社に当てはめるなら

最初にやることは、社内にあって使っていない販路を書き出すことです。過去に作ったまま動いていない通販サイト、登録だけしている取引先、休眠状態の代理店契約が、これに当たります。

  • 過去に作ったまま動いていない販路が、社内にないか
  • 売れない商品を、別の名前や別の用途で出したことがあるか
  • 売れない理由を、商品の外側で探したことがあるか

4. 問屋や卸を通していて、顧客の声も価格も自社に残らなかった

起きたこと

問屋や卸を経由する流通のままでは、顧客の声が届かず、価格も自社で決められない状態が3社にありました。玉川堂は、産地問屋から百貨店問屋を経て百貨店へ渡る流通で、顧客の反応が返ってきませんでした。久原本家の明太子ブランド「椒房庵」は、問屋を通す形で始めた結果、北海道産の原卵にこだわった原価に販売価格が見合いませんでした。能作は下請けの鋳物工場で、仕事はすべて元請けから来ており、自社で価格を決める場面がありませんでした。

それぞれの会社がどうしたか

玉川堂は、入社してすぐ問屋をすべて外しました。 1816年創業の鎚起銅器の工房は、バブル崩壊で売上が3分の1に落ち、多額の借金を抱えます。大学3年生だった玉川基行氏は父から呼び戻され、1995年に入社しました。この年、30名いた職人の半数を解雇し、基行氏自身も1年ほどほぼ無給で販路開拓に回っています。玉川堂の基行氏は、翌1996年の判断をこう説明しています。

「私の父の頃は問屋を経由して販売を行っていましたが、このやり方ではお客様の声が全く聞こえませんでした。そこで私が入社してすぐ、問屋をすべて外しました。問屋を外すことは思い切った決断でしたが、お客様の声が聞こえないことは最大の欠点だと思っていたので、問屋を外し、百貨店にアポなしで売り込みに行って実演販売をしたんです」

取引百貨店は30店を超え、5年ほどで経営危機を脱しました。2014年には百貨店との取引もやめて直営店に移り、その年の売上は約30%落ちています。直販に切り替えても賃料と人件費が乗るため、利益率は変わらなかったと本人が語っています。

久原本家は、原価を上げたうえで直販に切り替えました。 1990年に立ち上げた「椒房庵」は、北海道産の原卵にこだわった結果、9年間赤字が続きました。売上は伸びていましたが、それ以上に卵の値が上がったためです。河邉氏が採った手は2つで、1つは最も高い卵に切り替えて品質のばらつきと廃棄を減らすことでした。もう1つが流通の変更です。

「元々スタートが問屋さんでさせていただきましたんで、これはやはり卸であるわけですよね。そうするとやっぱりなかなか合わない。ですからやはり直販はしなきゃいけないと。そうしないとこの品質は守れないと思ったんですね」

久山町の本店を作り、店舗と通販の両方で直販の比率を上げ、10年目に黒字化しました。この形は後の「茅乃舎だし」にも引き継がれ、直販と通販の比率は2023年2月期で全体の約82%になっています。

能作は、問屋を残したまま、自社商品だけを直販にしました。 下請けからメーカーへ移った後も、能作は従来の仏具や茶道具や花器を問屋に卸し続けています。「問屋を飛び越えると、地域内の分業制が成り立たなくなり、問屋だけでなく、着色や彫金を行っている会社にも迷惑をかけてしまいます」という理由からです。そのうえで、自社商品は定価で販売し、値引きをしません。克治氏は、その条件をこう説明しています。

「こちらから営業をかけた場合は立場が弱くなりますから、相手の言い値や要求を突っぱねるのは難しい。(中略)しかし、『こられる方に対応する』場合は、交渉の主導権はこちらが握っているので、値引き交渉はされにくくなります」

営業部は現在もありません。取扱店は断らずに増やして800軒になり、どの店にも同じ価格で卸しています。問屋経由の仕事を残したまま新しい市場を積んだ結果、昔100%だった仕事は現在約4%になったと語られています。

共通点と分かれ目

3社に共通しているのは、流通を変えた理由が利幅ではないことです。玉川堂が挙げたのは顧客の声が聞こえないこと、久原本家が挙げたのは品質を守れないこと、能作が挙げたのは価格の決定権が相手側にあることでした。3社とも、切り替えた直後に売上か手間のどちらかを差し出しています。

分かれ目は、既存の流通をどう扱ったかです。玉川堂は問屋をすべて外し、後に百貨店との取引もやめました。久原本家は問屋の取引を残しつつ、自社ブランドの主軸を直販へ移しています。能作は問屋の仕事を1件も減らさず、自社商品だけを別の流通に乗せました。守ると決めた相手が地域の分業だったか、自社の品質だったかで、既存の取引の扱い方が分かれています。

私たちは間違ってはいけない戦略の順番|ビジョン→事業→商品→営業→組織という記事で、営業戦略は顧客獲得をどのように行うかの選択であり、事業戦略と商品戦略から導かれると書きました。同じ記事では、組織や資金の現実からのフィードバックを受け入れすぎると現状維持型の戦略になるとも書いています。3社を読み解くと、私たちが記事に書いた順番と同じ考えが表れています。売上が3割落ちる選択は、手元の数字から考えていては通りません。

自社に当てはめるなら

最初にやることは、自社の売上を販路ごとに分け、それぞれについて最終顧客の感想が社内に届いているかを確かめることです。届いていない販路が売上の大半なら、商品の改良も価格の見直しも、取引先の言い分だけが頼りになります。

  • 販路ごとに、最終顧客の感想が社内へ届いているか
  • 価格を決めているのが自社か、取引先か
  • 流通を変えるときに、守ると決めた相手が決まっているか

5. 販売価格から原価を逆算する慣習で、作り手に利益が残らなかった

起きたこと

販売価格から原価を逆算する慣習の中で、作り手の側に利益が残らない状態が3社にありました。ファクトリエが向き合ったアパレルの流通では、販売価格から逆算して原価が決まり、縫製工場は下げる側に置かれます。四万十ドラマの地域では、栗の生産量が昭和30年代のおよそ800トンから2013年に18トンまで落ちていました。こゆ財団の新富町では、ライチを20年育ててきた生産者が1個300円でも売りにくいと考えていました。

それぞれの会社がどうしたか

ファクトリエは、価格を工場に決めてもらう形にしました。 アパレルの多くは、いかに原価を下げるかを競います。ファクトリエは、その順序を反対にしました。取材記事に、その仕組みが説明されています。

「工場に決めてもらった価格で買い取り、約2倍の価格で販売する。原価率がなんと約50%。ビジネスの常識ではあり得ない設定である。これによって、工場側は通常よりはるかに高い利益を得ることができる」

原価率は2018年の取材で約50%、2022年の本人の説明では60%近いとされています。粗利が薄くなるため、自社の資金繰りにそのまま効きます。創業時の資本金は50万円、山田氏の給料は月4万円で、週3日は倉庫でアルバイトをしていました。工場名を商品ごとに明示する形も採っており、作り手には利益と名前の両方が残ります。

四万十ドラマは、栗を市場価格の1.5倍で買っています。 1994年に1町2村の出資で設立された第三セクターは、2005年に完全民営化し、住民202名が株主になりました。愛媛大学の紀要論文には、ヒアリングに基づく記述として、栗の買い取り価格が市場価格の1.5倍であることが書かれています。理由は、農薬を使わない栽培の手間と、高く買うことを自らの使命とする認識です。四万十ドラマの畦地履正氏は、高く買える条件をこう説明しています。

「商品という出口が確保されているから、私たちも責任を持って農家に働き掛けられる。引き受けてくれる生産者を増やすことで、四万十川流域はオーガニックになっていく」

先に売り先を作り、その分だけ買うという順序です。栗の生産量は2013年の18トンから2017年秋に50トンまで戻りました。なお、A品からC品のランク分けがあり、C品は買い取りの対象外です。無条件に高い価格ではありません。

こゆ財団は、比べる相手を輸入品に置き換えました。 1粒1,000円という価格は、生産者の反対から始まっています。ライチを20年育ててきた森哲也氏の最初の反応は「1個300円でもなかなか売れないのに、1000円で売るなんてとんでもない」でした。価格を提案した側の理由が、こゆ財団の発信に残っています。

「ライチは冷凍で輸入されるものがほとんどで、日本人が普通に想像するライチって、もっと小さいじゃないですか。でも『新富ライチ』はこんなに大きくてジューシー。この期待値とのギャップに、1000円を払う人はいるだろうと目を付けました」

比べる相手が他の産地の生ライチではなく、冷凍で輸入されるライチになっています。その代わりに必要になったのが品質の裏づけで、糖度15度以上、1玉50グラム以上といった規格が公表されました。森氏は「20年間で、自分の思い通りに収穫できたのは、たったの1回だけです」とも語っています。

共通点と分かれ目

3社に共通しているのは、価格を決める順序を変えていることです。ファクトリエは作る側が出した金額を起点にし、四万十ドラマは市場価格ではなく手間を根拠にし、こゆ財団は輸入品との差を根拠にしました。もう1つの共通点は、高い価格を出す前に売り先を用意していることです。四万十ドラマの「商品という出口が確保されているから」という言葉は、その順序を短く表しています。

分かれ目は、高い価格の負担を誰が引き受けたかです。ファクトリエは自社の粗利を薄くする形で引き受け、創業期の資金繰りに直接響きました。四万十ドラマは、買い取り価格を上げる代わりに、ランクを分けて対象を限っています。こゆ財団は、価格に見合う規格を公表したため、その規格を満たす負担が生産者に残りました。取り分を厚くする判断は、必ずどこかの負担とセットになっています。

私たちは4章でも触れた戦略の順番の記事で、価格設定にはコストベース、競合ベース、価値ベースの3つがあり、最も推奨されるのは顧客が感じる価値から決める形だと書きました。3社を読み解くと、私たちが記事に書いた考え方と同じ考えで成果を出していることが分かります。原価から積み上げる形でも、競合の価格に合わせる形でもなく、買う人が何と比べているかを先に決めています。

自社に当てはめるなら

最初にやることは、自社の主力商品の価格が何から決まっているかを1行で書くことです。原価に利益を乗せた形か、競合の価格に合わせた形か、買う人が感じる価値から決めた形かで、次に動かせる場所が変わります。

  • 自社の価格が、原価と競合と価値のどれから決まっているか
  • 買う人が、自社の商品を何と比べているか
  • 高い価格にした分の負担が、自社と作り手のどちらに残るか

6. 商品が1種類しかなく、新しい商品も出せなかった

起きたこと

売る商品が1種類しかなく、新商品も出せない状態が3社にありました。ヤッホーブルーイングは、通販に向き合った時期、扱えるビールが「よなよなエール」だけでした。餃子の雪松は、1パック36個入り1,000円の冷凍生餃子1種類だけで、ニンニクなし餃子やシソ餃子を求める声にも応えていません。ヘラルボニーが扱うのは作家が描いた作品で、自社の判断で図柄を作り足せる事業ではありません。

それぞれの会社がどうしたか

ヤッホーブルーイングは、商品ではなく企画を増やしました。 通販を主軸に立て直す時期、売る商品は1つしかありませんでした。ヤッホーブルーイングの井手氏は、当時の工夫をこう語っています。

「よなよなエールしか当時商売するビールがなかった。新商品も出てこないんですよ。なので、くだらない企画というのを作って」

商品にまつわる面白い写真を送ってもらい、本人が審査してページに載せるという企画です。商品の話をほとんどしないメールマガジンも、この時期に始まりました。ここで作られた形が、2010年に40人ほどで始まり2018年に約5,000人規模まで拡大したファンイベント「超宴」につながっています。イベント単体は赤字だと本人が明言していますが、上位10%の顧客が売上の6割以上を作るという構造を根拠に続けています。

餃子の雪松は、商品を変えず、店舗網の上に別の商品を乗せました。 群馬県の中華食堂のレシピを甥が別法人で引き受け、2018年9月に1号店を開いた会社です。商品への要望は、すべて断ってきました。餃子の雪松のマーケティング部長である高野内謙伍氏が、その理由を語っています。

「受け継がれてきた雪松の餃子に自分たちの思いつきで手を加えることは考えられません。クセが強い餃子であることは認識しています。でも、ガンコなオヤジが作り上げたそこが持ち味だし、変えたら雪松ではなくなってしまいますからね」

2023年からは、無人販売所やイオングループの店舗に冷凍ラーメンの自動販売機を置く事業を始めています。ただし餃子の店舗数は、2023年2月の432店から2024年11月に219店、2026年9月時点の公式サイト掲載では91店まで減っています。この会社では、商品を1種類に絞る形が、その商品が選ばれなくなったときに調整する手段を残しませんでした。

ヘラルボニーは、同じ作品が使われる場面を増やしました。 同社の事業は、作品の著作権を預かり、企業とのライセンス契約を仲介する形です。ヘラルボニーのプレゼンで、その仕組みが説明されています。

「ビジネスモデルは、契約作家244名の3000点以上の著作権管理を行い、パートナー企業との仲介に入り、適切な作品使用料(ライセンスフィー)が作家に還元されていくモデルです」

同じ作品が、ネクタイやハンカチなどの雑貨になり、建設現場の仮囲いやオフィスの装飾になり、ホテルの客室に掛かり、他社の商品にも乗ります。ホテルは宿泊1泊につき決まった額、提携クレジットカードは利用額の0.1%という形です。作家への還元が伸びているのは、1点あたりの単価が上がったからではなく、同じ作品が使われる場面が増えたためだと読めます。

共通点と分かれ目

3社に共通しているのは、商品の種類を増やす方向に手を打っていないことです。ヤッホーブルーイングは商品のまわりに参加できる企画を作り、餃子の雪松は既にある店舗網に別の商品を乗せ、ヘラルボニーは同じ作品の使われる場面を増やしました。売上を増やす方法として、新商品の開発だけを見ていません。

分かれ目は、増やした対象です。ヤッホーブルーイングが増やしたのは顧客との接点で、写真企画もメールマガジンもイベントも、商品の外側にあります。餃子の雪松が増やしたのは店舗網の使い道で、立地と補充の仕組みという固定費で回収できる商品を足しました。ヘラルボニーが増やしたのは商品の使われ方で、作品はそのままに届け先を広げています。接点、拠点、用途のどれを増やせるかは、その会社が何を持っているかで決まります。

私たちはターゲットと便益を5-10パターンに整理するという記事で、1つのサービスは単一の相手ではなく5〜10個の属性を内包しており、同じサービスでも顧客によって得られる価値が違うと書きました。3社を読み解くと、私たちが記事に書いた考え方と同じ考えが表れています。商品の数を数えると1つですが、その商品が誰にとって何であるかを数えると、まだ増やせる余地が残っています。

自社に当てはめるなら

最初にやることは、主力商品が誰にどんな価値で買われているかを、思いつく限り書き並べることです。贈り物として買う人、自分で使う人、法人として使う人というように分けると、同じ商品でも用意する説明が変わります。

  • 主力商品が、何種類の相手に、別々の理由で買われているか
  • 商品のまわりに、参加できる企画や場を作れるか
  • いま持っている拠点や店舗網に、乗せられるものがあるか

7. 広告費がなく、知名度もゼロだった

起きたこと

広告に使える予算がなく、社名も知られていない状態から始めた会社が3社あります。能作は社員8人の下請け鋳物工場で、地元では「勉強しないとここで働くことになる仕事」と見られていました。甲子化学工業の3代目候補である南原徹也氏は、大手ゼネコンから戻った直後、展示会でも商談でも相手にされない状態に置かれました。マルカワみそは、福井県内でも社名を知る人が少ない味噌蔵でした。

それぞれの会社がどうしたか

能作は、広告ではなく工場そのものに投じました。 1990年から無料の工場見学を受け入れ、案内役は克治氏本人でした。2017年4月には、前年度の売上13億円に対して総工費約16億円をかけた新本社と新工場を開きます。直営ショップ、鋳物製作体験、カフェレストラン、富山県内の観光案内を併設した施設です。旧社屋最後の2016年に年間約1万人だった見学者は、2019年に年間12万人、現在は13万人前後になりました。能作の産業観光を担った能作千春氏は、その効果をこう語っています。

「単なる売り上げよりも、目に見えない効果がすごく大きいと思いました。毎日さまざまなお客様に来ていただけることで、今までにはない出会いがありますし、職人たちの意識も変化し、日々の仕事を超えてスタッフ同士の結束もより強くなりました」

克治氏は「能作に営業スタッフがいるとすれば、それは『富山県の人たち』です」とも語っています。都道府県別の売上は、東京ではなく富山が一番大きくなっています。

甲子化学工業は、自社の宣伝ではない発信を毎日続けました。 2019年に入社した南原氏は、「大手から中小に名刺の社名が変わっただけで、展示会に足を運んでも見向きもされない」という状態から始まっています。そこで始めたのが、毎日のSNS発信でした。甲子化学工業の取り組みが、東京商工会議所の事例集に記録されています。

「企画開発部を立ち上げると、情報収集を行うかたわら、国内外を問わず、自分が興味のあるテクノロジーに関して最新ニュースを集め、日本語にまとめたものを毎日必ずSNSで発信した。地道な情報発信により順調にフォロワーが増えたことから、ニュースの合間に自社の情報を挟み、自社の認知拡大にも取り組んでいった」

自社の宣伝から始めていない点が、この打ち手の特徴です。発信は、伝える手段だけでなく情報が集まる入口にもなりました。廃棄ホタテ貝殻という素材にたどり着いたきっかけも、卵殻を使ったプラスチックの投稿に寄せられた反応です。

マルカワみそは、味噌の食べ方そのものを発信しました。 1914年創業の味噌蔵は、天然醸造と木桶仕込みという手間のかかる方法を続けています。河崎宏氏は「うちは無名で、県内でも知らない人が多いと思う」と語ったうえで、原料は日本でも最高クラスを使っていると続けています。マルカワみその専務取締役である河崎紘徳氏は、2020年に開設したYouTube「みそチャンネル」の理由をこう語っています。

「20〜30代の世代の”みそ離れ”は深刻です。朝食はパンの家庭が多くなり、みそ汁の作り方を知らない人が多いようです。動画なら興味を持ってもらえるかもと始めましたが、反響が大きくて驚いています」

2021年からは無料のオンライン味噌作り教室を毎月開き、手作り味噌を蔵で預かるサービスも提供しています。発信の内容は自社商品の宣伝ではなく、味噌汁の作り方や仕込み方です。自社の売上の手前にある市場そのものを耕す形になっています。

共通点と分かれ目

3社に共通しているのは、投じた先が広告の枠ではないことです。能作は工場と店舗という場所に、甲子化学工業は毎日の投稿に、マルカワみそは動画と教室に投じました。どれも出稿を止めた瞬間に消えるものではなく、翌年も残ります。もう1つの共通点は、成果が出るまでの期間です。3社とも数年かかっています。

分かれ目は、投じたものの性質です。能作が投じたのは16億円という大きな設備で、銀行との関係と黒字体質が前提にありました。甲子化学工業が投じたのは本人の時間で、費用はほとんどかかっていません。マルカワみそが投じたのは自社の売上に直結しない情報で、市場そのものが縮めば自社の努力も実らないという判断が背景にあります。使える資金の量によって、積み上げられるものの形が変わります。

私たちは顧客獲得コストを下げるには「ストック>フロー」を意識しようという記事で、広告は出稿をやめれば効果も消えるフロー型であり、一度構築すれば効き続けるストック型と分けて考えると書きました。3社を読み解くと、私たちが記事に書いた考え方と同じ考えで成果を出していることが分かります。同じ記事では、効果が出るまで時間がかかるため早めに着手するとも書きました。3社の記録に残っているのも、その時間の長さです。

自社に当てはめるなら

最初にやることは、直近1年の販促の費用を、止めたら消えるものと、残るものに分けて並べることです。分けてみると、残るものにいくら使ったかがはっきりします。

  • 販促の費用のうち、止めたら消えるものと残るものの割合はどれくらいか
  • 自社の拠点や工場を、人が来る理由のある場所にできるか
  • 自社の宣伝ではない発信を、続けられる量で決めているか

本事例から見える経営とマーケティングの学び

売上の問題は、会社ごとに違って見えますが、並べると3つの場所に収まります。売り先を探す段階の問題は「誰が買うか」、売り方を決め直す段階の問題は「どこで、いくらで売るか」、続ける段階の問題は「何を増やすか」です。この記事で扱った15社は、どの段階でも、売れないという結果を商品の中だけで説明していません。売る相手、売る場所、価格の決め方、届け方という、商品の外側を組み替えることで越えています。

同時に、どの会社も一度は数字を差し出しています。黒龍酒造は生産量を半分以下に落とし、玉川堂は売上が約30%落ちる年を引き受け、久原本家は9年の赤字を別の事業の黒字で支えました。ファクトリエは粗利の薄い設計を選び、創業期は月4万円の給料で回しています。売上を伸ばした記録の手前に、売上を手放した判断が置かれている点は、この記事から持ち帰れる部分です。

もう1つ、各章の「分かれ目」で見たとおり、同じ問題を越えた会社でも条件は違います。狭める対象が買う人か商品か売り先か、守る相手が地域の分業か自社の品質か、投じられる資金が16億円か本人の時間かで、答え方が変わります。そして、餃子の雪松の店舗数が432店から91店になったように、うまくいった判断がその後も続くとは限りません。自社の条件がどの会社に近いかを見てから、その会社の記事を読むと、当てはめやすくなります。個社の経緯は、各章のリンク先で読めます。

「ビジネス知の機会格差をなくす」という私たちのミッションに向けて、これからも実践的で価値ある情報を発信していきます。この記事の内容について、さらに詳しく知りたい方は、ぜひご連絡ください。