先進企業に学ぶ(アトツギ編) – 鈴廣かまぼこ|縮む市場で「老舗にあって、老舗にあらず」を掲げ、161年目の襷を渡すまで

ローカルグローススタジオは、『地方企業にスタートアップのような成長を』というテーマで、コンテンツ発信と支援サービスを展開しています。この記事では、実践的なビジネスノウハウを、できるだけわかりやすくお伝えしていきます。

今回取り上げるのは、神奈川県小田原市風祭の鈴廣かまぼこです。1865年(慶応元年)、小田原代官町で網元漁商を営んでいた四代目村田屋鈴木権右衛門が蒲鉾製造を始めたのが創業です。現在は、ホールディングス的な機能を担う株式会社鈴廣蒲鉾本店を中心に、製造の鈴廣かまぼこ株式会社、業務用卸のスズヒロシーフーズ株式会社、原材料の海外調達のインターシーズ株式会社などで構成されています。2025年8月時点のグループ連結売上高は104億9000万円、従業員は653名です。2025年9月8日、10代目の鈴木博晶氏が代表取締役社長を退任して会長に就き、11代目として鈴木智博氏が社長に就任しました。

家業を継ぐ経営者は、引き継ぐ会社を選べません。与えられた会社の中の何を変え、何を守るかの見極めがすべてになります。鈴廣がその見極めのために掲げてきた言葉が、1989年に制定された社是「老舗にあって、老舗にあらず」です。家業を継いだ方、これから継ぐ方に向けた事例として読み解きます。

この記事の要約

先にストーリーの全体像です。鈴廣は1962年に小田原市風祭へ工場を移し、直売店の姉妹会社を設立して、箱根の玄関口に自社の売り場を持つ会社になりました。1987年、当時20代だった鈴木博晶氏は、創業8代目の祖父と、それを継いだ父を相次いで亡くします。母の智惠子氏が9年間会社を率いた後、1996年に32歳で博晶氏が10代目社長に就任しました。以後、食品を「体をつくるもの」と捉える経営方針のもと、1999年には調味料と着色料の天然素材化をほぼ全製品で実現し、保存料は完全に使わない体制を作ります。風祭の拠点は「鈴廣かまぼこの里」として、博物館、体験教室、食事処、地ビール店を備えた施設群に育ちました。1967年の第43回大会から、箱根駅伝の小田原中継所は鈴廣の敷地に置かれ、約60年にわたって襷の受け渡し地点になっています。米国で10年間かまぼこ普及事業を担った弟の鈴木悌介氏は、帰国後に経営を支え、2012年には「エネルギーから経済を考える経営者ネットワーク会議」を発足させました。近年は「魚肉たんぱくで世界を健やかに」を掲げ、未利用魚の活用や大学との共同研究にも踏み込んでいます。2025年9月、博晶氏は11代目の鈴木智博氏へ社長を譲りました。

このストーリーから持ち帰れる観点は、次の9つです。それぞれ本文の章で事実を確認し、最後の8章で説明し直します。

1. 社是が、判断に使える一文になっている(2章)

2. 観光地の中に、売り場ではなく滞在の理由をつくっている(3章)

3. 広告ではなく、地域の行事に投資している(4章)

4. エネルギーや環境を、経営戦略の側に置いている(5章)

5. 原料も需要も減る前提で、次の商売を今の商売の隣に置いている(6章)

6. 承継の空白は、前の世代が埋めることがある(全体)

7. 積み上げに、世代をまたぐ時間がかかっている(全体)

8. 規模の上限を、経営者の身体で決めている(全体)

9. 建物や設備を建てることで、社員の考え方を変えている(全体)

各章の末尾に、ローカルグローススタジオの分析と「この事例から考えられること」をまとめています。

参考資料一覧

数字で見る鈴廣かまぼこ

時点数字出典
1865年創業(四代目村田屋鈴木権右衛門が網元漁商のかたわら蒲鉾製造を開始)公式サイト 沿革
1887年頃六代鈴木廣吉が千度小路へ移転し蒲鉾製造で独立。屋号を「鈴廣」に定める公式サイト 沿革
1951年3月株式会社鈴廣蒲鉾店へ改組公式サイト 沿革
1962年3月小田原市風祭へ進出、「鈴廣蒲鉾工業株式会社」へ改称。直売店として姉妹会社「鈴廣商事株式会社」を設立公式サイト 沿革
1967年箱根駅伝第43回大会から、小田原中継所が鈴廣の敷地内に置かれる神奈川新聞、公式イベント情報
1989年新社是・企業理念を制定(「老舗にあって、老舗にあらず」)公式サイト 沿革
1996年鈴木博晶氏が32歳で10代目社長に就任本人談(SENDAI CORE COMPANY)
1999年調味料・着色料の天然素材化をほぼ全製品で実現、保存料は完全不使用に。県と協働し「森林再生パートナー」として水源林保全に参加公式サイト 沿革、SDGs取組事例
2009年6月ビュッフェレストラン「えれんな ごっそ」開業公式サイト
2012年3月鈴木悌介氏が「エネルギーから経済を考える経営者ネットワーク会議」を発足。発足時に全国の中小企業経営者300人以上が参加エネ経会議、greenz.jp
2015年8月ZEB(ネット・ゼロ・エネルギー・ビル)本社ビル完成。省エネ率は同規模建物比で約60%(資料により54.6%〜63%と幅あり)公式サステナビリティレポート、greenz.jp
2016年度超特選蒲鉾「古今」が全国蒲鉾品評会で農林水産大臣賞を受賞公式商品ページ
2025年8月グループ連結売上高104億9000万円、従業員653名公式サイト 会社概要
2025年9月8日11代目・鈴木智博氏が社長就任、博晶氏は会長へ、智惠子氏は名誉顧問へPR TIMES 公式リリース

業界の縮小について、11代目の鈴木智博氏は「練り製品の市場規模は、40年前の100万トンから現在は40数万トンにまで縮小」と説明しています(SENDAI CORE COMPANY、2025年)。半分以下になった市場の中で、グループ売上を100億円規模まで伸ばしてきたのがこの事例です。

1. 1962年の風祭移転と、1987年に続いた2つの死

江戸の宿場町から始まった商売

鈴廣の歴史は1865年(慶応元年)にさかのぼります。当時、四代目村田屋鈴木権右衛門が、小田原代官町で網元漁商を営むかたわら、副業として蒲鉾製造を始めました。江戸時代の小田原宿は東海道五十三次の宿場町として栄え、参勤交代の大名や箱根温泉を訪れる旅人の食膳に蒲鉾が並ぶようになっていた時期にあたります。

もう少し具体的に言うと、鈴廣の前身は「村田屋」という魚問屋でした。箱根の旅籠などへ魚を卸す商売です。四代目の村田屋権右衛門が、その副業として魚の練り製品を始めたのが創業のきっかけでした。相模湾で豊富に魚が獲れたことに加えて、小田原の地下水がかまぼこ造りに適した水質を持っていたことが、当時から品質の高いかまぼこを作れた理由だと説明されています。

1887年(明治20年)頃、六代鈴木廣吉が千度小路(現在の小田原市本町)に店を移転し、蒲鉾製造を本業として独立しました。屋号を「鈴廣」と定めたのはこのときです。この屋号は、六代の名前である「鈴木廣吉」に由来しています。戦後の1951年(昭和26年)3月には「株式会社鈴廣蒲鉾店」と改称し、個人経営から会社組織への改組を実施しました。

車社会が来ることを見越して、ロードサイドに土地を取った

現在の姿を決めた判断が、1962年3月の風祭進出です。このとき社名を「鈴廣蒲鉾工業株式会社」に改め、直売店として姉妹会社の「鈴廣商事株式会社」を設立しました。

この移転には、明確な読みがありました。当時の社長である博晶氏の父が、日本のモータリゼーション、つまり車社会になることを見越して、ロードサイドに広大な土地を取得したのです。そこに直売店と、見学ができる工場と、食事ができる店舗を置きました。後の「鈴廣かまぼこの里」の原型は、この時点で形になっています。現在ではマイカーだけでなく、バスツアーの立ち寄り先にもなりました。

先代と先々代の人物像も語られています。先代の社長は東京の老舗料亭の子息でしたが、戦争で没落を経験しています。良いものを知っていると同時に、貧しい生活も知っている経営者でした。博晶氏の祖父にあたる先々代は、職人気質でありながら創意工夫を好む人で、チーズ入りのかまぼこを開発したり、さまざまな具材で装飾を施したりしていたと紹介されています。

ベーリング海の漁船に、6か月乗った

10代目の鈴木博晶氏は1977年に東京工業大学の経営工学科を卒業しました。子どもの頃から家業を継ぐことを当然と考えていましたが、卒業のタイミングで世界的に200海里の漁業水域が設定されます。これから水産の原料がどう変わるのかを知ろうと、まず北洋水産へ入社しました。

そして、ベーリング海で遠洋漁業を行う船に、船員として6か月間乗り込んでいます。台風で漁ができなかった1日を除き、毎日休まず漁が続いたといいます。

当時は資源管理のもとで毎年の漁獲高を守っていれば、海の恵みを継続して得られる状況でした。ただし近年は温暖化による海水温の上昇で、かまぼこの原料になる魚の生息域も変わってきています。博晶氏はこの経験を、次のように振り返っています。

「漁労の現場の苦労と同時に、海の環境についても先を見る目線が養えたかと思っています」

原料の獲れる場所に自分で行き、6か月そこで働いています。この経験が、後の「魚がいなくなる前提で次の商売を置く」という判断の土台になっています。

祖父と父を、同じ年に亡くした

家業を継いだ経緯そのものは、計画的なものではありませんでした。

「私がまだ20代だった1987年に創業8代目の祖父、そしてそれを継いだ父が相次いで亡くなりました。母が事業を一時的に引き継いだ後、1996年に32歳だった私が継承したという経緯です。代わりがいないから自分がやるしかない。大変だと感じる暇もなく、がむしゃらに頑張りました。人間というものはそんな環境に置かれると頭が猛烈に回転するようです。立場が人を作るのだとつくづく感じます」

公式の沿革では、1987年5月に鈴木昭三社長が逝去し、6月に鈴木智惠子氏が社長に就任、7月に鈴木廣吉会長が逝去と記録されています。母である智惠子氏が9年間会社を率いたのち、1996年に博晶氏へ渡りました。急な承継の空白を、前の世代の女性経営者が埋めた形です。智惠子氏は2026年4月に逝去しています。

社長就任後の方針は、明快でした。

「私は1996年に10代目社長に就任して以来、食品を製造・提供する企業として、食品はお客様の体をつくる元になるもの、健康を支えるものであるという視点を最重視した経営を行ってきました」

この方針は1999年、調味料と着色料の天然素材化をほぼ全てのかまぼこ製品で実現し、保存料を完全に使わない体制にするという形で実装されています。

無添加にする理由は、「命を移し替える」という言葉で説明されています。魚の命をいただいて、それを食べる人へ受け渡していく。だから余計なものを加えない、という考え方です。

「いただきますという言葉が持つ意味を理解して感謝しなければと思っています」

毎日、何十種類ものかまぼこを味見する

社長就任後、博晶氏が毎日欠かさず続けていることがあります。前日に作られた何十種類ものかまぼこが、一切れずつお盆に載せて届けられ、それをすべて口にして品質を確認する作業です。

これは父から「毎日これだけは絶対やるように」と言われた、経営の基本だと説明されています。そして、この習慣が会社の規模の考え方につながっています。

「お客様には分からない範囲の製品のブレであっても、自身の舌で感じてすぐに工場にフィードバックし、修正をかけます。自分の目が届かない範囲の規模になってしまったら、品質は維持できません」

売上を伸ばすことより、自分の舌が届く範囲に規模を保つことを優先しています。この一文が、後の章で見る打ち手のすべてに効いています。

この事例から考えられること

照らし合わせてみる項目

  • 経営者が急にいなくなった場合の暫定的な体制が決まっているか
  • 自社の立地が持つ意味(通行量、観光動線、周辺施設)を数字で把握しているか
  • 製造だけでなく、自社の売り場を持っているか
  • 商品の品質方針が、口伝えではなく文になっているか
  • 先代・先々代の判断の理由を、後継者が説明できるか

事例から読み取れること

1. 急な承継の空白を、前の世代が埋めている

鈴廣は祖父と父を同じ年に亡くし、母が9年間つないでいます。誰が暫定的に代表を担うかが定まっていたかどうかは資料からは分かりませんが、結果として世代を1つ戻す形で空白が埋められました。

2. 立地の判断が、後の集客の土台になっている

箱根の入口である風祭に工場と直売店を置いた判断が、後の来場者数につながりました。拠点の前を1日に何人が通るのかという数字は、観光地や幹線道路の近くにある会社にとって、資産の一部として読めます。

3. 品質方針が、達成を判定できる文になっている

「調味料と着色料の天然素材化」「保存料は完全不使用」という書き方には、達成したかどうかを判定する基準があります。「安全にこだわる」といった書き方との違いが、ここにあります。

2. 社是「老舗にあって、老舗にあらず」

1989年、鈴廣は新しい社是と企業理念を制定します。その社是が「老舗にあって、老舗にあらず」でした。公式ページでは、この言葉が2つの決意を1つにまとめたものだと説明されています。

「老舗にあって」とは、どんな時代になっても決して変えてはならないことは頑固に守るという決心。変えてはならないものとは、私たちの商売に対する姿勢です。例えば、お客様と正対して仕事をすること。正直に誠実に。

一方「老舗にあらず」とは、変えなくてはならないことは勇気をもって変えるという決心。変えなくてはならないもの、それは仕事のやり方。現状に満足せず、よりよいやり方があると信じて絶えず改革していく姿勢です。

── 鈴廣かまぼこ「社是・企業理念」公式ページ

変えないものと変えるものを、二段重ねにする発想です。この構造が、かまぼこの里の開発、超特選蒲鉾「古今」のような高級品の開発、本社ビルのZEB化、脱炭素と再生可能エネルギーへの転換まで、鈴廣の経営判断の背骨になっています。社是が掲示物ではなく、後継世代が意思決定するときの判断の基準として機能している例です。

博晶氏は自社の歴史を、創業期に続く「創業期」の連なりとして整理しています。

「今は次の転機である第4創業期に当たります。この先50年を見据えると、これまでのビジネスモデルは通用しなくなると感じています。また、成長とは何かを考えさせられる時代でもあります。常に『老舗にあって老舗にあらず』という信念で進んでいかなくてはならないと考えています」

蒲鉾専業になった時期を第2創業期、1960年代の風祭移転を第3創業期、そして現在を第4創業期と呼んでいます。161年の歴史を、4つの作り直しとして捉える見方です。

環境への取り組みについての語り方にも、この社是の姿勢が出ています。

「太陽光発電システム、ZEB本社屋の建設など、環境保全につながる取り組みにも注力していますが、これはいってみれば罪滅ぼしのようなものです。かまぼこをつくるために、海を自由に泳ぐ魚をごっそり捕まえたり、製造工程でたくさんの水を使用したり、人間の勝手な都合で、地球にダメージを与える行為を日々繰り返しているのですから、環境保全活動は地球に対してのせめてもの気持ちであって、胸を張れるようなことではありません」

博晶氏個人の座右の銘も、この姿勢と重なります。「剛毅木訥、仁に近し」という言葉です。飾り気がなく、ざっくばらんで、目立つ飾りはないがそこに強い芯や信念がある、という意味だと説明されています。

「かまぼこも、本当に飾らない食品ですが、日本人の芯として、しっかりとした存在であってほしい。そして、自分自身の人生もそうあってほしいと思っています」

ローカルグローススタジオの分析:社是が、事業の順番を決めている

私たちは間違ってはいけない戦略の順番|ビジョン→事業→商品→営業→組織という記事で、戦略には階層があり、最上位のビジョンから事業、商品、営業、組織の順に決めるという考え方を書きました。手元の制約から考え始めると、現状維持型の戦略に落ちるためです。

鈴廣の社是「老舗にあって、老舗にあらず」を読み解くと、私たちが記事に書いた考え方と同じ考えが表れています。社是が最初にあるため、1999年に保存料を完全にやめるという、原価と日持ちの両方で不利になる判断ができます。161年の歴史を「第4創業期」と呼び直すのも、老舗であること自体を守るべき資産と見なしていないからです。

同じ記事では、「何のために」が決まっていれば日々の細かな意思決定も迷わずに行える、とも書きました。鈴廣の場合、その判断基準は「食品はお客様の体をつくる元になるもの」という定義です。この定義を先に置いたため、無添加も、後述する魚肉たんぱくの研究も、同じ線の上に並びます。

この事例から考えられること

1. 社是が、案件の可否を問える形になっている

「老舗にあって、老舗にあらず」は、目の前の案件が老舗らしさに安住していないかを問える形をしています。理念が抽象的な言葉で終わらず、判断に使える形で残っている例と読めます。

2. 変えないものと変えるものが、公式に書き分けられている

公式ページは、守るものとして「商売に対する姿勢、お客様と正対する仕事ぶり、正直で誠実であること」を、変えるものとして「仕事のやり方」を挙げています。両方が同じ場所に書かれていることに意味がありそうです。

3. 歴史を、出来事ではなく作り直した回数で区切っている

第2創業期、第3創業期という数え方は、過去の大きな作り直しを認める言い方です。年表を作り直しの回数で区切ると、いま何回目の途中にいるのかが見えてくるかもしれません。

3. かまぼこの里、観光地の中に滞在の理由をつくる

1つの拠点に、売る・作る・学ぶ・食べるを集める

鈴廣の事業構造でもっとも特徴的なのが、本社・工場と一体で運営している複合施設「鈴廣かまぼこの里」です。箱根登山線「風祭駅」直結の立地に、次のような施設が集積しています。

  • 鈴廣蒲鉾本店/鈴なり市場: 約200種類のかまぼこ・練り物と、小田原・箱根の土産を扱う直営販売店
  • 鈴廣かまぼこ博物館: かまぼこの歴史、原理、職人技を学べる入館無料の博物館。窓越しの工場見学スペースも併設
  • かまぼこ・ちくわ手づくり体験教室: すり身から自分でかまぼこを成形し、蒸し上げる体験プログラム
  • ビュッフェレストラン「えれんな ごっそ」: 地元・小田原箱根の食材を使った約50品の月替わりビュッフェ(2009年6月開業)
  • CAFE 107: 引退した箱根登山鉄道の車両を活用したカフェ
  • 箱根ビール直営店: 自家醸造のクラフトビール販売

2021年9月には、そばと板わさの美藏、名水甘味の且座、会席の大清水、ギャラリー&ショップの千惠が加わりました。かまぼこを買う場所ではなく、食べて、作って、学んで、滞在する場所として設計されています。

一見すると多角化に見えますが、本人の説明は違います。地ビールの「箱根ビール」も、「美味しいかまぼこをレストランやご家庭でさらに楽しく、おつまみとして召し上がっていただくためのマリアージュの仕掛け」だと位置づけられています。すべての事業展開が「かまぼこを美味しく食べてもらうため」という一点に集約されている、という整理です。

施設の数だけを見れば事業が広がっているように見えますが、実際には目的が1つに絞られています。この構造が、規模を追わないという先の判断と矛盾しない理由になっています。テレビ東京「カンブリア宮殿」は2018年4月26日、「創業150年 蒲鉾の価値を次世代に!」として同社を取り上げ、本店に年間100万人が訪れると紹介しました。

重要なのは、「販売店」と「工場」と「博物館」と「レストラン」を、別々の建物・別々のチームではなく、同じ拠点に編成している点です。窓越しに工場の職人を見ながら、博物館でかまぼこの歴史を学び、手づくり体験で自分で成形し、直営店で買って、ビュッフェで食べるという一連の流れが、1日のうちに完結します。

体験の先に、職人技の到達点を置く

この設計は、高単価商品の販売とつながっています。鈴廣には1本4,000円を超える超特選蒲鉾「古今」があります。

蒲鉾の最高級原料魚であるグチに希少なオキギスをほどよくとり合わせ、板つけ、蒸し上げまで、すべて職人の手づくりで仕上げます

── 鈴廣かまぼこ公式「超特選蒲鉾 古今」商品ページ

「古今」は2016年度の全国蒲鉾品評会で、最優秀賞である農林水産大臣賞を受賞しています。職人技を博物館で見せ、その技術の到達点として「古今」を売る。入口の体験と出口の高級品が縦に並び、それぞれが互いの裏付けになっています。

ローカルグローススタジオの分析:一度作れば効き続ける場所に投資している

顧客獲得コストを下げるには「ストック>フロー」を意識しようで、私たちは広告のように出稿を止めれば効果が消えるフロー型の施策と、一度作れば効き続けるストック型の施策を分けるという考え方を書きました。広告予算に限りがある会社ほど、ストック型の比重を上げる意味が大きくなります。

鈴廣かまぼこの里を読み解くと、そのストック型の考え方と同じ考えが表れています。1962年に風祭へ移り、直売の会社を作り、そこへ博物館、体験教室、飲食店を足していく。施設は一度作れば、翌年も翌々年も人を集めます。しかも来場者は、かまぼこを買いに来た人だけではありません。体験教室に来た子ども、レストランに来た家族、地ビールを飲みに来た人が、それぞれの理由で訪れます。

同記事では、ストック型の施策は効果が出るまで時間がかかるとも書きました。鈴廣の場合、風祭移転から60年以上をかけて施設を増やしています。1年で完成させた仕組みではありません。

この事例から考えられること

1. 買う理由の隣に、来る理由が置かれている

体験教室、博物館、飲食。どれも直接の粗利は小さいものの、来訪の理由になっています。商品を買う以外の来訪理由が拠点にあるかどうかは、他の業種でも確かめられる観点かもしれません。

2. 職人技を見せる場が、高価格帯の説明になっている

技術を見せる場所があることで、その技術で作った高価格帯の商品に説明がつきます。価格の理由を見せる場所を持っているかどうかという読み方ができます。

3. 施設を一度に作らず、年を分けて足している

かまぼこの里は2021年にも4施設を加えています。完成形を一度に作るのではなく毎年足していく形は、投資も学習も分散させる進め方として読めます。

4. 箱根駅伝・小田原中継所、60年近く沿道に立ち続ける

鈴廣のもう1つの柱が、毎年正月の「東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)」です。鈴廣かまぼこ本店の敷地内に小田原中継所が置かれたのは1967年の第43回大会から。2025年の第101回大会まで、約60年にわたって鈴廣の敷地が往路4区から5区、復路6区から7区への襷の受け渡し地点として使われ続けています。

鈴廣では大会当日に往路と復路の1位通過選手の足形を取り、約30年分を社内で保管しています。スタッフの多くが小田原出身で、子どもの頃は家族と沿道で応援し、いまは中継所で働きながら応援しているという、地元と職場の重なりも報じられています。

大会当日の鈴廣前では、沿道に集まる箱根駅伝ファンへ日本酒と紅白のかまぼこの振る舞いが行なわれています

── MELOS「小田原中継所の鈴廣蒲鉾、出場校の常宿の女将に聞きました」

毎年およそ1,000人の沿道客に対し、約800食のかまぼこと振る舞い酒を提供する規模です。鈴廣のマーケティングチーム企画開発部はこれを「観戦される方と一緒に箱根駅伝を応援できることが光栄」と語っており、自社の販促というより、地域行事の運営者としての姿勢が一貫しています。

箱根駅伝は、正月の地上波生中継で2日間にわたり高い視聴率を集める全国的なイベントです。中継所として鈴廣の社名と本店が必ず映るという露出は、広告予算では再現しにくい水準のブランド資産になっています。それでも鈴廣は、これを広告枠として扱っていません。公式のイベント情報ページでは、応援イベント、交通案内、周辺マップなど、運営側の情報として発信されています。

加えて、かまぼこの里では大会当日に応援イベントを開催し、北條太鼓・鈴廣太鼓の演奏、振る舞い酒、紅白かまぼこの無料配布まで自社で実施しています。来場者を販売店に呼び込む仕掛けというより、地域行事を成立させる側に回るというスタンスです。

ローカルグローススタジオの分析:広告費で競わない場所を選んでいる

地方企業やスタートアップに共通する、低リソース・ブランド無しの戦わない戦略で、私たちは、資金も知名度も限られる企業が大手と同じ土俵で競わずに済む方法を書きました。同じ市場で正面から広告を打ち合うのではなく、自社が有利になる場所を選ぶという考え方です。

箱根駅伝の小田原中継所は、鈴廣が選んだのではなく、風祭に拠点を置いた結果として1967年に置かれたものです。ただし、そこに60年近く立ち続けたのは選択の結果です。全国放送で毎年映る場所を持ちながら、それを販促に使わず、振る舞いと運営に投じています。この使い方が、積み上げの速度を決めています。

同じ記事では、戦略とはやらないことを決めることだとも書きました。練り製品の市場が半分以下になる中で、量販店の棚で価格競争をする道もありました。鈴廣が投じたのは、その棚ではなく、自分たちの拠点と地域行事です。

この事例から考えられること

1. 地域の年中行事に、毎年の定位置がある

箱根駅伝の中継所という立地を、鈴廣は毎年の振る舞いの場にしています。同じ行事に毎年立ち続けることが、地域での位置を固定していったように読めます。

2. 露出の機会を、宣伝ではなく運営として扱っている

公式ページで交通案内や周辺マップを出しているのは、来場者の利便のためです。自社の宣伝ではなく参加者の役に立つ形で情報を出していることが、関わり方の性格を表しています。

3. 毎年続けたことが、記録として残っている

1位通過選手の足形を約30年分保管していることが、継続の証拠になっています。記録があることで、続けてきたこと自体を資産として語れる状態になっています。

5. 鈴木悌介氏とエネ経会議、エネルギーを経営の側に持ち上げる

鈴廣の経営を語るうえで欠かせないもう1人が、取締役相談役の鈴木悌介氏です。1955年に小田原市で生まれ、上智大学経済学部を卒業後、1981年に渡米しました。米国ロサンゼルスでかまぼこ普及事業に従事し、1991年までの約10年間、現地で経営を担っています。

1987年に父と祖父が相次いで急死したことを契機に、米国事業に区切りをつけて帰国。その後は鈴廣の経営に深く関わり、代表取締役副社長を経て、2025年9月以降は取締役相談役、ならびに小田原箱根商工会議所の会頭(2017年初当選、2023年に4期目)として地域経済を担う立場へと軸足を移しています。

悌介氏の名前を全国に広めたのは、2012年3月に発足させた「エネルギーから経済を考える経営者ネットワーク会議(エネ経会議)」です。東日本大震災と原発事故から1年後の発足で、発足時には全国の中小企業経営者300人以上が参加しました。2013年に一般社団法人化し、現在は全国400社近い経営者が参加するネットワークとなり、悌介氏が代表理事を務めています。

エネ経会議の旗印は、次の2点に整理できます。

1. 地域で再生可能エネルギーの地産地消の仕組みをつくる

2. 省エネを企業経営の中心テーマに据える

鈴廣自身も、経営判断のレベルで動いています。グループ5社の電力を地元の再生可能エネルギー利用の新電力に切り替え、2015年8月には本社ビルをZEB(ネット・ゼロ・エネルギー・ビル)水準に建て替え、ショップ・レストラン・工場に太陽光発電を導入してきました。加えて、次のような取り組みが公表されています。

  • 1999年から県と協働し「森林再生パートナー」として水源林の保全活動に参加
  • 「かながわプラごみゼロ宣言」への賛同と海洋プラスチック対策
  • 小田原産・相模湾産の魚を優先的に使う地産地消の原料調達

悌介氏は東京新聞のインタビューで、再エネと省エネを「電力会社の話」ではなく「経営者の戦略」として位置づける必要性を語っています。鈴廣の場合、この姿勢が広報のメッセージにとどまらず、本社ビルそのものをZEBにするという物理的な投資にまで落ちています。

本社ビルの中身

2015年8月に完成した新社屋の設計には、小田原の自然を使い切る発想が入っています。

床には、あえて節のたくさんある小田原産のヒノキとスギの板を使いました。戦後に植林された小田原の森の木が、ちょうど50年から60年を経て切り時を迎えていたためです。

「今、地元の企業が積極的にこの木を使い、また新たな植林をしていくという循環を行わなければ、小田原の森は維持できない」

照明は、日中は電気を使いません。屋根からプリズム管が通り、その中を光が通ることでオフィス内を照らす仕組みです。

空調には地下水を使っています。小田原は地下水が豊富で、年間を通じて水温が約15度から16度で一定しています。夏は外気との温度差が15度から20度近くあるため冷房に、冬は外気温が0度や5度になるなかで暖房に、その温度差をそのまま利用する設計です。一次エネルギーの消費量は、設計上54%の削減とされています。

ただし、目的は投資の回収ではない

このビルを建てた目的について、博晶氏の説明は投資対効果の話ではありません。

「外が明るいのに部屋の中で電気をつける、春や秋の快適な季節にもエアコンをかける。私たちが日々当たり前にやっている不合理なことに気づくことが大切です。新社屋で働くことで、社員たちが『もっと合理的な方法はないか』と絶えず考えるような『脳みそ』になること。その意識の変化こそが最大の目的であり、それが最終的には魅力的な製品開発など、様々な活動に生きていくと考えています」

建物を建てることで、社員の考え方を変えています。省エネの数値は結果であって、狙いはその手前にあるという説明です。

この事例から考えられること

1. 環境の取り組みが、経営の側の議題になっている

電気代は固定費です。鈴廣では再エネや省エネが総務の実務ではなく経営の判断として扱われ、ZEBの建物や自社の電力会社という形になりました。金額で比較できる位置に置かれていた例と読めます。

2. 自社の取り組みを、過大に語っていない

環境活動を「罪滅ぼし」「胸を張れるようなことではない」と説明する姿勢が、そのまま発信の性格になっています。意義を盛らずに書くほうが読み手に届くという見方もできそうです。

3. 経営者の時間の一部が、業界や地域の場に配分されている

エネ経会議は400社近いネットワークになり、商工会議所の会頭という役割にもつながりました。自社の外で果たす役割に時間を割いたことが、結果として自社の位置にも影響しています。

6. 魚がいなくなる前提で、次の商売を置く

たんぱく質が足りなくなる、という前提

近年の鈴廣が掲げているのが「魚肉たんぱくで世界を健やかに」というテーマです。世界の人口が増えればたんぱく質の供給が追いつかなくなる一方で、日本近海の漁獲量は減り続けている。この2つの前提から、未利用魚の活用や大学との共同研究に踏み込んでいます。

11代目の鈴木智博氏は、この方向をこう語っています。

「あらゆる意味で唯一無二のかまぼこ屋になりたいんです。お客さまも社員も、それこそ世界中の人々が魚肉たんぱくを口にする世の中をつくりたい」

かまぼこという商品を売る会社から、魚肉たんぱくという素材を扱う会社へ変わろうとしています。定義を1段広げると、扱える原料も、届ける相手も変わります。

この方向を支えているのが、職人の技術を科学として捉え直す取り組みです。かつての手作りの世界では「見て技を覚えろ」という教え方が一般的でした。鈴廣は、練り方や塩を入れるタイミングといった工程を科学的に解析し、「かまぼこを科学する」という言葉で社内に導入しています。感覚だけでなく理屈を理解させて手作りを学ばせたところ、理屈が分かっているぶん技術の習得が早くなったと説明されています。

強みの定義も、この延長にあります。

「魚は種類や時期によって性格が全て異なっており、それらをしっかりと活かしきることが大切です」

鈴廣の強みは「魚肉たんぱく質を自在に加工する技術とノウハウ」にある、という整理です。どういう作り方をすればどんな食感や味になるかを追求し、魚肉のたんぱく質をさまざまな形で提供する。かまぼこという商品名ではなく、扱える素材と技術で自社を定義しています。

かまぼこは、たんぱく質の塊です。牛肉や豚肉に比べて消化がよく、体に良いとされる魚の脂も多く含まれます。正月だけでなく日常のさまざまな場面で食べてもらうための情報発信に、いま最も注力していると語られています。サラダの主役にする、日本酒だけでなく洋酒に合わせるといった提案も、その一環です。

ローカルグローススタジオの分析:誰に何を届けるかを、定義し直している

ターゲットと便益を5-10パターンに整理するで、私たちは、誰に(Who)、何を(What)、どんな独自性で届けるかを相手ごとに具体的に整理するという考え方を書きました。対象が曖昧なままでは、提供する価値も曖昧になります。

「かまぼこを売る」と「魚肉たんぱくを届ける」は、対象も便益も違います。前者の相手は、かまぼこを食べる習慣がある人です。後者の相手には、かまぼこを知らない人も含まれます。提供する便益も、正月や贈答の食卓から、日常のたんぱく質摂取へと変わります。

同じ記事では、相手の課題に対して自社の独自性で何を提供できるかを整理するとも書きました。鈴廣が持っているのは、魚のすり身を扱う技術です。相手の課題を「たんぱく質が足りない」と置くと、この技術が直接応えられます。原料の魚が減るという制約も、未利用魚を使う技術開発の理由になります。

この事例から考えられること

1. 商品を、素材や機能の言葉で言い直している

「かまぼこ」を「魚肉たんぱく」と言い直したことで、届け先が広がりました。商品名ではなく中身の言葉で書き直すと、同じように届け先が変わる商材はほかにもありそうです。

2. 原料が減る前提で、次の商売を考えている

漁獲量の減少は自社の努力では変えられません。減る前提で何を作るかという問いの立て方が、具体的な打ち手につながっていました。

3. 技術課題を、大学や研究機関と一緒に進めている

未利用魚の活用のような課題は、自社だけでは進みにくい領域です。外部の研究機関と組む形が、この会社では機能しています。

7. 2025年、11代目への襷と役割の設計

2025年9月8日、鈴廣は29年ぶりの社長交代を発表しました。

  • 10代目代表取締役社長・鈴木博晶氏は代表取締役会長へ
  • 11代目代表取締役社長に、長男の鈴木智博氏が就任
  • 代表取締役会長を務めていた鈴木智惠子氏は、新設の名誉顧問へ

報道各社の見出しは「創業160年の節目に若返り図る」というトーンで、創業160周年と次世代への代替わりが重ねられています。

新社長の鈴木智博氏は1989年生まれ。青山学院大学を2014年に卒業後、商社の阪和興業に入社して水産分野で経験を積み、2015年に鈴廣へ入社しました。入社後はマーケティング部門を経験し、企画チーム常務取締役 本部長を経て社長に就任しています。社内では「11代目見習い」として、SNSを含めて自身の名前と顔を出して発信してきたことでも知られます。

四世代家族の食卓に、家族Lineに ──「唯一無二のかまぼこ屋」への愛が溢れる

── エヌエヌ生命保険「家業承継インタビュー」鈴木智博氏/鈴木結美子氏

この承継で特徴的なのは、10代目の博晶氏が会長として残り、9代目にあたる智惠子氏が名誉顧問という新設のポジションに就いた点です。創業家の意思決定権を、一度に1人へ集中させない設計とも読めます。加えて、長年経営を支えた悌介氏が取締役相談役となり、小田原箱根商工会議所の会頭という地域経済の仕事に軸足を移しました。鈴廣単体の経営は次世代に渡し、上の世代は地域経済や産業ネットワークという別の仕事を担う。世代間の分業が、肩書として明示されています。

この事例から考えられること

1. 承継の発表で、全員の新しい役割を同時に示している

社長、会長、名誉顧問、相談役。誰が何を担うかが同時に発表されています。役職名だけでなく担当領域まで示されていたことが、社内と取引先の受け止め方に影響していた可能性があります。

2. 前の世代の役割が、社外にある

商工会議所の会頭、業界ネットワークの代表理事。前の世代が社内に残り続けるのではなく、外での役割を持っている形です。新体制の動きやすさに関わってくる部分だと私たちは読みました。

3. 後継者が、社外での経験を経て入社している

智博氏は商社で水産分野を経験してから入社しました。同じ業界の別の立場を経験することで、自社の位置を測れるようになっていた可能性があります。

8. ローカルグローススタジオの視点

冒頭に挙げた9つの観点を、本文で確認した事実で説明し直します。

1. 社是が、判断に使える一文になっている

「老舗にあって、老舗にあらず」は、守るものと変えるものを二段重ねにした一文です。この社是があるため、原価と日持ちの両方で不利になる無添加への転換ができ、161年の歴史を「第4創業期」と呼び直せます。

2. 観光地の中に、売り場ではなく滞在の理由をつくっている

風祭の拠点は、販売店、工場、博物館、体験教室、レストランを同じ場所に編成しています。買う理由ではなく、来る理由が複数あります。そして体験の先に、1本4,000円を超える「古今」が置かれています。

3. 広告ではなく、地域の行事に投資している

箱根駅伝の小田原中継所として60年近く沿道に立ち、毎年およそ1,000人に約800食を振る舞っています。全国放送で必ず映る場所を持ちながら、それを広告枠として扱っていません。

4. エネルギーや環境を、経営戦略の側に置いている

グループ5社の電力を再生可能エネルギーの新電力に切り替え、本社ビルをZEB水準に建て替えました。悌介氏が始めたエネ経会議は、全国400社近いネットワークになっています。

5. 原料も需要も減る前提で、次の商売を今の商売の隣に置いている

練り製品の市場は40年で100万トンから40数万トンへ縮みました。その中で「魚肉たんぱくで世界を健やかに」を掲げ、未利用魚の活用や共同研究に踏み込んでいます。

6. 承継の空白は、前の世代が埋めることがある

1987年に祖父と父を相次いで亡くした後、母の智惠子氏が9年間社長を務めました。2025年の交代では、その智惠子氏が名誉顧問という新設のポジションに就いています。承継は下の世代へ渡すことだけを指すのではありません。

7. 積み上げに、世代をまたぐ時間がかかっている

風祭移転が1962年、中継所が1967年、社是の制定が1989年、無添加が1999年、エネ経会議が2012年、ZEB本社が2015年。それぞれが投資の桁の大きい打ち手で、しかも数十年かけて積み上がっています。1代で完結する施策ではありません。

8. 規模の上限を、経営者の身体で決めている

毎日、前日に作られた何十種類ものかまぼこを一切れずつ味見する。父から引き継いだこの習慣が、規模の考え方に直結しています。「自分の目が届かない範囲の規模になってしまったら、品質は維持できません」。売上の目標から規模を決めるのではなく、自分が確認できる範囲から上限を決めるという判断です。施設を増やしても事業の目的を1つに絞り続けているのも、同じ考え方の表れと読めます。

9. 建物や設備を建てることで、社員の考え方を変えている

ZEB本社について、博晶氏は投資の回収を目的として語っていません。「社員たちが『もっと合理的な方法はないか』と絶えず考えるような『脳みそ』になること。その意識の変化こそが最大の目的」と説明しています。省エネの数値は結果であって、狙いは働く人の思考を変えることに置かれています。設備投資を、教育の投資として設計する見方です。

本事例から見える経営とマーケティングの学び

鈴廣の物語は、地方の老舗食品メーカーが「業界の縮小」「老舗ブランドの硬直」「原料の減少」という3つの宿題を、拠点への投資、地域行事への参与、そして事業定義の拡張という打ち手で引き受けてきた事例として読めます。重要なのは、広告予算で勝負する道を選ばなかったことです。かまぼこの里、箱根駅伝の中継所、エネ経会議、ZEB本社は、いずれも投資の桁が大きく、回収に時間のかかる打ち手で、それを世代をまたいで積み上げてきました。

そして2025年、その積み上げを11代目へ渡すにあたって、会長、名誉顧問、相談役という役割を同時に設計しました。ブランドやリソースが薄い状態から成長を作る経営者にとって、鈴廣の歩みは「何を続け、何を変えるか」を考えるための学びになります。

「ビジネス知の機会格差をなくす」という私たちのミッションに向けて、これからも実践的で価値ある情報を発信していきます。この記事の内容について、さらに詳しく知りたい方は、ぜひご連絡ください。