ローカルグローススタジオは、『地方企業にスタートアップのような成長を』というテーマで、コンテンツ発信と支援サービスを展開しています。この記事では、実践的なビジネスノウハウを、できるだけわかりやすくお伝えしていきます。
今回取り上げるのは、福井県吉田郡永平寺町の黒龍酒造株式会社です。1804年(文化元年)、初代・石田屋二左衛門が良水に恵まれた松岡の地に蔵を開いて以来、200年余り続く清酒メーカーで、現在は8代目蔵元の水野直人氏(1964年生まれ)が率いています。東京農業大学醸造科を卒業後、協和発酵(現・協和キリン)で東京・港区担当の営業を経験し、1990年6月に黒龍酒造へ入社、2005年に41歳で代表取締役社長に就任しました。
家業を継ぐ経営者は、引き継ぐ会社を選べません。与えられた会社の中の何を変え、何を守るかの見極めがすべてになります。黒龍酒造の場合、8代目が守ると決めたのは、先代が築いた酒の品質でした。そのために、生産量を半分に落としています。家業を継いだ方、これから継ぐ方に向けた事例として読み解きます。
この記事の要約
先にストーリーの全体像です。水野直人氏は協和発酵の営業として東京の酒販店を回っていた時期に、地酒専門店では黒龍が評価されている一方、一般の酒販店では名前を知られていないことを知りました。家業に戻ってから全国の得意先を自分の足で回ると、生酒や吟醸酒でさえ常温の棚に置かれている実態が見えます。「冷蔵庫を購入してください」と依頼して回りましたが、多くの酒販店の反応は「メーカーが持ってくるものでしょ」でした。そうした取引先との関係を終わらせ、当時1,000石程度あった生産量を500石以下に落とします。売上を落としてでも、品質に責任を持てる特約店だけと関係を結び直す判断でした。7代目の水野正人氏は、25歳で渡仏してワインの熟成技術に触れ、1975年に「黒龍 大吟醸 龍」を市販化しています。品評会用だった大吟醸を市販する、全国的な先駆けでした。8代目はこの遺産を作り直すのではなく、劣化しない条件を整える方向に投資します。そして2022年6月、10年の構想を経て、永平寺町に複合施設「ESHIKOTO(えしこと)」を開業しました。2024年11月にはオーベルジュ「歓宿縁 ESHIKOTO」も加わっています。
このストーリーから持ち帰れる観点は、次の8つです。それぞれ本文の章で事実を確認し、最後の7章で説明し直します。
1. 家業に戻る前の営業経験が、流通改革の根拠になっている(1章)
2. 売上を一度落としてでも、品質に責任を持てる相手だけと組んでいる(2章)
3. 外部に頼っていた工程を、自社の組織に作り替えている(3章)
4. 先代の発明を否定せず、劣化しない条件のほうを作っている(4章)
5. 入口を広げず、来る人を選んでいる(5章)
6. 判断の基準が、30年変わっていない(全体)
7. 伝統とは、姿勢のことだと定義している(全体)
8. 完成させないことを、次の代に渡している(全体)
各章の末尾に、ローカルグローススタジオの分析と「この事例から考えられること」をまとめています。
参考資料一覧
- 黒龍酒造株式会社 公式サイト、「龍」五十周年ページ、よくあるご質問
- Sake World「8代目蔵元 水野直人さんに聞く! これまでの歩みと熟成酒の魅力、その先に見据える未来とは?」(2025年5月26日)
- Sake World「オーベルジュ『歓宿縁 ESHIKOTO』と酒蔵ツーリズムの可能性に迫る!」(2025年5月27日)
- Sake World「複合施設『ESHIKOTO(えしこと)』に初潜入!」(2024年2月21日)
- ダイヤモンド・オンライン「黒龍酒造が売上減もいとわず『品質管理』を優先した理由」
- note 福井県招福プロジェクト「石田屋二左衛門/水野 直人(黒龍酒造 8代目蔵元)」(2022年11月2日公開、取材は2022年10月)
- Discover Japan「福井に魅了される複合施設《ESHIKOTO》黒龍酒造が目指す未来の観光【前編】」(2023年4月25日)
- 致知出版社『致知』2024年11月号 水野直人氏インタビュー
- フジワラテクノアート「The Art of Sake Brewing 5」水野直人氏インタビュー
- 株式会社花山「蔵だより」7代目蔵元・水野正人氏の逝去に際して(2016年9月1日)
- 中小機構「100億企業・成長宣言」黒龍酒造株式会社
- 黒龍酒造 水野直人社長インタビュー(世界に誇る物語ちゃんねる)
- 角文株式会社 特別対談「二百年企業が守り挑むもの」(鈴木社長×水野直人氏)
- デザインセンターふくい 佐藤卓×水野直人「つなぐデザイン」前半・後半
- 敬友会例会 水野直人氏講演「地方酒蔵の新たな取り組み」(社会福祉法人敬仁会)
数字で見る黒龍酒造
| 時点 | 数字 | 出典 |
|---|---|---|
| 1804年 | 初代・石田屋二左衛門が松岡の地に創業 | 公式サイト |
| 1975年 | 7代目・水野正人氏が「黒龍 大吟醸 龍」を市販化。品評会出品用だった大吟醸の市販化として全国的な先駆けとなる | 公式サイト |
| 1964年 | 8代目・水野直人氏が誕生 | 公開取材 |
| 1990年6月 | 水野直人氏が黒龍酒造へ入社(東京農業大学醸造科卒業後、協和発酵に勤務) | 公開取材 |
| 入社後 | 生産量を1,000石程度から500石以下へ引き下げ | 本人談(Sake World) |
| 2005年 | 水野直人氏が41歳で代表取締役社長に就任 | 公開取材 |
| 2016年8月8日 | 7代目・水野正人氏が逝去(満82歳) | 公開報道 |
| 2022年6月17日 | 複合施設「ESHIKOTO」開業(敷地約3万坪のうち約1万坪を公開) | 公開報道 |
| 2024年11月26日 | オーベルジュ「歓宿縁 ESHIKOTO」開業 | 公開報道 |
| 現在 | 三季醸造で6,000石程度。海外への出荷は5%程度 | 本人談(Sake World、2025年) |
| 2050年目標 | 清酒と蒸留酒を合わせて売上高100億円超 | 中小機構「100億企業・成長宣言」 |
1. 東京の酒販店で見た、自社の酒の扱われ方
8代目蔵元の水野直人氏は、家業に戻る前に大手メーカーの営業を経験しています。
「農大卒業後は協和発酵(現、協和キリン)に入社し、港区担当の営業として働いておりました。その際、地酒にこだわる酒販店では『黒龍さん良いお酒造っているね』という評価をもらうこともありましたが、一般的な酒販店では『黒龍』の名前を知らない方も多かったですね」
200年続く蔵の名前が業界の外ではそれほど知られていない、という認識を持って家業に戻ります。
そして、戻ってから自分の足で確認した現実が、次の判断につながります。
「全国の得意先へ直接足を運びました。当時は色々な問屋、酒販店へ卸していたのですが、実際現場でどのように日本酒が管理されているのか知りたかったんです。そこで愕然としたのは、日本酒が冷蔵管理されずに販売されている事実でした。そのため『冷蔵庫を購入してください』と言って回っていたのですが、多くの酒屋からは『メーカーが持ってくるものでしょ』と言われることがほとんどで。そういった先とは取引を辞めていったんです」
当時の業界の常識も、あわせて語られています。
「私は大手酒造メーカーに勤めておりました。その後、福井に戻って蔵を継ぐことになるのですが、弊社の全ての得意先を一度まわって現状を確認してみたのです。当時は販路にはあまりこだわりがなく、お取引いただける全てに販売をしておりました。そのお得意先様を確認すると、生酒や吟醸酒でも常温で置かれておりました。日本酒は繊細なお酒です。適切な温度管理が必要ですし、紫外線を防ぐ事も大切です。その当時の酒屋さんにとっては、お酒は置けば売れる時代だったので、あまり品質管理を重視することはなかったのだと思います。日本酒は、そのように扱われるのが普通だったのです」
蔵の中で酒を造るだけでは、顧客の口に入るまでの状態は分かりません。売る側の現場を見る経験が、その後の改革の根拠になりました。
戻ったとき、社員は1人だった
もう1つ、当時の会社の状態が語られています。
「僕が会社に帰ってきた時は、実は社員が1人しかいなかったんですよ。事務員のおばちゃんが1人だったんですけど」
酒造りは、冬の間だけ来る杜氏(とうじ)と蔵人が担っていました。
「作り酒屋というのはお酒を作る職人さんがいて、出稼ぎという形で冬にお酒造りに来るんですよ。当時は杜氏組合という組織から派遣されて、冬にお酒造りに来て、お酒を造り終わると地元に帰っちゃう。漁師さんや農家さんなど、冬に仕事がなかった人が杜氏になって、そういう循環型の組織だった」
杜氏が帰った後は、家族が瓶詰めや配達をし、アルバイトを使って小規模に回していました。200年続く蔵の常勤社員が事務員1人という状態が、1990年に戻ったときの姿です。
この事例から考えられること
照らし合わせてみる項目
- 自社の商品が、店頭でどう扱われているかを見に行ったことがあるか
- 取引先を、売れる量以外の基準でも見ているか
- 商品の品質が、出荷後にどう変化するかを把握しているか
- 後継者が、自社の商品を売る現場を経験しているか
- 自社の名前が業界の外でどれくらい知られているかを確認したことがあるか
事例から読み取れること
1. 出荷後の商品を、自分の目で見に行っている
「全ての得意先を一度まわって現状を確認してみた」という行動が、流通改革の起点でした。店頭で何が起きているかは、社内の数字からは見えません。
2. 品質が保たれる条件が、具体的に言語化されている
温度、光、時間。商品が良い状態で顧客に届くための条件が具体的に挙げられていたため、取引先にも伝えられました。条件を書けるかどうかが、伝えられるかどうかを分けている例です。
3. 後継者が、売る側の現場を経験している
協和発酵での営業経験が、家業に戻ってからの判断を支えました。同業でなくても売る側の視点は身につく、という読み方ができます。
2. 生産量を半分にして、取引先を選び直した
品質管理を求めた結果、取引を終える先が出ます。それは、生産量の削減に直結しました。
「当時1,000石程度あった生産量を500石以下に落としました。父は『良いお酒を造る』という信念のもと酒造りを行っており、わたしは協和発酵で流通の大切さを学んできました。流通管理が徹底しており、お酒に情熱を注いでくれる取引先と付き合わなければ、お客様の口に入るときには良いお酒じゃなくなってしまう。『ここを整理しなければ意味がない』と父に相談した上での改革でした」
生産量を半分以下にするというのは、売上を半分以下にするという判断でもあります。しかもこれは、父である7代目に相談したうえでの決定でした。
現在、黒龍酒造の商品は特約店に限定して流通しています。公式サイトのよくあるご質問には、次のように明記されています。
「弊社商品は、特約店のみに限定した流通、販売を行っております」「弊社から直接の小売販売はご遠慮させて頂いております」
海外の取引先に対しても、同じ基準を適用しています。
「海外のインポーターにも『冷蔵庫はありますか?』と確認します。ワインセラーでは日本酒には適した温度ではないので、日本酒専用の環境を整えるようお願いしています」
「どれだけ良いお酒を作っても、適切な環境で届けられなければ、お客様のお口に入るまでにその価値が失われてしまいます」
なお近年は、商品にRFIDタグを導入して生産から流通までを追跡する取り組みも進めています。
ローカルグローススタジオの分析:一度落とした売上より、積み上がる資産を選んでいる
顧客獲得コストを下げるには「ストック>フロー」を意識しようで、私たちは、短期の売上を作るフロー型の施策と、時間をかけて積み上がるストック型の資産を分けて考えるという考え方を書きました。ストック型は初期に時間や労力がかかり、すぐには効果が出ませんが、積み上がれば効き続けます。
黒龍酒造の流通改革を読み解くと、私たちが記事に書いた考え方と同じ考えが、最も極端な形で表れています。取引先を絞れば、その分の売上は即座に消えます。1,000石から500石以下という削減は、その規模の減少を意味します。それでも選んだのは、品質という積み上がる資産のほうでした。「置けば売れる時代」に、置く場所を減らす判断です。
同記事では、ストック型の施策は効果が出るまで時間がかかるとも書きました。黒龍酒造の場合、現在の生産量は三季醸造で6,000石程度まで戻っています。減らした時点から数えて、数十年をかけた回復です。短期の売上を守るか長期の資産を守るかという判断が、四半期評価に縛られない非上場の家業だからこそ通った、という側面もあります。
この事例から考えられること
1. 取引先を、売上以外の基準で評価している
黒龍酒造の基準は「適切な温度管理と知識を持っているか」でした。自社の商品の価値を守れる相手かどうかという基準が、売上の大きさとは別に置かれています。
2. 品質の条件が、取引の条件になっている
「冷蔵庫を購入してください」という依頼は、口頭のお願いではなく取引の条件として提示されました。この形にしたことが、実際に守られるかどうかを分けていた可能性があります。
3. 売上が下がる期間を、経営が引き受けている
生産量を半分にすれば資金繰りは苦しくなります。品質を優先した判断が、その期間を支える体力の上に成り立っていた点は押さえておきたいところです。
3. 冬だけ来る職人に頼るのをやめた
流通改革と並行して、もう1つの構造を変えています。酒造りの体制です。
「私が1990年に福井に帰ってきたとき、それまでのお酒造りは『冬の間だけ杜氏が来てお酒を造る』というスタイルでした。しかし、杜氏の方々の高齢化が進み、このままだと将来お酒が作れなくなるという強い危機感がありました」
危機感は、人手だけの問題ではありませんでした。
「また、杜氏さんが変わるたびに味や風評が変わってしまうという課題もありました」
外部の職人に依存する限り、その人が変われば味も変わります。品質を守るという方針と、この体制は両立しません。
「そこで、黒龍の味を未来へ変わらず引き継ぐために、冬だけの杜氏に依存するのではなく、年間を通じて『社員として蔵人を育成し、社内で酒造りのプロ集団を作る』という、組織化に踏み切りました。今では社員は50名ほどになり、自社で味を守り続ける体制を確立しています」
事務員1人だった会社が、50名の組織になっています。
この組織づくりの原点として、父から受け継いだ言葉も挙げられています。
「僕の親父も好きな言葉だった『感動・感謝・感激』という『参感』を原点にしました。『感動』はお客さまに感動するサービスを作ること、『感謝』は社員や関わる業者さん、お客さまに感謝する心を忘れないこと、『感激』は自分たちの社員が感激するような仕事の場所を提供すること。そこを作り出すのが経営者の仕事なのかなと思って、これが今の会社の原点になっています」
3つのうち2つが、社員に向けられています。人が集まらなければ酒が作れないという前提から出た言葉です。
この事例から考えられること
1. 業界で当たり前だった外部依存を、見直している
冬だけ来る職人に酒造りを任せる体制は、業界では当たり前のものでした。当たり前になっている外部依存が品質を左右していないかという問いが、ここでは立てられています。
2. ばらつきの原因を、人ではなく体制の側に置いている
「杜氏さんが変わるたびに味が変わる」という状態を、個人の技量ではなく体制の問題として捉えました。原因の置き場所が、打ち手を変えた例として読めます。
3. 理念の3つのうち2つが、社員と取引先に向いている
「感動・感謝・感激」のうち、顧客以外に向いた言葉が2つあります。理念を誰に向けて書くかという問いが、人を集める場面に効いてくる可能性があります。
4. 7代目が市販化した大吟醸を、劣化させない
黒龍酒造のブランドの土台は、7代目・水野正人氏の時代に作られました。
ワインに関して造詣が深く、25歳の時に渡仏した先代の七代目蔵元・水野正人は帰国後、ワインの熟成技術を日本酒に応用できないか、試行錯誤を繰り返しました。その集大成として1975年、『黒龍 大吟醸 龍』を発売。この商品は、それまで品評会用に酒蔵の技術を測るため造られた出品用の大吟醸を市販化する、全国的な先駆けとなりました
── 黒龍酒造公式サイト「龍 五十周年」ページ
大吟醸は鑑評会に出すための特別な酒であり、採算がとれないというのが業界の通念だった時代に、高価格帯の市販大吟醸を世に出しています。
その発想の出どころも、8代目が語っています。
「先代の父はいかに酒の付加価値を高めるかを考えていて、ワインの『熟成』からヒントを得て日本酒にも取り入れようとしていたようです。そんな父の姿を見ていて私もワインに興味を持ち、20代後半に海外のワイナリーを巡りました」
「先代の父がワイナリーで学んだことは『熟成文化を作る』ことです。そもそも、日本酒も明治維新前は熟成酒のほうが評価は高かった。しかし、酒税の関係から現在のような新酒文化になったんです」
代々の積み上げについても、整理されています。
「僕で八代目なんです。うちは初代が遺した『よい酒を造れ』という信念を大切にしてきました。祖父は戦後のお米もなかなか手に入らない時代から高級な吟醸造りに取り組んでいましたし、父の時代には、冷酒を飲むという新しい文化の普及や、パッケージデザインなどのブランド戦略などを通じて祖父の取り組みを昇華させました」
祖父が吟醸造りに取り組み、父がその市販化とブランド戦略を進め、8代目はその酒が良い状態で顧客に届く条件を整えました。3代にわたって、同じ方向に積み上がっています。
価格についても、当時としては異例の水準でした。
「先代が昭和50年ですね。まだ一升が2000円ぐらいの価格だったと思うんですけど、その時代に一升瓶5000円というお酒で大吟醸のお酒を出したのが全国の日経新聞にも載りましたし、そういったのがきっかけで黒龍というブランドが、そういう大吟醸の先駆けとなりました」
一升2,000円が相場の時代に、5,000円という2倍以上の価格を、市販されていなかったカテゴリーで出しています。
大吟醸を燗にする、という反対向きの提案
8代目の代で始めたのが、その大吟醸をあえて温めて飲むという提案でした。当然、反対の声が出ています。
「大吟醸を燗にしようということで、世間からは『もったいないんじゃないか』と言われた」
ただし、この発想には技術的な裏付けがありました。
「お酒って殺菌のために火入れをするんですね。火入れをする時、だいたい65度ぐらいの温度で殺菌するんですけど、その温度帯になりますと、やっぱりもう燗酒の状態なんですよ。12月の寒い季節に暖を取るために、その火入れした直後の燗状態のお酒を飲むと、大吟醸と言えども非常に美味しかったんですよ」
製造工程の中で既に温めた状態の酒を飲んでいた経験が、商品になっています。
「よくよく考えると、お酒好きの人って昔は何でも燗して飲んでたっていう記憶があったので、これはもしかしたら新しい飲み方のスタイルとして提案できるんじゃないかということで、当時『九頭龍』というちょっと中途半端なブランドがあったので、燗酒ブランド、大吟醸の燗酒として『九頭龍』を立ち上げようと」
燗を楽しむための道具も自社で開発しています。
「燗をするというのはどうしても電子レンジでチンしてやる人が多かったもんですから、あんまり味気ない。湯煎をして温めるのがお酒にも優しいですし、香りも抜けにくく、酒質も湯煎の方が美味しい。それをもうちょっとカジュアルに楽しんでいただくために、福井の越前焼とかそういう技術を使って、江戸時代に湯煎をしていた道具をベースに形を作りました」
そして、何を売っているのかという整理も語られています。
「あっためるプロセスや、飲む前のワクワク感、そういう『体験』を売ることが最近のテーマになっています。お酒自身は世の中に美味しくないものがない時代になってきたので、美味しいものをベースにした中で、体験を売ったり、これからの時代は『時』をどう楽しむかがテーマになると思います」
ブランドの棲み分けも明確です。現在の主力は「黒龍」「九頭龍」「ESHIKOTO」の3ラインですが、その分け方は日常と非日常です。
「黒龍というお酒が『ハレ』の日の酒で、普段の日常で味わうお酒、ケの酒が九頭龍というコンセプトで、時代と共に変わっていきました」
「ESHIKOTO」は、後で見る直販拠点でのみ手に入るラインです。
なお、水野直人氏の経営姿勢を象徴する言葉として「一歩先ではなく半歩先を行く」があります。これは7代目から受け継いだ言葉で、若い頃に新しい挑戦を仕掛けて失敗した7代目が、先輩経営者から「一歩先を行くと時代がついてこない」と諭された経験に由来すると語られています。
先代の水野正人氏は2016年8月8日に逝去しました。8代目は、その仕事ぶりをこう振り返っています。
「父は仕事に関してとても厳しい人で、私はいくつになっても叱られていました。けれどもそれは大切な会社と水野家を守っていこうという思いが強かったからこそなのだと、今なら痛いほど分かります。黙々と働く父の背中は、言葉以上に多くのことを教えてくれました」
ローカルグローススタジオの分析:ブランドごとに、届ける相手を分けている
ターゲットと便益を5-10パターンに整理するで、私たちは、誰に(Who)、何を(What)、どんな独自性で届けるかを相手ごとに具体的に整理するという考え方を書きました。1つのブランドで全員に届けようとすると、価値が曖昧になります。
黒龍酒造の3ライン構成を読み解くと、この分け方が明確に表れています。「黒龍」は高価格帯で、贈答や特別な機会に向かいます。「九頭龍」は燗酒を含む日常向けで、価格帯も用途も違います。「ESHIKOTO」は拠点に来た人だけが買えるラインです。同じ蔵の酒でありながら、届ける相手と場面が分けられています。
同じ記事では、同じ商品でも相手によって求める価値が違うとも書きました。日常に飲む酒と、贈り物にする酒では、求められるものが違います。1つの銘柄で両方をまかなおうとすると、どちらの相手にも中途半端になります。ラインを分けることは、価格を分けることではなく、相手を分けることです。
この事例から考えられること
1. 先代の発明を否定せず、条件のほうを整えている
8代目は「大吟醸の市販化」という父の発明を作り直してはいません。その価値が劣化しない流通を作りました。承継が前任の否定でなくても成立した例です。
2. 商品ラインごとに、届ける相手が1行で書かれている
「永遠へつながる一献」と「自由の扉をあける一杯」。それぞれのラインが誰の何に応えるのかが、短い言葉で示されています。
3. 3代分の取り組みが、1本の線で説明されている
祖父の吟醸造り、父の市販化とブランド戦略、自分の流通改革。個別の施策ではなく同じ方向の積み上げとして語られていることが、社内と取引先への伝わり方に影響していそうです。
5. 10年構想のESHIKOTO
2022年6月17日、黒龍酒造は永平寺町下浄法寺に複合施設「ESHIKOTO(えしこと)」を開業しました。運営は親会社の石田屋二左衛門株式会社です。水野直人氏が「10年構想」と呼んできたプロジェクトでした。
開業時に公開されたのは、約3万坪の敷地のうち約1万坪。中核は2棟の建物です。
- 酒樂棟(しゅらくとう): 直営ショップ「石田屋ESHIKOTO店」(常時15種類前後の自社酒と福井の工芸品)と、福井産食材を使うレストラン「acoya」
- 臥龍棟(がりゅうとう): スパークリング日本酒「awa酒」の貯蔵セラー、イベントスペース
2024年11月26日には、隣接地にオーベルジュ「歓宿縁 ESHIKOTO」が開業しました。レストランと宿泊機能を兼ねた施設です。
構想の出どころは、海外のワイナリーを巡った経験にあります。
「私が訪ね歩いた世界中から愛されているフランスやアメリカのワイン銘醸地は、ここ永平寺町よりもずっと田舎町。そこで出合ったのは、風土や食、人との交流を楽しむツーリストたちの笑顔でした」
「我々日本酒の世界では、いい酒を作って感動させることには力を注ぐものの、自分たちの場所を感動させることについては、真剣に取り組んでこなかったように思います。ワインの世界にできて僕らにできないわけがない。あのワイナリーで見た景色のように、永平寺町で福井の自然を感じていただきながら、福井の生産者や製造者、そして料理人や職人がつながり、交流が生まれ、刺激しあえる場ができないだろうか。そんな思いから、『ESHIKOTO』を立ち上げました」
「『ESHIKOTO』は約10年の構想を経て誕生しましたが、そのきっかけになったのは、九頭竜川が見渡せるこの場所との出会いでした」
3万坪の土地と、35軒への説明
土地の取得には時間がかかっています。
「10年ほど前から場所の選定を始め、福井を流れる母なる川『九頭竜川』が最も美しく見える永平寺町の土地を約3万坪買い求めました。最初は住民説明会で『わけのわからない若造が来た』と拒否されましたが、何度も通って夢を熱く語るうちに、我々が長く酒造りを続けてきた信頼もあり、最後にはご理解をいただいてスタートすることができました」
「ここのエリアには35軒の住民の方がいらっしゃって、10年ほど前にこの場所が本当に気に入って、まずは皆さんに集まっていただいて僕の夢を語らせていただいた。最初はなかなかご理解いただけなかったんですけど、何回もお話ししていく上で、我々が長い歴史お酒を作っている会社だということは皆さんご存知でしたし、地元の会社ということもあって『あそこだったらいいんじゃないの』ということでご理解いただいて、譲り受けることになりました。本当にそういったことは先祖に感謝しなきゃいけないなと思います」
200年その土地で酒を造ってきたという事実が、土地を譲り受ける交渉で効いています。
「とこしえ」を逆から読んだら「えしこと」だった
施設の名前には、経緯があります。当初は別の名前でした。
「最初はですね『とこしえ』という名前を考えてたんですけど、永平寺の『永』という言葉は『とこしえにつなぐ、とこしえの平和に』という形の思いでということになってるんですけど、その『とこしえ』という言葉が、実際使おうと思ったんですけど、ありふれた言葉ですし」
ここに、商標の問題も重なります。デザインを担当した佐藤卓氏の説明です。
「色んな施設を発信していく上で、お酒以外の商標の問題があったり、『とこしえ』という言葉自体が少しありふれていてイメージが違うんじゃないか、という話になって。そこで大逆転の発想が生まれました。その時、すでに『とこしえ』のために作った、永遠を意味するメビウスの輪をモチーフにしたロゴマークは決定していました」
「その財産を残しながらどうしようかとスタッフとミーティングしていた時、『tokoshie』や『とこしえ』を反対から読んでみたらどうだろうと思いついたんです。ひらがなで『とこしえ』を逆さまから読むと『えしこと』になる。『えしこと』は古い言葉で『良いこと』と繋がり、『これはいける!』とアルファベットで組んで水野さんにご連絡しました」
水野氏の反応も記録されています。
「僕はそれを聞いてすぐに『これはいい!』と反応しましたね。お酒の商標は持っていましたが、それ以外での商標問題という壁にぶつかったからこそ、大逆転が起きた」
佐藤氏は、この経緯を一般化しています。
「予定通りいかない壁が立ち現れた時、アイデアがジャンプすることが多いんです」
そして、この由来をあえて公開していません。
「ホームページなどで『えしこと』の由来をあえて種明かしをしていません。わからないという『謎』があるからこそ、人は『何だろう?』と問いを持ち、会話が生まれたり調べてみたりしたくなる。何でもかんでも知らせてしまう時代だからこそ、『魅力的なわからなさ』をどう作るかが、今の時代に大切な気がします」
水野氏も、広報の姿勢を同じ方向で語っています。
「あえて広報・宣伝を大きくせず、人から人へじわじわと、ゆっくり伝わっていく。その『ゆっくり考える時間』に価値を感じています」
20歳未満は入れない、試飲は有料
ESHIKOTOの運営方針は、集客を最大化する方向とは逆を向いています。
「ESHIKOTOは、あえて『20歳未満立ち入り禁止、ペット同伴不可』にしています。通常、経営を考えると子供連れをターゲットにした方が良いのですが、大人がゆっくりと心から風土と時間を楽しめるような、尖った施設にしたかったためです」
試飲も無料にしていません。
「テイスティングはあえて『有料』にしています。ワイナリーでも無料のところはありません。お金をきちんと頂戴しないと、お客様も真剣にお酒に向き合って飲んでくださらないからです。専属のソムリエが付き、お酒のストーリーやこだわりを丁寧に説明します」
無料にすると受け取る側の姿勢が変わるため有料にする、という判断です。
施設には、福井の若手工芸作家の作品も置かれています。越前箪笥の什器や越前焼の器を展示販売し、実際に酒を飲む器としても使ってもらう設計です。レストランでは永平寺の近くという立地を意識して、禅を意識した粥や体に優しい食材を出しています。酒粕を使ったソフトクリームは、地元客も目当てに来るほどの人気だと語られています。
天気の良い季節にはヨガ、永平寺から僧侶を招いての座禅と朝食といった体験も用意され、2023年には10組ほどが結婚式を挙げました。夜は、昔の酒造りの和釜を使った焚き火でマシュマロを焼くといった演出もあります。
宿泊機能を加えた理由も、同じ経験から来ています。
「海外のワイナリー訪問での体験が今につながっています。ワイナリーでは田舎町でお酒を飲むことになるため、宿泊施設を伴っていることが多いんです。ゆっくりお酒を楽しんでいただき、その風土を味わっていただくためにはそれなりの設えが必要だとわたしは考えます」
そして、自社だけで完結させない方向も語られています。
「海外では1箇所のワイナリーに長期滞在するのではなく、色々な場所を回るのが主流です。その環境を実現させるためには、黒龍のお酒、施設だけではいけないんですよ。永平寺町には現在、3つの酒蔵があります。このエリアの中で酒蔵を1つの武器として活用し、観光を活性化できればと考えています。昨年には町へ相談し、5箇所の醸造施設と地域の道の駅などを回る周遊バスのテストを行いました」
福井という土地との関係についても、明確な立場があります。
「福井の食材の素晴らしさはお墨付き。それらの食材を使い、美味しい料理を作るのは料理人として生き残るために当然のこと。しかし、県外や海外の人に福井を楽しんでいただくためには、外からの目線で福井を知り、その魅力を表現することが重要です」
「私の代で終わるプロジェクトではなく、来るたびに新しい変化や発見がある。ESHIKOTOを反対から読むと、『とこしえ』になるように、まさに永遠に続くプロジェクトとして、福井はもとより北陸全体を盛り上げていきたいと思っています」
なお、ESHIKOTOの総投資額や来場者数は、公開資料の範囲では確認できていません。
ローカルグローススタジオの分析:自社だけでは、来てもらう理由が足りない
地方企業やスタートアップに共通する、低リソース・ブランド無しの戦わない戦略で、私たちは、資源の限られる企業が単独で戦わずに済む方法として、他社との協業を挙げました。互いの持つものを使い合うことで、単独ではできない規模の価値を作る型です。
「黒龍のお酒、施設だけではいけないんですよ」という発言からは、私たちが記事に書いた考え方と同じ考えが読み取れます。1つの蔵に長期滞在する人はいません。だとすれば、周辺に回る先が必要になります。永平寺町にある3つの酒蔵を「1つの武器」として捉え、町に相談して周遊バスのテストまで行っています。自社の施設を、地域の回遊の一部として位置づけた形です。
同記事では、自社の強みを活かせる市場や手法を選ぶ方法も書きました。都市部に店を出して知名度で戦うのではなく、九頭竜川が見渡せる土地に人を呼ぶ。ここでは、立地そのものが競争条件になります。同じ商品を同じ棚で売る競争からは離れた場所です。
この事例から考えられること
1. 1つの蔵だけでは、滞在時間が埋まらないと考えている
「1つの蔵に長期滞在する人はいない」という前提から、周辺に回る先が必要だという判断が出ています。自社の拠点だけで来訪者の時間が埋まるかどうかは、他の観光型の事業でも問われそうです。
2. 同業を、競合ではなく回遊の相手として捉えている
永平寺町の3つの酒蔵は互いに競合でもあります。それを「エリアの武器」と捉えたことで、周遊という選択肢が出てきました。
3. 外の目線で、地域を説明し直している
「外からの目線で福井を知り、その魅力を表現する」という言葉のとおり、地元の人には当たり前の食材や風景が、外から来た人には価値になっています。
6. 次の代へ渡すまでに、事業を棚卸しする
価格を、自分で決めない商品を作った
承継の話に入る前に、直近の打ち手をもう1つ挙げておきます。長期熟成酒「無二(むに)」です。
「『熟成酒(ビンテージ)』の市場にも参入しました。子供が生まれた年に作ったビンテージのお酒を、二十歳になったときに一緒に飲む。ワインの世界では当たり前のことを、日本酒でもやりたいと考え、20年間の実験を経て、氷温で長期熟成させた『無二』というブランドを立ち上げました」
特徴は、価格の決め方です。
「『無二』は、蔵元が価格を決めるのではなく、バイヤーの皆さんにテイスティングしていただき、入札形式で価格を決めてもらうシステムをとっています。結果として1本10万円以上の高値で取引され、日本酒は手間暇をかけて作っているのだから、ワインのように高く評価されるお酒があってもいい、という私の昔からの想いを体現しています」
自分で値段をつけるのではなく、買う側に決めさせています。20年の実験を経て出した商品で、この方法を採っています。
流通管理の理由も、ここにつながります。
「高級酒になればなるほど、不適切な温度管理で品質が落ちたり、ブローカーによって高値で転売されたりする問題が発生します。これを防ぐため、二次元コードを用いたRFIDを導入しました。お客様に届くまでの温度管理がしっかりされているかを追跡し、変な流通を止めるために活用しています」
1990年代に取引先を選び直した判断と、同じ線の上にあります。
なお、市場の規模についても数字が挙げられています。日本酒の市場全体が約4,350億円であるのに対し、フランスはワインだけで1兆円を輸出している。日本酒の輸出は500億円から600億円程度だという説明です。
娘3人が、その場所で働いている
水野直人氏は1964年生まれで、社長就任から20年が経過しています。次の承継について、本人が語っています。
「私の代でESHIKOTOを完成させようとは思っていません。東京から戻ってきた3人の娘たちが現在、ESHIKOTOで一生懸命働いています。私が『なぜここを作り、何を目指したか』という想いのバトンだけはしっかり渡し、具体的な手法は娘たちが時代に合わせて考えていけばいいと思っています」
「この場所を私の時代で終わらせようとは思っていなくて、次世代にバトンタッチするべく、準備のための場所でもある」
渡すのは手法ではなく、なぜ作ったかという理由だけです。この考え方は、父から受けた言葉と重なります。
「僕の親父に言われた遺言ではないですけど、要は『次に繋ぎなさい』と。『水野家(石田屋)を次に繋げ』と言われました。お酒をたくさん作って売上をどうこうとかいう話は一切しなかったですね。この石田屋という暖簾をちゃんと引き継ぎなさいと、親父が言いたかったことはそれなんじゃないかと思います」
売上の話は一切なかった、という点が語られています。
そして、施設そのものについても完成を想定していません。
「これ、完成はいつですか?とよく聞かれるんですけど、『完成はないんです』と答えています。完成をさせずに、ずっと変化し続け、永遠に続くという思いを込めてプロジェクトをやっています」
「僕は『完成』というのは実はイメージしなくて、本当に『未完成』でいればいいなという。なぜかというと、そのお客様方がまた次に行った時『なんか新しいことができてんじゃないか』とか『新しいことが始まってんじゃないか』っていうことをワクワクしながら来ていただく場所ということをイメージしているので」
完成させないことを、次の代に渡す形にしています。
初代からの言葉と、伝統の定義
創業以来引き継がれている言葉も語られています。
「うちはですね、創業の時からずっと守ってきたものは、初代からずっと続いている言葉なんですけど、『その時代に合ったいいお酒を作りなさい』ということです」
「時代時代で、日本自体の環境も変わるし、生活の豊かさも変わってきます。その時代背景の中で、コロナもそうですし、疫病や戦争など、長い歴史を振り返ると今まで当たり前のようにあったことだと思います。そういった時代の中で何が必要とされているのか、それを繰り返し考えながら、その時代に生きている者じゃないとそれがわからないですから」
そして、伝統という言葉の定義です。
「よく『伝統と革新』という言葉がありますが、革新をするから伝統が生まれるんだと思いますので、それを繰り返していくのが長く続けていくのに大切なことなんじゃないかと思います」
「伝統とは動かないものではなく、常に革新的な姿勢があるからこそ積み重なって『伝統』になる。伝統の中にすでに革新という言葉が入っている」
守るべきものは製法ではなく、その時代に合わせるという姿勢そのものです。そのため、7代目は冷酒を広め、8代目は燗酒を提案できました。
ただし、ESHIKOTOプロジェクトには、次の代替わりに向けた事業の棚卸しという性格も見えます。特約店流通(黒龍・九頭龍)、直販と観光(ESHIKOTO)、宿泊(歓宿縁 ESHIKOTO)と、収益の源泉が複数本になりました。次の経営者が、どの基準で勝負するかを選べる余地が残ります。
今後の方向も語られています。
「現在は三季醸造で6,000石程度となっています。国内需要が大きいため、海外へはまだ5%程度しか出していません。また、海外への流通は管理面での課題などもあるのでまだ積極的ではないですね」
「黒龍銘柄については現在の蔵の地下75メートルから採水する地下水と場所を大切にしたい。そのため、日本酒の製造は現在の蔵に限定しようと考えています。しかし、他の地域で黒龍の技術を取り入れた、全く新しい酒蔵とブランドの立ち上げも検討しています」
海外展開についても、流通管理という自社の基準を優先しています。売れるから出すのではなく、管理できる範囲で出しています。1990年代の流通改革と同じ判断の基準です。
なお黒龍酒造は、中小機構の「100億企業・成長宣言」で、2050年に清酒と蒸留酒を合わせて売上高100億円超を掲げ、ウイスキーやジンへの本格参入を公表しています。同宣言では「外部専門人材の活用と後継者育成」も課題として挙げられており、承継が経営の議題に上っていることがうかがえます。
この事例から考えられること
1. 渡す前に、収益の柱が増えている
酒造に加えてESHIKOTOという柱を作ったうえで、次の代に渡す準備が進んでいます。事業が1本のまま渡す形とは、次の経営者に残る選択肢が変わってきそうです。
2. 拡大の基準が、自社の管理能力に置かれている
「海外への流通は管理面での課題などもあるのでまだ積極的ではない」。需要があるかどうかではなく、自社が責任を持てるかどうかで判断されています。
3. 承継の課題が、対外的に明示されている
「外部専門人材の活用と後継者育成」を課題として公表しています。課題を外に出しておくことが、支援や人材の集まり方に影響する可能性があります。
7. ローカルグローススタジオの視点
冒頭に挙げた8つの観点を、本文で確認した事実で説明し直します。
1. 家業に戻る前の営業経験が、流通改革の根拠になっている
協和発酵で東京の酒販店を回った経験から、地酒専門店と一般の酒販店での扱われ方の差を知りました。戻ってから全国の得意先を自分の足で回り、生酒や吟醸酒が常温で置かれている実態を確認しています。
2. 売上を一度落としてでも、品質に責任を持てる相手だけと組んでいる
冷蔵管理を求めて理解されなかった先との取引を終え、生産量を1,000石程度から500石以下に落としました。現在も特約店に限定した流通を続け、海外のインポーターにも同じ基準を適用しています。
3. 外部に頼っていた工程を、自社の組織に作り替えている
戻ったときの常勤社員は事務員1人でした。酒造りは冬だけ来る杜氏に依存し、その人が変われば味も変わる状態です。年間を通じて社員として蔵人を育てる体制に切り替え、現在は約50名になっています。
4. 先代の発明を否定せず、劣化しない条件のほうを作っている
7代目が1975年に市販化した大吟醸という資産を、8代目は作り直していません。その酒が良い状態で顧客に届く条件を整える方向に投資しました。一升2,000円の時代に5,000円で出した先代の判断も、価格の常識を変えるという点で同じ方向を向いています。
5. 入口を広げず、来る人を選んでいる
ESHIKOTOは20歳未満の立ち入りを断り、ペットの同伴も受けていません。試飲も有料です。「お金をきちんと頂戴しないと、お客様も真剣にお酒に向き合って飲んでくださらない」という理由からです。集客の最大化とは逆の設計になっています。
6. 判断の基準が、30年変わっていない
1990年代の流通改革も、現在の海外展開の慎重さも、判断の基準は「自社が品質に責任を持てる範囲か」で共通しています。売れるかどうかではなく、責任を持てるかどうかという基準が変わらないため、施策がばらつきません。
7. 伝統とは、姿勢のことだと定義している
初代から続く言葉は「その時代に合ったいいお酒を作りなさい」でした。守っているのは製法ではなく、時代に合わせるという姿勢そのものです。だから7代目は冷酒を広め、8代目は大吟醸の燗酒を提案できました。本人の言葉では「革新をするから伝統が生まれる」「伝統の中にすでに革新という言葉が入っている」となります。何を守るかを製法で決めると、変えられなくなります。
8. 完成させないことを、次の代に渡している
ESHIKOTOについて「完成はないんです」と答え、その理由を「次に行った時に新しいことが始まっているとワクワクしてもらうため」と説明しています。3人の娘がその場所で働いており、渡すのは手法ではなく「なぜここを作ったか」という理由だけだと語られています。父から受けた言葉も「次に繋ぎなさい」であり、売上の話は一切なかったといいます。承継で渡すものを、事業ではなく理由に絞る形です。
本事例から見える経営とマーケティングの学び
黒龍酒造の物語は、地方の老舗酒蔵が「商品の価値が流通で失われる」「知名度が業界の外に届かない」「日本酒の国内需要が縮む」という3つの宿題を、8代目への代替わりを起点に解いていった事例として読めます。重要なのは、水野直人氏が生産量を半分以下に落とすという、短期では明らかに不利な判断から始めていることです。四半期ごとの評価に縛られない家業だからこそ通った判断でもあります。
そして、その30年後に開業したESHIKOTOも、10年の構想を経たものでした。流通改革も拠点づくりも、それぞれ独立した打ち手ではなく、「自社が責任を持てる範囲で、良い状態の酒を届ける」という同じ線の上に並んでいます。ブランドやリソースが薄い状態から成長を作る経営者にとって、黒龍酒造の歩みは「何を守るために、何を手放すか」を考えるための学びになります。
「ビジネス知の機会格差をなくす」という私たちのミッションに向けて、これからも実践的で価値ある情報を発信していきます。この記事の内容について、さらに詳しく知りたい方は、ぜひご連絡ください。

執筆者 : 佐久間 一己 (さくま かずき)
つなぐスタジオ株式会社 代表取締役社長 / ローカルグローススタジオ Director
リクルート営業マネージャーを経て、福井県小浜市で道の駅・古民家ホテルの集客支援と行政の産業6次化に4年携わり、その後ユーザベースFORCAS(現Speeda)カスタマーサクセスマネージャー、スタートアップ執行役員、フィンテック事業責任者を務め、2025年に地方企業向けのマーケティング代理店を設立。BtoB事業でWEBメディアを立ち上げオーガニック流入を3か月で20倍に伸ばすなど、知名度や予算が限られる時期に効くマーケティングと採用の手法を、地方企業の規模に合わせて伴走します。



