先進企業に学ぶ(アトツギ編) – 有限会社マルカワみそ|「売れない」と言われた有機味噌に30年かけ、蔵の菌を取り戻した福井の味噌蔵

ローカルグローススタジオは、『地方企業にスタートアップのような成長を』というテーマで、コンテンツ発信と支援サービスを展開しています。この記事では、実践的なビジネスノウハウを、できるだけわかりやすくお伝えしていきます。

今回取り上げるのは、福井県越前市杉崎町の有限会社マルカワみそです。1914年(大正3年)に麹屋として創業し、110年以上続く味噌蔵です。天然醸造、木桶仕込み、蔵に棲む麹菌の自家採取、有機と自然栽培の原料という、いずれも手間のかかる方法を重ねています。現在の代表取締役は河崎郁子氏、事業と発信の前面に立つのが専務取締役の河崎紘徳氏(みそ一級技能士)で、有機への転換を決めた河崎宏氏は相談役格に退いています。

家業を継ぐ経営者は、引き継ぐ会社を選べません。与えられた会社の中の何を変え、何を守るかの見極めがすべてになります。マルカワみその場合、その見極めは「先代に反対されてでも有機に変える」と「途絶えていた方法を取り戻す」という2つの方向に出ています。家業を継いだ方、これから継ぐ方に向けた事例として読み解きます。

なお、河崎家の世代の数え方は資料によって異なります(公式の沿革では六代目・七代目という表記、報道では九代目、本人のnoteでは4代目社長)。この記事では世代の数字を使わず、人名で書きます。

この記事の要約

先にストーリーの全体像です。マルカワみそは1914年、六代目・河崎宇右衛門氏が福井県越前市に麹屋を開いたのが始まりです。味噌の醸造を始めたのは後年で、公式の沿革では1950年、別の資料では1942年とされています。戦中戦後には工場が空襲で壊滅し、1948年の福井大震災でも仕込み場が全焼しました。河崎宏氏は東京農業大学農学部醸造学科の在学中に食品汚染に関する本を読み、家業に戻ります。1992年、37歳のときに実家の農地を借りて無農薬の大豆づくりを始めました。当時、周囲の反応は「そんなものできんし売れんし、あかん」というものでした。作れば作るだけ赤字が続きます。それでも続け、2001年には北陸の味噌業界で第1号となる有機JAS認定工場の認証を取得しました。さらに、いったん途絶えていた蔵付き麹菌の自家採取を復活させます。近年は息子の紘徳氏がYouTubeやnoteで発信を続け、通信販売を主軸に育てました。

このストーリーから持ち帰れる観点は、次の6つです。それぞれ本文の章で事実を確認し、最後の6章で説明し直します。

1. 先代に反対されても、自分が正しいと思う方向へ舵を切っている(2章)

2. 一度やめた工程を取り戻すことが、他社に真似しにくい差になる(3章)

3. 有機を続ける会社には、外から来るリスクがある(4章)

4. 小さな蔵でも、発信と通販で顧客と直接つながれる(5章)

5. 方針は守り、手段は変えている(全体)

6. こだわる理由が、味に置かれている(全体)

各章の末尾に、ローカルグローススタジオの分析と「この事例から考えられること」をまとめています。

参考資料一覧

数字で見るマルカワみそ

時点数字出典
1914年12月六代目・河崎宇右衛門氏が福井県越前市杉崎町で麹屋を開業(屋号は河崎宇右衛門商店)公式沿革
1942年地域の味噌醸造業者が集まり福井味噌工業株式会社を設立、同社も加盟。同年2月18日に創業者が死去公式沿革
1945年福井空襲で工場が壊滅。終戦後、月見町の工場を借りて営業を再開公式沿革
1948年福井大震災で仕込み場が全焼。福井味噌工業株式会社は消滅公式沿革
1950年味噌の統制が撤廃され、麹の商いに加えて味噌の醸造を開始(1942年とする資料もあり)公式沿革、プレマ
1992年河崎宏氏が37歳で無農薬・有機の原料づくりに着手。第2事業部を設立し、有機大豆・米の自社栽培を開始公式沿革、MOKU
1995年農業生産法人・有限会社瑞穂を設立。工場ラインでOCIA認定を取得し有機味噌の生産を開始公式沿革
1996年OEMの有機味噌を海外へ輸出公式沿革
2000年河崎宏氏の代表取締役就任と同時に農業部門から撤退し、瑞穂を解散。原料は専業農家との提携へ公式沿革
2001年北陸の味噌業界で第1号となる有機JAS認定工場を取得公式沿革
2007年9月偽造有機米の被害。有機味噌32トンを一般味噌として格下げ販売公式沿革
2016年偽造肥料の被害。味噌10トンが有機の格付け不可に公式沿革
2017年有機農産物の偽装被害により原料が不足公式沿革
2020年YouTube「みそチャンネル」を開設。2021年からは無料のオンライン味噌作り教室を毎月開催公開報道
2021年8月12日会長・河崎宇右衛門氏が逝去note(河崎紘徳)
2021年9月期売上高3億6000万円、従業員数35名(パート含む)公式サイト 会社概要
現在代表取締役は河崎郁子氏。木桶は約70本公式サイト、公開報道

1. 麹屋として始まり、二度焼けた蔵

マルカワみそは1914年(大正3年)12月、六代目・河崎宇右衛門氏が福井県越前市(旧武生市)杉崎町に麹屋を開いたのが始まりです。屋号は河崎宇右衛門商店でした。北陸でも有数の豪雪地帯である越前は、冬の寒さと夏の暑さの差が大きく、味噌をゆっくり熟成させるのに適した気候です。

味噌の醸造を始めたのは、創業から後年のことです。河崎紘徳氏は取材でこう説明しています。

「もともと当社は1914年に創業した麹屋で、最初は麹の製造をおこなっていました。そのあと、『麹が作れるなら味噌も作れるのでは?』ということで味噌の製造を始めたんです」

「1914年に農家から麹屋になったのがマルカワみその始まりです」

味噌醸造の開始時期は資料によって分かれています。公式の沿革では1950年、味噌の統制が撤廃されて自由な販売の許可が下りたときとされ、別の取材記事では1942年とされています。

その間には、事業が二度失われています。1942年に地域の味噌醸造業者が集まって福井味噌工業株式会社を設立し、同社も加盟しました。ところが同年2月18日、創業者である六代目が死去します。1945年の福井空襲で工場は壊滅し、終戦後に月見町の工場を借りて営業を再開しました。1948年の福井大震災では、その仕込み場も全焼しています。福井味噌工業株式会社自体も、このとき消滅しました。

100年を超える歴史のうち、順調だった時期ばかりではありません。

この事例から考えられること

照らし合わせてみる項目

  • 創業時の事業内容を、正確に説明できるか
  • 会社が一度失われた時期も、社史に残っているか
  • 世代の数え方が、資料のあいだで揃っているか
  • 主力商品を始めた時期が、社内で共有されているか
  • 地域の気候や地形が事業に与える影響を、言葉にできるか

事例から読み取れること

1. 創業時の事業が、いまのこだわりの理由になっている

麹屋として始まり、後に味噌へ広げています。この順序が分かると、麹への強いこだわりの理由も見えてきます。創業時に何を売っていたかを正確にたどることの意味が、ここにあります。

2. 失った時期も、記録に残っている

空襲での工場壊滅と震災での全焼が沿革に残っているため、110年続いてきたことの重さが読み手に伝わります。

3. 世代の数え方が、資料によって揺れている

マルカワみそでは六代目・七代目、九代目、4代目社長という数え方が資料ごとに異なるため、この記事では世代の数字を使わず人名で書きました。数え方が定まっていないと対外的な説明も揺れる、という例です。

2. 「そんなものできんし売れんし、あかん」と言われた有機転換

転機は、河崎宏氏の学生時代にあります。東京農業大学農学部醸造学科の2年在学中、食品汚染に関する本に出会い、農薬や食品添加物が人体に与える影響を知って衝撃を受けました。「食」という文字は「人」に「良い」と書きます。食べ物は人の命の糧であるはずだという問いを抱えたまま、家業に戻ります。

家業に戻ってからの提案は、簡単には通りませんでした。「無添加で無農薬のみそを造りたい」という進言に対して、先代の答えは「できない、売れない」でした。

周囲の反応も、同じでした。

「そんなものできんし売れんし、あかん」

それでも1992年、37歳のときに実家所有の農地を父親から借り受け、無農薬で大豆を自社栽培する取り組みを始めます。当時はまだ「有機」「オーガニック」という言葉自体が一般に知られておらず、無農薬や有機栽培を行っている近隣の農家もほとんどありませんでした。

作れば作るだけ赤字が続きます。

「こんなにいいものを作っているのに、なぜ売れないのだろう?」

父親からは「ビジネスとして成立していない。もうやめておけ」と言われました。それに対する答えが、次の言葉です。

「売れる、売れないじゃない。食べ物は、命の源だ。人の命を削るようなものを作って売りたくない」

ただし、迷いがなかったわけではありません。

「正直、そのころは自信もなくなっていました」

事業の形も、途中で変わっています。1995年に自社栽培の事業を子会社化して農業生産法人・有限会社瑞穂を設立し、同時に工場の生産ラインでOCIA認定を取得して有機味噌の生産を始めました。1996年にはOEMの有機味噌を海外へ輸出しています。ところが2000年、河崎宏氏の代表取締役就任と同時に、赤字が続いていた農業部門から撤退し、瑞穂を解散しました。有機米と有機大豆は、専業農家との提携に切り替えています。

自社で全部やるという方法は、途中で手放しています。そして2001年、北陸の味噌業界で第1号となる有機JAS認定工場の認証を取得しました。

自社の位置づけも、明快に語られています。

「うちは無名で、県内でも知らない人が多いと思う。でも原料は日本でも最高クラスを使っている。百年たっても天然醸造のみそとオーガニックのみそは必ず残るし、支持される」

「わたしたちは、食の大事な部分を担ってると思うんやわ。多くの人に喜んでもらって貢献したい。役に立ちたい。どんどんやって、僕らが見せていったらええんや」

ローカルグローススタジオの分析:何のためにやるかを、採算より先に置いている

私たちは間違ってはいけない戦略の順番|ビジョン→事業→商品→営業→組織という記事で、戦略には順番があり、最初に「何のために事業をやるか」を決めるという考え方を書きました。手元の資金や採算から考え始めると、現状維持型の戦略にしかなりません。

マルカワみその1992年からの10年を読み解くと、私たちが記事に書いた順番と同じ考えが最もはっきり表れています。採算だけを見れば、有機への転換は明らかに不利でした。父親からも「ビジネスとして成立していない」と言われています。それでも続けたのは、「人の命を削るようなものを作って売りたくない」という「何のために」の判断があったからです。

同じ記事では、商品や営業の現場から上がる声に合わせて「何のために」まで変えてはいけないとも書きました。マルカワみそは、有機という方針は変えずに、自社栽培という方法だけを2000年に手放しています。方針を守ることと、やり方を変えないことは、別のことです。

この事例から考えられること

1. 採算が合わない期間が、9年続いている

有機への転換から有機JAS認定まで9年、その間は赤字でした。何年耐えるかが先に決まっていたかどうかは資料からは分かりませんが、9年という長さは記録として残っています。

2. 方針は変えず、手段を変えている

自社で農地を持つ方法から、専業農家との提携へ。有機を続けるという方針は変えずに、実現の手段だけを変えました。手段への固執と方針への固執を分けて見ると、判断の性格が見えてきます。

3. 認証によって、社内の努力が外から見える形になっている

有機JASの認定は、社内の努力を第三者が保証する形にしたものです。一人の経営者の判断を、取引先や顧客に説明できる形にした例です。

3. 蔵に棲む菌を、取り戻す

マルカワみその製法上の特徴が、蔵に棲む野生の麹菌を自家採取して種麹をつくる点です。

戦後、味噌づくりの現場では種麹メーカーから純粋培養の種麹を購入する流通が一般化し、蔵が独自に麹菌を採取する習慣はほぼ途絶えました。マルカワみそも、かつては蔵付きの菌で種麹を作っていましたが、いったんは外部の種麹に切り替えています。

これを復活させたのが、河崎宏氏の代です。臨床環境医の三好基晴氏と、ナチュラル・ハーモニー代表の河名秀郎氏との出会いをきっかけに、麹菌の自家採取に再挑戦することになりました。先代の記憶を頼りに、空気中に存在する麹菌の採取を試行錯誤の末に成功させ、解析の結果、自然界に存在する4種類の麹菌が見つかっています。

なお、この復活が「何年ぶり」だったかは資料によって表記が分かれます。公式サイトのFAQは「50年ぶり」とし、第三者の記事は「60年ぶり」としています。

蔵付き麹菌と木桶の関係も、説明されています。

「うちはすべてのみそを、蔵の中で採取した4種類の種麹菌で作っています。木桶で仕込むと内側にその菌が定着し、みその塩分を吸って腐敗しにくくなるんです」

「新しくて20年、一番古いものは100年。人間の寿命と同じで、大切に使えば長持ちするんですよ」

天然醸造にこだわる理由も語られています。

「みそは人間が造るものではないんです。麹菌が化学反応によってアミノ酸や糖に分解され、旨味を生み出す。そして寒暖差の激しい日本の四季を経て、じっくりと醸造させることで、力強い味になる。自然が生み出したみその風味を味わってもらいたくて、天然醸造にこだわっています」

理由としては、もっと単純な言い方もされています。

「なんでわざわざその方法を?とよく聞かれますが、答えは『美味しいから』。ただそれだけなんです」

先代の言葉も、同じ趣旨です。

「俺は他の人より良い味噌、美味しい味噌を作る事にしていた。だから絶対に温醸(発酵を促進させた醸造方法)はしない。温醸の味噌は、うもない(美味しくない、方言)」

「温醸(発酵を促進させた醸造方法)の味噌を作るようになったら、味噌屋をやめろ」

そして、親子のやりとりも残っています。

「おやじ、なぜうちは天然でやっているんだ?」「その方が、うまいからだ」

木桶についても、桶職人の言葉が公式サイトで紹介されています。

桶で仕込んだ商品はなぜか温かくて柔らかい商品ができるんやなぁ…

40年ほど桶の商売しているけど、味噌屋が桶を注文するのははじめてのことや…

── マルカワみそ公式サイト「歴史も醸し続けた木桶仕込み」

現在、蔵にはおよそ70本の木桶が並び、加温や加熱の処理をせずに時間をかけて熟成させています。

ローカルグローススタジオの分析:一度途絶えたものは、後から真似しにくい

地方企業やスタートアップに共通する、低リソース・ブランド無しの戦わない戦略で、私たちは、資源の限られる企業が大手と同じ土俵で競わない方法を書きました。同じ方法で作って同じ棚に並べれば、規模の差がそのまま結果になります。

蔵付き麹菌の自家採取は、新しい技術の導入ではありません。かつてやっていて、途中でやめた工程の復活です。ここが重要な点で、外部から購入する種麹は誰でも同じものが手に入りますが、自分の蔵に棲む菌は、その蔵にしかありません。しかも、記憶を頼りに試行錯誤する必要があり、設備投資で追いつける種類のものでもありません。

同記事では、自社の強みを活かせる市場や手法を選ぶ方法も書きました。天然醸造で10か月以上かける方法は、生産効率だけを見れば不利です。しかしその不利さが、そのまま参入の障壁にもなります。地方の老舗には、20年から50年前にやっていて今は誰もやっていない工程が眠っていることがあります。それを掘り起こすこと自体が、後から真似しにくい資源になります。

この事例から考えられること

1. 昔やめた工程に、いまの価値があった

効率のために手放した工程のなかに、後から価値を持つものがありました。かつての手順を知る人がいるうちに聞いておくことの意味が、この事例からは読み取れます。

2. 復活の起点が、先代の記憶だった

蔵付き麹菌の復活は、先代の記憶から始まっています。当時を知る人がいなくなれば、復活そのものが難しくなっていた可能性があります。

3. 手間のかかる方法の理由が、一言で語られている

「答えは『美味しいから』。ただそれだけなんです」。理屈を並べるより、こう言い切るほうが伝わる場面もありそうです。

4. 有機を続ける会社を襲った、三度の偽装被害

有機の原料にこだわる会社には、自社の努力では防げないリスクがあります。マルカワみその沿革には、三度の被害が記録されています。

2007年9月、偽造された有機米の被害を受けました。自社の有機味噌32トンを、一般の味噌として格下げして販売せざるを得なくなり、有機味噌の在庫が大幅に減っています。

2016年には、偽造肥料の被害を受けました。取引先の肥料メーカーによる偽装で、味噌10トンが有機の格付けを受けられなくなっています。

2017年には、有機農産物の偽装被害により原料の供給が不足しました。

いずれも、原因は取引先やサプライチェーンの側にあります。自社でどれだけ丁寧に作っても、原料が本物でなければ有機の表示はできません。有機に懸けてきた会社にとって、最も痛い種類の被害です。

なお、原料へのこだわりは製造工程や職場環境にも及んでいます。2024年には、化学物質過敏症の方への配慮として、従業員に過度な化粧や香水、香りの強い柔軟剤の使用を控えることを求め、勤務時間中の喫煙を禁止しました。梱包時の香り移りの防止にも、個別に対応しています。

この事例から考えられること

1. 認証があっても、その前段の偽装は防げなかった

三度の原料偽装被害は、認証を取っていても前の段階で偽装があれば防げないことを示しています。自社で確認できる範囲と、取引先に頼るしかない範囲を分けて把握しておく必要があります。

2. 原料が使えなくなったときの判断が、その場に委ねられた

32トンを格下げ販売するという判断は、その場で下すには重いものです。有機の格付けが受けられなくなった場合の手順が先に決まっているかどうかで、負担の掛かり方が変わってきそうです。

3. こだわりの範囲が、製造の外まで及んでいる

香りの移り込みや喫煙まで管理するかどうかは、判断が分かれる領域です。原料だけにこだわって工程が緩ければ説明に穴が空く、という考え方が背景にあると読めます。

5. 小さな蔵が、発信で顧客とつながる

マルカワみそのもう1つの特徴が、発信と通信販売です。

河崎宏氏の長男・紘一郎氏(当時専務取締役)が、それまで年間約10万円規模だった自社サイトの通販を、サイトのリニューアルとコンテンツの作り込みによって伸ばしました。紘一郎氏は2019年に独立し、現在の専務取締役は次男の紘徳氏が務めています。

紘徳氏は1986年生まれ。辻調理師専門学校を卒業後、大阪の外資系ホテルの日本料理店で料理人としてキャリアを始め、2007年にマルカワみそへ入社しました。2015年には福井県で最年少となるみそ一級技能士(国家資格)に合格しています。

2020年にはYouTube「みそチャンネル」を開設しました。

「20〜30代の世代の”みそ離れ”は深刻です。朝食はパンの家庭が多くなり、みそ汁の作り方を知らない人が多いようです。動画なら興味を持ってもらえるかもと始めましたが、反響が大きくて驚いています」

「核家族が増え、世代から世代へ家庭のみその味を伝える日本の文化が廃れかけています。ぜひ手作りして、”我が家のみその味”を楽しんでもらいたいですね」

発信を続ける理由も、はっきりしています。

「私はこのままでは、お味噌の食文化が無くなってしまうと懸念している」「私は『和食の食文化を次世代に引き継ぎたい』という熱い想いを抱えてYouTubeやブログをしています」

「なんでお味噌屋さんがYouTubeなんか投稿しているんですか」と言われたこともあると前置きしたうえでの発言です。小学校の味噌作り教室で「今日の朝、お味噌汁飲んだ人は手を挙げて」と聞いたところ、挙手したのは3人だけだったという経験も語られています。

2021年からは、無料のオンライン味噌作り教室を毎月開催しています。手作り味噌を蔵で預かるサービスも提供しています。

「せっかく手作りしても、集合住宅など現代の家ではベストな環境で寝かせるのは困難です。最適な環境である『蔵』でお預かりして、しっかり熟成させるサービスは、全国でも類を見ないと、ご好評いただいています」

商品のラインも、この方針に沿って組まれています。

  • 米味噌の主力である有機みそのほか、有機の麦味噌、豆味噌、白味噌
  • 農薬も肥料も使わない自然栽培の原料と蔵付き麹菌を組み合わせた、最も原料にこだわったライン
  • 麹の単体販売(有機玄米麹、自然栽培玄米麹、有機白米麹など)
  • フリーズドライの味噌汁、家庭用の仕込みセット、甘酒

麹屋として始まった会社らしく、味噌だけでなく麹そのものも商品になっています。

海外への対応も、認証を起点に整えられています。有機JASの認証は2014年以降、米国のUSDAオーガニックとの同等性の協定を通じて「organic」の表示で輸出でき、EUのユーロリーフの表示にも対応が可能です。1996年にはOEMの有機味噌を海外へ輸出した記録もあります。

体験の場も2系統あります。1つが越前市の本社での蔵見学で、完全予約制です。木桶で仕込む現場、蔵付き麹菌の作業、有機原料の説明を、蔵の中で見せます。もう1つが出張の味噌作り教室で、みそ一級技能士の紘徳氏が講師を務め、大豆の炊き具合から教えます。どちらも、顧客と直接向き合う場になっています。

業界の将来についても、数字を挙げて語っています。

「全国で味噌屋は780社ほど」「味噌屋は将来50社で良い(全国の味噌の97%作れてしまう)」「このまま味噌の出荷量が右肩下がりだと、730社は廃業する、もしくは縮小するだろう」

自社が生き残るための前提として、市場の縮小を直視した発言です。

ローカルグローススタジオの分析:発信の目的が、自社の販売の外に置かれている

顧客獲得コストを下げるには「ストック>フロー」を意識しようで、私たちは、広告のように出稿を止めれば効果が消えるフロー型と、一度作れば効き続けるストック型を分けて考えるという考え方を書きました。予算の限られる企業ほど、ストック型の比重を上げる意味が大きくなります。

マルカワみそのYouTubeとnoteは、このストック型に当たります。しかも内容は、自社商品の宣伝ではありません。味噌汁の作り方や味噌の仕込み方、麹の話といった、味噌を食べる人を増やすための情報です。自社の商品を買ってもらうためではなく、味噌そのものの食文化を残すための発信という位置づけになっています。

同記事では、ストック型は効果が出るまで時間がかかるとも書きました。味噌離れという構造的な変化に対して、動画1本で効果が出ることはありません。それでも、市場そのものが縮めば自社の努力は実を結びません。自社の売上の手前にある市場を耕すという発想が、この発信を続ける理由になっています。

この事例から考えられること

1. 商品ではなく、使い方を発信している

味噌汁の作り方を教えることが、結果として味噌の需要につながっています。宣伝ではなく使い方の情報から入るという形です。

2. 業界の統計を、自分の言葉で語っている

「味噌屋は780社、50社で全国の97%を作れる」。市場の数字を自分で確認して語れることが、判断の前提になっていました。

3. 顧客が困る部分を、サービスとして引き受けている

自宅では熟成させる環境がないため、蔵で預かる仕組みを作りました。商品を売った後に顧客が困ることを、サービスにした例です。

6. ローカルグローススタジオの視点

冒頭に挙げた6つの観点を、本文で確認した事実で説明し直します。

1. 先代に反対されても、自分が正しいと思う方向へ舵を切っている

「無添加で無農薬のみそを造りたい」という提案は「できない、売れない」と却下されました。周囲の反応も「そんなものできんし売れんし、あかん」というものです。それでも1992年に着手し、2001年に北陸の味噌業界第1号の有機JAS認定工場となりました。

2. 一度やめた工程を取り戻すことが、他社に真似しにくい差になる

蔵付き麹菌の自家採取は、新技術の導入ではなく、途絶えていた習慣の復活です。外部から買う種麹は誰でも同じものが手に入りますが、自分の蔵の菌は、その蔵にしかありません。

3. 有機を続ける会社には、外から来るリスクがある

2007年の偽造有機米、2016年の偽造肥料、2017年の有機農産物の偽装は、いずれも取引先側の偽装が原因で、自社の努力では防げない被害でした。

4. 小さな蔵でも、発信と通販で顧客と直接つながれる

YouTube「みそチャンネル」、毎月のオンライン味噌作り教室、noteでの発信。発信の内容は自社商品の宣伝ではなく、味噌の食文化を残すための情報です。

5. 方針は守り、手段は変えている

1995年に子会社を作って自社栽培を進め、2000年にはその子会社を解散して専業農家との提携に切り替えました。有機を続けるという方針は変えずに、実現の手段だけを変えています。方針への固執と、手段への固執は別です。

6. こだわる理由が、味に置かれている

「その方が、うまいからだ」「答えは『美味しいから』。ただそれだけなんです」。有機も天然醸造も木桶も、理念の言葉ではなく、味の理由として説明されています。理念だけで語ると、顧客には遠い話になります。

本事例から見える経営とマーケティングの学び

マルカワみその物語は、地方の小さな味噌蔵が「業界全体の出荷量の減少」「有機原料の調達の難しさ」「無名であること」という3つの宿題を、30年以上かけて解いてきた事例として読めます。重要なのは、河崎宏氏が採算の合わない時期を9年以上耐えたこと、そして自社栽培という方法を途中で手放しても、有機という方針は変えなかったことです。

そして、蔵付き麹菌の復活は、新しいものを足したのではなく、いったん失ったものを取り戻す作業でした。地方の老舗が持つ最大の資源は、いま動いている設備ではなく、かつてやっていて今は誰もやらなくなった方法かもしれません。ブランドやリソースが薄い状態から成長を作る経営者にとって、マルカワみその歩みは「何を取り戻し、何を手放すか」を考えるための学びになります。

「ビジネス知の機会格差をなくす」という私たちのミッションに向けて、これからも実践的で価値ある情報を発信していきます。この記事の内容について、さらに詳しく知りたい方は、ぜひご連絡ください。