ローカルグローススタジオは、『地方企業にスタートアップのような成長を』というテーマで、コンテンツ発信と支援サービスを展開しています。この記事では、実践的なビジネスノウハウを、できるだけわかりやすくお伝えしていきます。
今回取り上げるのは、熊本県阿蘇郡南小国町の黒川温泉です。旅館が個別に競うのではなく、温泉街全体で景観を揃え、「入湯手形」で宿泊者が複数の宿の露天風呂を巡る仕組みを作ってきました。運営しているのは黒川温泉観光旅館協同組合です。
この記事は、地域の複数の担い手が組んで成果を出した事例を扱う「地域連携編」の1本です。誰が最初に動き、参加する側の取り分をどう設計し、続ける仕組みをどこに置いたかという観点で、1社では成立しない取り組みがどうやって回るようになったのかを読み解きます。
この記事の要約
先にストーリーの全体像です。黒川温泉観光旅館協同組合は1961年に旅館6軒で設立されました。最初に大きく動いたのは、新明館の3代目である後藤哲也氏です。父親の反対を押し切って裏山を掘り、洞窟風呂を作りました。ノミと金槌での作業で、3年ほどで入浴できる空間ができ、10年後に現在の形になっています。もう1つの動きが、景観です。1986年には看板がおよそ200本外され、雑木の植栽と建物の色調を揃える取り組みが進みました。同じ1986年に始まったのが「入湯手形」です。1枚で複数の宿の露天風呂を巡れる仕組みで、露天風呂を持たない宿にも人が回る形になっています。累計の販売枚数は2022年6月時点でおよそ310万枚です。宿泊者数は2003年に40万人でピークを迎え、その後は2016年の熊本地震などの影響を受けながら推移しています。2015年には北里有紀氏が組合史上最年少かつ女性で初めての代表理事となり、外部との協働や世代交代が進みました。
このストーリーから持ち帰れる観点は、次の7つです。それぞれ本文の章で事実を確認し、最後の7章で説明し直します。
1. 一人が自分の宿で始めたことが、地域に広がっている(1章)
2. 景観の方針が、足すのではなく引く形になっている(2章)
3. 入湯手形が、泊まった人を他の宿へ回す仕組みになっている(3章)
4. 入湯手形の発案者が、資料によって一致していない(3章)
5. 世代交代の過程に、反発があったことが記録されている(4章)
6. 外部の力を借りる判断に、行政の予算が使われている(4章)
7. 数字の出どころが、時点と主体によって分かれている(5章)
各章の末尾に、ローカルグローススタジオの分析と「この事例から考えられること」をまとめています。
参考資料一覧
- 黒川温泉 公式サイト「黒川温泉とは」(組合の設立、歴史年表、入湯手形の経緯、宿泊者数)
- 黒川温泉 公式サイト「入湯手形40周年プロジェクト」(2026年7月1日から2027年3月末の記念デザイン、発行枚数)
- 黒川温泉 公式サイト「令和8年熊本地震について」(2026年7月28日の地震と、その後の営業状況)
- 致知出版社Webマガジン「寂れた温泉街が、年間数百万人が訪れる観光地に、〝黒川温泉〟を創り上げた後藤哲也氏が語るリーダー像」(2025年5月16日公開。原典は『致知』2005年11月号)
- ケアニュース by シルバー産業新聞「黒川温泉振興の祖 後藤哲也さんに聞く」(2011年10月15日。ねんりんピック新聞2011in熊本)
- greenz.jp「リクルートじゃらんリサーチセンター三田愛さん・黒川温泉北里有紀さんに聞く『コ・クリエーションによる地方創生』」(2016年6月17日。組合内の合意形成、世代交代)
- ミツカン水の文化センター機関誌『水の文化』72号「〈第三世代〉が重ねる試行錯誤、『地域の力』で知名度上げた黒川温泉」(2022年9月取材)
- 学芸出版社まち座「黒川温泉郷『入湯手形』がリニューアル」(2022年6月28日。累計販売枚数、リニューアルの内容)
- 観光庁「観光地域づくり法人形成・確立計画(株式会社SMO南小国)」(令和7年7月30日記入。加盟旅館数、客室数、南小国町の延べ宿泊者数)
- PR TIMES 黒川温泉観光旅館協同組合「黒川堆肥で育てた”南小国産トマト”のクラフトジュース”yoin”販売」(2023年3月20日。当時の代表理事名、年間の来訪者数)
- 西日本新聞(2018年。後藤哲也氏の逝去)
- 温泉まちづくり研究会「2022年度第3回温泉まちづくり研究会を開催しました」(2023年2月。当時の代表理事名)
数字で見る黒川温泉
| 時点 | 数字 | 出典 |
|---|---|---|
| 1961年 | 黒川温泉観光旅館協同組合 設立(加盟旅館6軒) | 公式サイト 歴史年表 |
| 1986年 | 入湯手形の発行を開始(初期価格1,000円)。看板をおよそ200本撤去 | 公式サイト 歴史年表 |
| 1989年から1999年 | 宿泊者数が17万人から30万人へ | 公式サイト 歴史年表 |
| 2003年 | 宿泊者数40万人、推定入込客数120万人(ピーク) | 公式サイト 歴史年表 |
| 最盛期 | 入湯手形の年間販売枚数 およそ21万枚 | greenz.jp(北里氏の回顧) |
| 2015年5月 | 北里有紀氏が代表理事に就任(組合史上最年少、女性では初) | greenz.jp |
| 2016年 | 熊本地震。一部の旅館が長期休業。ゴールデンウィークにはほぼ通常営業へ | 公式サイト 歴史年表 |
| 2018年 | 後藤哲也氏 逝去(86歳) | 西日本新聞 |
| 2022年6月 | 入湯手形をリニューアル。累計販売枚数はおよそ310万枚、価格は1,300円で据え置き | 学芸出版社まち座 |
| 2023年3月時点 | 代表理事は音成貴道氏。年間およそ100万人が訪れ、うち宿泊は30万人 | PR TIMES |
| 2023年10月1日 | 入湯手形を1,300円から1,500円へ改定 | 公式サイト |
| 令和6年度 | 南小国町の延べ宿泊者数 38.16万人 | 観光庁 DMO計画書 |
| 2025年時点 | 加盟旅館30軒、およそ450室、収容1,800名。南小国町全体の宿泊施設はおよそ50軒 | 観光庁 DMO計画書 |
| 2026年7月28日 | 令和8年熊本地震(マグニチュード7.1)が発生 | 公式サイト |
| 2026年7月1日から2027年3月末 | 入湯手形40周年の記念デザインを5万枚発行予定 | 公式サイト |
数字の読み方を、先に3点断っておきます。1つは、来訪者の数え方です。宿泊者数と入込客数は別の数字で、公式サイトの2003年の記録では宿泊40万人に対して入込120万人です。年間およそ100万人という表現が使われる場合、宿泊とそれ以外を合わせた数を指しています。2つ目は、代表理事です。2015年に就任した北里有紀氏は、2023年3月時点では代表理事ではなく、その時点の代表理事は音成貴道氏でした。2024年以降の現職を示す資料は今回の調査では確認できなかったため、この記事では時点を添えて書いています。3つ目は、入湯手形の年次ごとの販売枚数です。導入初年度や5年後の枚数として流通している数字がありますが、一次資料での裏付けを確認できませんでした。この記事では、累計と最盛期の数字だけを使います。
1. 一人が、裏山を掘った
父親の反対を押し切って始めた
黒川温泉で最初に大きく動いたのは、新明館の3代目である後藤哲也氏です。始めたのは、自分の宿の裏山を掘ることでした。
「父親に相談したら、猛反対でしたな。『事故が起きたらどげんするとじゃ。やめとけ』言うて。しかし、僕はほかに生きる道はないという思いがあったもんだから、反対を押し切って計画を断行したとです」
家族の反対がある状態からの着手です。地域全体の合意でも、行政の計画でもありません。1軒の宿の判断として始まっています。
作業の様子も語られています。
「いまのように電気ドリルのようなもんはないでしょう。ノミと金槌で掘り進めていきました。岩盤にぶつかると朝から晩まで頑張ってみても2センチほどしか掘れないこともあった」
3年で使え、10年で今の形になった
完成までの時間についても、2段階で説明されています。
「設計図があるわけじゃなし、いつになったら完成するとも分からん毎日でしたが、三年ほどするとお客さんに入っていただくだけの空間ができました」
「もちろん、僕はそれで満足したわけじゃありません。女性専用風呂、混浴風呂とそれからも拡張を続けました。(中略)裏山を掘り始めてから十年後にいまのような形ができ上がりました」
3年で使える状態になり、そこから7年かけて広げています。完成してから使い始めたのではなく、使える範囲から使い、拡張を続けた形です。
ローカルグローススタジオの分析:「何のために」を先に持っていた個人の動きが、後から地域の形になった
私たちは間違ってはいけない戦略の順番|ビジョン→事業→商品→営業→組織という記事で、戦略には順番があり、「何のために事業をやるか」が先に決まっていれば、その下の判断(何を売るか、どう売るか)が決まりやすいと書きました。
黒川温泉を読み解くと、最初に動いたのは組合でも行政でもなく、1軒の宿でした。後藤氏が持っていたのは「ほかに生きる道はない」という状況認識です。そこから、掘るという手段が出てきています。
同記事では、「何のために」が決まっていれば、その下の判断が速くなると書きました。この事例では、それが1軒の中で起きています。周囲の合意を取ってから始める形ではありませんでした。地域連携の事例として読むときに押さえておきたいのは、連携より先に個別の動きがあったという順序です。次の章で見る景観の話も、この個人の動きが元になっています。
この事例から考えられること
照らし合わせてみる項目
- 地域の取り組みが、誰の動きから始まったかを確認できるか
- 合意を取る前に動いた人が、いなかったか
- 使える範囲から使い始める進め方をしているか
- 完成の形を、途中で広げてきたか
- 最初の動きが、周囲にとって当然の判断だったか
事例から読み取れること
1. 一人が自分の宿で始めたことが、地域に広がっている
裏山を掘る作業は、家族の反対を押し切って始まっています。地域の合意や行政の計画からではありません。
2. 3年で使い始め、10年かけて広げている
「三年ほどするとお客さんに入っていただくだけの空間ができました」と語られ、そこから拡張が続きました。
3. 手段が、状況認識から出ている
「ほかに生きる道はない」という認識が先にあり、そこから掘るという手段が選ばれています。
2. 足すのではなく、引いた
京都での観察が起点になった
景観についての考え方は、外での観察から来ています。
「伝統的な日本庭園の観光客が減って、今度は自然の木が植わっている庭のあるお寺の客が増えている。一体これは何事じゃろうか?そう考えました。いま振り返ると、この時の気づきがなかったら黒川温泉のいまはなかったでしょう」
整えた庭より自然の木が植わった庭に人が集まっているという観察が、後の雑木の植栽につながっています。
1986年、看板をおよそ200本外した
1986年、黒川温泉では看板がおよそ200本撤去されました。同じ時期に、雑木の植栽と建物の色調を揃える取り組みが進みます。
普通に考えれば、看板は集客のために立てるものです。それを外すという判断は、1軒だけでは成立しません。自分の宿の看板を外しても、隣の宿が残していれば景観は揃わないためです。
この点について、後藤氏は温泉街全体で揃える必要を語っています。
「極端な話だが純和風の風景に、一つ洋風ホテルが建ってしまえば、たちまち景観を壊し、お客さんはしらけてしまいます。温泉街全体で足並みを揃えて、統一されたものを作っていく必要があったのです」
1軒でやっても意味がなく、全体でやると効いてくるという性質が、連携が必要になる理由になっています。
全体の一体化という考え方
リーダーについての考え方も語られています。
「自分だけが儲かろうと思っても、そんな世の中じゃなか。自分一人で生きられん時代に入ったわけですよ。そう思うと、いまこそ常に全体の一体化に目を向けられるリーダーが必要じゃなかでしょうか」
自分の宿が儲かることと、温泉街全体が続くことを分けていません。
一方で、続けることの難しさも、同じ取材で語られています。
「景観づくりもようやく仕上がってきた。でもこれからが難しい。人間相手の商売だから」
ローカルグローススタジオの分析:引き算が、真似しにくい条件になっている
私たちは地方企業やスタートアップに共通する、低リソース・ブランド無しの戦わない戦略という記事で、資源で劣る側が正面から競わない方法について書きました。
温泉地が集客のために競うとき、多くは足す方向に動きます。設備を増やし、看板を出し、規模を大きくします。この競争では、資金の多い側が有利です。黒川温泉が取ったのは、逆の方向でした。看板を外し、色を揃え、雑木を植えるという引き算です。
同じ記事では、競合との直接対決を避け、自社の強みを最大化すると書きました。この事例では、避けた競争が「目立つこと」です。代わりに強みにしたのは、街全体としての見え方でした。しかもこの強みは、1軒では作れません。30軒が揃って初めて成立します。真似しようとする側も、同じ数の合意が必要になります。連携そのものが、条件になっている形として読めます。
この事例から考えられること
照らし合わせてみる項目
- 集客のために足してきたものの中に、外せるものがないか
- 1軒だけでやっても効果が出ないことに、取り組めているか
- 揃えることで生まれる価値を、言葉にできているか
- 自分の店の利益と、地域全体の継続を分けて考えていないか
- 外での観察が、自社の方針に反映されているか
事例から読み取れること
1. 景観の方針が、足すのではなく引く形になっている
1986年に看板がおよそ200本撤去され、雑木の植栽と色調の統一が進みました。目立つ方向とは逆の判断です。
2. 1軒では成立しない性質が、連携の理由になっている
「温泉街全体で足並みを揃えて、統一されたものを作っていく必要があったのです」と語られています。
3. 起点が、外での観察にある
京都で見た庭と人の集まり方が、雑木の植栽という判断につながっています。
3. 入湯手形という仕組み
1枚で、複数の宿の露天風呂を巡る
1986年、看板の撤去と同じ年に始まったのが「入湯手形」です。1枚で複数の宿の露天風呂に入れる仕組みで、初期の価格は1,000円でした。
この仕組みの効果は、泊まった人の動き方に表れます。1軒に泊まった人が、他の宿の風呂にも入ります。宿から見ると、自分のところに泊まっていない人が風呂に来ることになります。
露天風呂を持たない宿にとっては、この形が意味を持ちます。手形を売ることで、直接の宿泊がなくても収入が生まれる形になります。
累計の販売枚数は、2022年6月時点でおよそ310万枚です。最盛期の年間販売枚数は、およそ21万枚と語られています。
価格と中身は変わってきた
2022年6月にはリニューアルが行われました。円形の木札という形は残しつつ、焼き印のデザインが変わっています。使い方も広がり、露天風呂を3か所巡る形に加えて、露天風呂2か所と飲食または土産を1か所という選び方ができるようになりました。この時点で価格は1,300円で据え置かれています。
2023年10月1日には、価格が1,300円から1,500円へ改定されました。
2026年7月1日から2027年3月末にかけては、40周年の記念デザインが5万枚発行される予定です。
発案者は、資料によって一致していない
入湯手形については、「露天風呂を持たない2軒のために生まれた」という説明が広く知られています。ただし、誰が最初に言い出したかについては、資料によって一致していません。
公式サイトの説明には発案者の名前がありません。テレビ番組から派生した記事では、別の人物の発案として書かれています。後藤哲也氏本人の取材記事には、この経緯への直接の言及が見当たりませんでした。
この記事では、発案者を特定していません。仕組みが1986年に始まったという事実と、その仕組みが何をしているかを書いています。
ローカルグローススタジオの分析:参加する側の取り分が、仕組みに組み込まれている
私たちはターゲットと便益を5-10パターンに整理するという記事で、同じサービスでも相手によって得られる価値が違うため、誰に、何を、どんな独自性で届けるかを相手ごとに整理するという考え方を書きました。
入湯手形には、相手が2種類います。手形を買う人と、参加する宿です。買う人にとっては、1枚で複数の風呂を巡れることが価値になります。宿にとっては、自分のところに泊まっていない人からも収入が生まれることが価値になります。
同じ記事では、相手にとっての価値を言葉にすることが、訴求や施策を決める出発点になるとも書きました。地域の連携が続かなくなる理由の多くは、参加する側の取り分がはっきりしないことにあります。入湯手形は、その取り分が仕組みの中に入っています。手形を持った人が来て、その分の収入がその宿に入る形です。景観を揃えるという取り組みが、直接の収入につながりにくいのに対して、入湯手形は参加のたびにお金が動きます。
この事例から考えられること
照らし合わせてみる項目
- 地域の取り組みに、参加する側の取り分があるか
- その取り分が、仕組みの中に組み込まれているか
- 自分の顧客ではない人からも、収入が生まれる形があるか
- 価格や中身を、時期に応じて変えてきたか
- 発案者や由来を、確認できる範囲で書いているか
事例から読み取れること
1. 入湯手形が、泊まった人を他の宿へ回す仕組みになっている
1枚で複数の宿の露天風呂を巡る形です。露天風呂を持たない宿にも、手形を通じて収入が入ります。
2. 参加する側の取り分が、仕組みの中にある
景観を揃える取り組みと違い、入湯手形は使われるたびにお金が動きます。参加の理由が仕組みに入っています。
3. 発案者が、資料によって一致していない
公式サイトには発案者の名前がなく、別の資料では異なる人物とされています。この記事では特定していません。
4. 世代が代わるときに起きたこと
「東京の大企業なんてあやしい」
2015年5月、北里有紀氏が組合史上最年少かつ女性で初めての代表理事に就任します。歴史の宿「御客屋」の7代目です。
この時期、外部の企業と組んで新しい取り組みを行う話が出ます。ところが、組合内の反応は厳しいものでした。
「これを受けて、北里さんは予算を投入して新たな取り組みをやらせてほしいと、青年部の親組織にあたる黒川温泉旅館組合に頼みました。しかし、組合のメンバーの反応は冷たいものだったのだそう。『東京の大企業なんてあやしい。だまされとる。冷静になって頭を冷やせ』と却下されてしまいます」
この反応について、北里氏本人は自分の側の問題としても振り返っています。
「今思えば、話の持っていき方がまずかったな、とも思います。数十年にわたって、外部の力を借りることなく、自分たちだけの力で黒川温泉を守ってきた親世代が、外部の、しかも東京という大都会の会社からの提案を警戒するのは当然です」
親世代の警戒を、当然のことだと書いています。反対した側を否定する書き方になっていません。
別の予算のルートを見つけた
止まった話を進めたのは、別の道でした。
「年は近かったけど、これまであまり話したことのなかった町役場の人に相談してみたら、旅館組合の予算を割かなくても補助金でカバーできることになりました。そうして、組合を説得することができました」
組合の予算を使うことが反対の理由の1つだったため、その部分を外しています。行政の補助金に置き換えることで、組合が負担するものがなくなりました。
説得の内容を変えたのではなく、条件のほうを変えた形です。
世代交代は、否定の形ではなかった
その後の推移についても、記録があります。
「セッションが進行していくのと同時に、温泉旅館組合の代替わりが進んでいきました。現在は役職をすべて若手世代が務めています。それは決してクーデターのような、若手世代が親世代を否定するようなものではなく、若手世代は親世代のこれまでに敬意を払い、親世代は若手世代の心意気を認めて後進にバトンを渡すというような形の、理想的な世代交代でした」
背景として、親世代の側にも事情があったことが説明されています。
「親世代には、黒川温泉の最盛期を築いたという強烈な成功体験がありました。(中略)その一方で、Uターンして戻ってきた私の目には、最盛期の勢いが少しずつなくなってきているように見え、将来に危機感を抱くようになっていました」
成功体験があることと、危機感を持つことが、それぞれの立場から説明されています。
地震のときに考えたこと
2016年の熊本地震では、一部の旅館が長期の休業を余儀なくされました。街全体としては、発生からおよそ1か月後のゴールデンウィークにはほぼ通常の営業に戻っています。ただし、熊本や阿蘇を経由するアクセスが不便になったことと風評の影響で、観光客は減りました。地震前の水準に近づいたのは2018年ごろとされています。
このときの受け止めも語られています。
「観光業には衣食住のすべてが含まれていて、その先にはさまざまな取引先があります。もし旅館がなくなったら、5年後、10年後にこの地域の人びとの暮らしはどうなるのか。自分たちは地域経済を支えているのだと、責任を痛感しました」
ローカルグローススタジオの分析:続ける仕組みが、組合という形に置かれている
私たちは顧客獲得コストを下げるには「ストック>フロー」を意識しようという記事で、広告のように止めれば効果が消えるフロー型と、一度作れば効き続けるストック型を分けて考えるという考え方を書きました。
黒川温泉が積み上げてきたのは、景観と、入湯手形の仕組みと、組合という意思決定の場です。景観は1986年から40年かけて作られてきました。入湯手形は累計310万枚が売れています。
同じ記事では、ストック型は積み上がるまで時間がかかる分、積み上がれば効き続けるとも書きました。この事例で見えるのは、積み上げたものを続ける場所が組合に置かれていることです。個人が始めたことでも、組合に移っていれば、その人が代わっても続きます。実際、2015年に代表理事が代わり、2023年時点ではさらに別の人になっています。
ただし、場があることは合意が取れることを意味しません。外部との協働をめぐって反発が起きたことも記録されています。続ける仕組みがあるということと、そこで何でも決められることは別だ、という点も同時に見えます。
この事例から考えられること
照らし合わせてみる項目
- 地域の取り組みを続ける場が、個人ではなく組織に置かれているか
- 反対されたときに、説得ではなく条件を変える道を探せるか
- 反対した側の理由を、当然のことと理解できているか
- 世代交代が、否定の形になっていないか
- 災害などの後に、地域経済との関係を捉え直しているか
事例から読み取れること
1. 世代交代の過程に、反発があったことが記録されている
「東京の大企業なんてあやしい」という反応が、そのまま記事に残っています。滑らかに進んだ話にはなっていません。
2. 外部の力を借りる判断に、行政の予算が使われている
組合の予算を使わずに済む形へ条件を変えたことで、話が進みました。説得の内容ではなく、条件のほうが変わっています。
3. 続ける場が、組合という形で残っている
代表理事は2015年に代わり、2023年時点ではさらに別の人です。個人ではなく組織に置かれていることが分かります。
5. 公開されている数字と、その出どころ
来訪者の数字は、種類が複数ある
黒川温泉について語られる数字のうち、扱いに注意が要るのが来訪者です。
公式サイトの歴史年表では、2003年に宿泊者数40万人、推定入込客数120万人とされています。この2つは別の数字です。2023年3月のリリースでは「年間約100万人(うち宿泊30万人)」、公式の2030年に向けたサイトでは「年間平均で宿泊30万人、入込客90万人」とされています。2021年時点の記事では年間入込客数がおよそ90万人です。
観光庁のDMO計画書には、南小国町の延べ宿泊者数として令和6年度38.16万人という数字があります。これは黒川温泉だけではなく、町全体の数字です。同じ資料では、南小国町全体の宿泊施設がおよそ50軒、黒川温泉の加盟旅館が30軒(およそ450室、収容1,800名)とされています。
入湯手形の年次の枚数は、裏付けを確認できなかった
入湯手形については、累計およそ310万枚(2022年6月時点)と、最盛期の年間およそ21万枚という数字を確認できました。
一方、導入初年度の枚数や5年後の枚数として流通している数字については、一次資料での裏付けを確認できませんでした。この記事では使っていません。
代表理事は、時点によって違う
代表理事についても、確認が必要でした。2015年5月に就任した北里有紀氏は、2023年3月時点では代表理事ではありません。同時点のリリースと研究会の資料では、代表理事は音成貴道氏です。2024年以降の現職を示す資料は、今回の調査では確認できませんでした。
新明館の後藤哲也氏は、2018年に86歳で亡くなっています。現在形で書かれた紹介を見かけることがありますが、この記事では時点を分けて書いています。
単一の施策に、成果を帰していない
1986年の入湯手形の導入と、その後の宿泊者数の増加は、時系列としては前後しています。1989年に17万人だった宿泊者数は、1999年に30万人、2003年に40万人となりました。
ただし、同じ時期に看板の撤去、雑木の植栽、建物の色調の統一が並行して進んでいます。どの施策がどれだけ効いたかを分けて示す資料は、今回の調査では見つかりませんでした。この記事では、入湯手形1つで説明する書き方をしていません。
ローカルグローススタジオの分析:語られ方と、資料が示す範囲を分ける
私たちは2章でも触れた戦わない戦略の記事で、大手と直接ぶつからない場所を選ぶことについて書きました。
黒川温泉は、地域の連携の成功例として語られることが多い事例です。その中で「入湯手形が地域を救った」「後藤哲也氏が街を作り直した」という形の説明もよく見かけます。
一方、一次資料が示しているのは、複数の施策が同時に進んだことと、組合内に軋轢があったことです。後藤氏の取材記事は本人の視点で書かれており、組合との合意形成の過程についての記述は多くありません。その部分は、北里氏の証言のほうに具体的に残っています。
読む側としてできるのは、語られ方と、資料が示す範囲を分けることです。この記事で発案者を特定せず、単一の施策に成果を帰していないのは、この理由によります。
この事例から考えられること
照らし合わせてみる項目
- 来訪者の数字が、宿泊と入込のどちらかを確認しているか
- 地域全体の数字と、自社や自組合の数字を分けているか
- 成果を、単一の施策に帰していないか
- 役職者の情報に、時点を添えているか
- 語られている物語と、資料が示す範囲を分けられるか
事例から読み取れること
1. 数字の出どころが、時点と主体によって分かれている
宿泊者数と入込客数、町全体と組合、公式と観光庁の資料で、指している範囲が違います。
2. 年次ごとの販売枚数には、裏付けを確認できないものがある
入湯手形の導入初年度や5年後の枚数は、一次資料で確認できませんでした。累計と最盛期の数字だけを使っています。
3. 複数の施策が、同じ時期に進んでいる
入湯手形、看板の撤去、雑木の植栽、色調の統一が並行しています。どれがどれだけ効いたかを分ける資料はありません。
6. 2026年の現在地
直近の地震
2026年7月28日16時27分頃、マグニチュード7.1の令和8年熊本地震が発生しました。黒川温泉の公式サイトには、この地震についての案内が掲載されています。
温泉街そのものは被害がなく、営業を続けていることが確認できます。ただし、風評やキャンセルの規模を示す数字は、今回の調査では確認できませんでした。2016年の地震の際には、街の被害が小さくても観光客が減り、地震前の水準に近づくまでに2年ほどかかっています。今回の影響がどうなるかは、現時点では分かりません。
入湯手形は40年目に入った
2026年7月1日から2027年3月末にかけて、入湯手形の40周年を記念したデザインが5万枚発行される予定です。1986年に始まった仕組みが、40年続いていることになります。
価格は2023年10月に1,500円へ改定されました。使い方も、露天風呂3か所を巡る形と、露天風呂2か所に飲食または土産を組み合わせる形から選べます。仕組みの骨格は変えずに、中身が更新されてきた形です。
組合の外にも動きがある
2023年3月には、黒川で出た堆肥で育てた南小国産トマトを使ったクラフトジュースが、組合の名前で発表されています。旅館業以外の分野へ広がる取り組みです。
南小国町には、地域づくりを担う法人として株式会社SMO南小国もあります。観光庁のDMO計画書によれば、南小国町全体の宿泊施設はおよそ50軒で、そのうち黒川温泉の加盟旅館が30軒です。町の中に、黒川温泉以外の宿もあることになります。
ローカルグローススタジオの分析:骨格を変えずに中身を更新する
私たちは4章でも触れたストックの記事で、一度作ったものが効き続けることを書きました。
入湯手形は40年続いています。この間、価格は1,000円から1,500円へ変わり、使い方も広がりました。円形の木札という形と、複数の宿を巡るという仕組みは残っています。
同じ記事では、ストック型は一度作れば効き続けるとも書きました。40年という時間そのものが、後から作れない部分です。同時に、40年続けるためには中身を変える必要もありました。価格を据え置いたままだったり、露天風呂3か所という使い方だけを続けていたりすれば、40年目まで届かなかった可能性もあります。
骨格を残すことと、中身を変えることを分けて進めてきた例として読めるかもしれません。
この事例から考えられること
照らし合わせてみる項目
- 長く続いている仕組みの、骨格と中身を分けられるか
- 価格や使い方を、時期に応じて見直しているか
- 災害の後の影響を、数字で把握できているか
- 自組織の外に、同じ地域で動いている担い手がいるか
- 本業以外の分野へ、取り組みが広がっていないか
事例から読み取れること
1. 仕組みの骨格を変えずに、中身を更新している
円形の木札と複数の宿を巡る形は残しつつ、価格と使い方が変わってきました。
2. 直近の地震の影響は、まだ数字で分からない
2026年7月の地震について、温泉街の営業は続いています。風評やキャンセルの規模を示す資料は今回の調査では見つかりませんでした。
3. 地域には、他の担い手もいる
南小国町全体の宿泊施設はおよそ50軒で、黒川温泉の加盟旅館は30軒です。町のすべてが組合というわけではありません。
7. ローカルグローススタジオの視点
冒頭に挙げた7つの観点を、本文で確認した事実で説明し直します。
1. 一人が自分の宿で始めたことが、地域に広がっている
新明館の後藤哲也氏は、父親の反対を押し切って裏山を掘り始めました。ノミと金槌での作業で、3年ほどで入浴できる空間ができ、10年で現在の形になっています。
地域連携の事例として読むときに押さえておきたいのは、この順序です。連携が先にあって個人が動いたのではなく、個人が動いた後に地域の形ができています。合意を取ってから始める形ではありませんでした。
2. 景観の方針が、足すのではなく引く形になっている
1986年、看板がおよそ200本撤去されました。同じ時期に雑木の植栽と建物の色調の統一が進みます。起点になったのは、京都で見た庭と人の集まり方でした。
この方針の特徴は、1軒では成立しないことです。「一つ洋風ホテルが建ってしまえば、たちまち景観を壊し、お客さんはしらけてしまいます」と語られています。揃えることでしか価値が出ないため、連携が必要になります。真似しようとする側も、同じ数の合意が要ることになります。
3. 入湯手形が、泊まった人を他の宿へ回す仕組みになっている
1986年に始まり、1枚で複数の宿の露天風呂を巡れる形です。累計の販売枚数は2022年6月時点でおよそ310万枚、最盛期の年間販売枚数はおよそ21万枚と語られています。
この仕組みでは、参加する側の取り分が組み込まれています。景観を揃える取り組みが直接の収入につながりにくいのに対して、入湯手形は使われるたびにお金が動きます。露天風呂を持たない宿にも、収入が入る形です。連携が続く理由の1つが、ここにあると読めるかもしれません。
4. 入湯手形の発案者が、資料によって一致していない
「露天風呂を持たない2軒のために生まれた」という説明が広く知られていますが、誰が最初に言い出したかは資料によって違います。公式サイトには発案者の名前がなく、別の資料では異なる人物とされています。
この記事では、発案者を特定していません。仕組みが始まった年と、その仕組みが何をしているかを書いています。
5. 世代交代の過程に、反発があったことが記録されている
2015年に北里有紀氏が代表理事に就任した後、外部の企業との協働をめぐって「東京の大企業なんてあやしい。だまされとる。冷静になって頭を冷やせ」という反応があったことが記録されています。
北里氏本人は、この反応を「警戒するのは当然です」と書いています。反対した側を否定していません。その後の世代交代についても「クーデターのような、若手世代が親世代を否定するようなもの」ではなかったと説明されています。滑らかな成功例として語られやすい事例ですが、経緯には軋轢が含まれています。
6. 外部の力を借りる判断に、行政の予算が使われている
止まった話を進めたのは、町役場への相談でした。組合の予算を割かずに補助金で賄える形にしたことで、組合を説得できたと語られています。
説得の内容を変えたのではなく、条件のほうを変えています。反対の理由が予算の負担にあったため、その部分を外した形です。地域の連携で合意が取れないときの進め方として、読み取れる部分があります。
7. 数字の出どころが、時点と主体によって分かれている
宿泊者数と入込客数は別の数字で、2003年の記録では宿泊40万人に対して入込120万人です。観光庁の資料にある令和6年度38.16万人は、南小国町全体の延べ宿泊者数です。代表理事も、2015年の北里有紀氏と2023年の音成貴道氏で違います。
入湯手形の年次ごとの販売枚数についても、一次資料で確認できないものがありました。また、1986年の入湯手形の導入と宿泊者数の増加は時系列としては前後しますが、同時期に景観の取り組みも進んでいます。どの施策がどれだけ効いたかを分ける資料はなく、この記事では単一の施策に成果を帰していません。
本事例から見える経営とマーケティングの学び
黒川温泉の物語は、1軒の宿の動きが地域全体の形になった事例として読めます。順序をたどると、次の並びになります。
- 1軒が裏山を掘った
- 京都での観察から引き算の景観という方針が生まれた
- 1986年に看板の撤去と入湯手形が同時に始まった
- 参加する側の取り分が仕組みに組み込まれた
- 組合という場が続ける仕組みになった
- 世代が代わりながら40年続いている
上の分析で触れたとおり、この事例には4つの見方が重なっています。「何のために」の判断が1軒から始まったこと、引き算が真似しにくい条件になったこと、参加する側の取り分が仕組みに入っていること、そして続ける場が個人ではなく組織に置かれていることです。
同時に、この事例は語られ方と資料の範囲を分けて読む必要がある対象でもあります。成功例として滑らかに紹介されやすい一方、記録には組合内の反発が残っています。発案者は資料によって違い、数字は宿泊と入込、組合と町で範囲が分かれます。地域の連携を読むときには、誰が何を負担し、誰に何が返っているかを1つずつ確認する必要がある、という点も持ち帰れる部分です。
「ビジネス知の機会格差をなくす」という私たちのミッションに向けて、これからも実践的で価値ある情報を発信していきます。この記事の内容について、さらに詳しく知りたい方は、ぜひご連絡ください。

執筆者 : 佐久間 一己 (さくま かずき)
つなぐスタジオ株式会社 代表取締役社長 / ローカルグローススタジオ Director
リクルート営業マネージャーを経て、福井県小浜市で道の駅・古民家ホテルの集客支援と行政の産業6次化に4年携わり、その後ユーザベースFORCAS(現Speeda)カスタマーサクセスマネージャー、スタートアップ執行役員、フィンテック事業責任者を務め、2025年に地方企業向けのマーケティング代理店を設立。BtoB事業でWEBメディアを立ち上げオーガニック流入を3か月で20倍に伸ばすなど、知名度や予算が限られる時期に効くマーケティングと採用の手法を、地方企業の規模に合わせて伴走します。


