ローカルグローススタジオは、『地方企業にスタートアップのような成長を』というテーマで、コンテンツ発信と支援サービスを展開しています。この記事では、実践的なビジネスノウハウを、できるだけわかりやすくお伝えしていきます。
今回取り上げるのは、広島県東広島市西条西本町の株式会社サタケです。1896年(明治29年)、創業者の佐竹利市氏が動力式精米機(本人発表で日本初)を考案・販売したことに始まる食品産業機械メーカーで、2026年3月に創業130周年を迎えました。国内の大型精米工場でシェア約7割、輸出先は約150カ国、グループ連結売上は670億円(2025年2月期)です。
この記事は、創業家以外の人が経営に入って会社を作り替えた事例を扱う「経営参画編」の1本です。サタケは2021年、4代続いた創業家の社長から、1991年入社の松本和久氏へ経営を渡しました。外から来た人、あるいは内から上がった人が、その会社の何を引き継ぎ、何を変えるかという判断の中身を読み解きます。
この記事の要約
先にストーリーの全体像です。サタケは1896年、東広島市西条で創業しました。西条は灘と伏見に並ぶ酒の産地で、そこで求められた「米を高い精度で削る技術」が同社の出発点になります。2代目の佐竹利彦氏が1908年に竪型研削式精米機を開発し、後の吟醸酒づくりの土台を作りました。3代目の佐竹覚氏は米国で育ち、英国・米国・中国に現地法人を設立して海外展開を進めます。4代目の佐竹利子氏は消費者の視点を持ち込み、無洗米や保存食といった一般消費者向けの領域を開きました。ここで押さえておきたいのは、覚氏と利子氏が夫婦だという事実です。覚氏は米国の大学で利子氏と出会い、日本へ招かれています。つまりサタケの創業家は、血統だけでなく婚姻によって外部の人材を経営へ迎え入れてきました。2021年6月、社長は生え抜きの松本和久氏へ、会長も創業家ではなく1969年入社の福森武氏へ渡ります。技術面では、精米機を起点に光選別機、モータ、無洗米の製造装置へと領域を広げ、広島のR&D部門だけで300名以上のエンジニアを抱え、3,000件以上の特許を持つ体制を作りました。
このストーリーから持ち帰れる観点は、次の6つです。それぞれ本文の章で事実を確認し、最後の6章で説明し直します。
1. 地元の産業が、最初の顧客であり技術の基準になっている(1章)
2. 創業家は、婚姻によって外部の人材を迎え入れてきた(2章)
3. カテゴリーを広げず、扱う対象を広げている(3章)
4. 同族から非同族への承継が、段階を踏んで進んでいる(4章)
5. 外の人を入れることは、この会社にとって初めてではなかった(全体)
6. 顧客が減る前提で、顧客を作る側に回っている(全体)
各章の末尾に、ローカルグローススタジオの分析と「この事例から考えられること」をまとめています。
参考資料一覧
- 株式会社サタケ 公式サイト、会社概要、ブランド・歴史、研究開発
- サタケ ニュースリリース「代表取締役の異動に関するお知らせ」(2021年5月26日)
- 日本経済新聞 電子版特集PR「『田舎の真面目な会社』が世界へ 精米機のサタケ130周年とこれから」(松本和久氏インタビュー)
- 東広島デジタル「東広島から世界へ サタケが創業130年 松本社長が語るサタケの誇り」(2026年5月26日)
- 中国新聞デジタル「【サタケ(東広島市)社長 松本和久さん】『人財』育て開発力を磨く」(2023年1月25日)
- SAKE Street「精米から新幹線まで、広島・西条から世界へ」(2022年8月19日)
- ジェトロ「広島発! 食品加工器機製造販売のサタケ、アフリカの穀物市場へ積極展開」(2019年3月18日)
- 平世貴哉氏「サタケの海外展開の歴史と現状」(食品機械専門誌への寄稿)
- TSSテレビ新広島「そ〜だったのかンパニー」#624(酒造用精米機の撤退論から真吟の完成まで)
- 官報決算データベース(2018年〜2026年の純利益・総資産の推移)
数字で見るサタケ
| 時点 | 数字 | 出典 |
|---|---|---|
| 1896年3月 | 佐竹利市氏が東広島市西条で動力式精米機(本人発表で日本初)を考案・販売 | 公式サイト |
| 1908年 | 2代目・佐竹利彦氏が竪型研削式精米機(41年式第2佐竹精穀機)を開発 | 公式サイト |
| 1932年 | 満州へ胚芽米精米機を輸出(初の海外進出)。1939年に満州佐竹製作所を設立 | 社内資料(食品機械専門誌への寄稿) |
| 1939年12月 | 株式会社へ改組 | 公式サイト |
| 1940年 | 佐竹利彦氏が体系的な精穀理論を発表 | 公式サイト |
| 1962年 | 「コンパス精米機」を発売。政府の精米集中化政策の礎に | 公式サイト |
| 1986年 | 食味計測システムを開発(公式沿革に世界初と記載) | 公式サイト 沿革 |
| 1989年 | 高始動特性三相交流電動機を開発(公式沿革に世界初と記載) | 公式サイト 沿革 |
| 2016年 | アフリカ初の駐在員事務所をコートジボワールに設立 | ジェトロ |
| 2021年6月 | 松本和久氏が代表取締役社長、福森武氏が代表取締役会長、木原和由氏が代表取締役副会長、佐竹利子氏が取締役名誉会長に就任 | 公式ニュースリリース |
| 2023年3月 | 福森武氏が名誉相談役に退任。同年6月24日に逝去(満76歳) | 公式訃報 |
| 2025年7月 | 食品事業本部を「サタケフードビジネス株式会社」として分社化 | 公式リリース |
| 2025年2月期 | グループ連結売上高670億円、経常利益約39億円 | 公開報道 |
| 2026年3月 | 創業130周年。第10回ものづくり日本大賞 中国経済産業局長賞を受賞 | 公式サイト |
| 現在 | 国内の大型精米工場でシェア約7割、輸出先は約150カ国、世界12か国に17事業所 | 公開報道、社内資料 |
| 現在 | 広島のR&D部門だけで300名以上のエンジニア、累計3,000件以上の特許 | 公式サイト 研究開発 |
なお、サタケの決算期は2月末です。資料によって「2024年度」と「2025年2月期」が同じ期を指すことがあるため、この記事では決算月まで明記します。また、グループ連結と単体決算では範囲が異なります。単体の純利益は年によって大きく変動しており(2023年2月期に89.5億円、翌2024年2月期に1.49億円)、その理由は公開資料からは特定できないため、この記事では単体の数字を使いません。
1. 酒どころで生まれた、米を削る技術
創業者の佐竹利市氏は1896年(明治29年)3月、東広島市西条で動力式精米機を考案し、販売を始めました。これがサタケの祖業です。
創業の動機は、公式サイトにこう記録されています。
1896年に初代・佐竹利市が発明した日本初の動力式精米機。この偉業ともいうべき発明に彼を突き動かしたもの、それは利発だった彼の知的探求心の高さもさることながら、何より心に抱いていた「生涯、世のためになるもの、人々が喜んでくれるものを生み出し続ける」という誓いであったと推察されます。
── サタケ公式サイト「ブランド・歴史」
ここで、地理的な前提を確認しておきます。サタケが本拠を置く西条は、灘と伏見に並ぶ日本三大銘醸地の1つです。明治末期から大正にかけて、良質な軟水と冬の冷え込みを活かして吟醸酒の産地として発展しました。サタケの精米機械は、この西条の酒蔵が必要としていた「米を高い精度で削る技術」と地続きで生まれています。
その象徴が、1908年に2代目の佐竹利彦氏が開発した竪型研削式精米機です。米を縦方向に削って高い精度を出せるようにしたこの機械が、後の吟醸酒づくりで必須になる高精白の基盤を作りました。精米歩合60%以下、大吟醸では35%前後まで磨くという工程は、この機械なしには実装が難しかったとされています。
1940年には、佐竹利彦氏が体系的な精穀理論を発表しています。創業家2代の段階で、サタケは「西条の酒蔵向けの装置メーカー」から「精米理論の標準を作る企業」へと役割を広げていました。
現在も、米の状態をどう見るかという発想は続いています。
「お米は生鮮食品。同じ田んぼで採れたお米でも、年によって、大きさも水分含有量も違うんです。毎年異なる米の状態をしっかり見極めてから、それに見合った精米方法・精米歩合を考えてあげることで、目指す酒質を実現しやすくなると私たちは考えます」
「サタケでは、米の状態を見ることの重要性を伝えるため、分析機械の開発にも取り組んでいます」
削る機械を売るだけでなく、削る前の状態を測る機械も作るという、顧客の工程全体を見ている姿勢です。
この事例から考えられること
照らし合わせてみる項目
- 自社の技術が、どの地元産業の要求から生まれたかを説明できるか
- 創業者が何を目指していたかが、社内で共有されているか
- 顧客の工程のうち、自社が関わる範囲の外まで見ているか
- 業界の標準を作る側に回る余地があるか
- 地元の産業が縮小したときの影響を、想定しているか
事例から読み取れること
1. 技術の出どころが、地元の産業の要求にあった
酒どころの西条にあったからこそ、米を高い精度で削る技術が必要とされました。技術の起点が、遠くの市場ではなく隣接する地元の産業にあった例です。自社の主力技術がどの要求から生まれたのかは、たどってみると同じような発見があるかもしれません。
2. 業界の共通基盤になる知見を、外へ出している
2代目が1940年に発表した精穀理論は、業界の共通の基盤になりました。自社の知見を理論や規格の形で外に出すことが、顧客との関係を変えた例として読めます。
3. 削る機械だけでなく、削る前を測る機械も作っている
自社が担う工程の前後まで見ていたことが、分析機械の開発につながっています。顧客の工程のどこまでを自社の関心の範囲に置くかという問いは、他の業種でも立てられそうです。
2. 創業家に、外から人を迎え入れてきた
サタケの経営は、創業家4代を軸に組み立てられてきました。松本和久社長が、それぞれの代の役割を整理しています。
「創業者の佐竹利市は技術開発に優れ、日本初の動力式精米機や、吟醸酒づくりの道を開いた研削式精米機を開発しました。創業者の息子の利彦は、探求心の塊のような人。米国育ちで3代目の佐竹覚は、グローバル展開を大きく進めた人です。米国や英国、中国、タイ、オーストラリアなどに次々と現地法人を設立しました。業務の効率化や、福利厚生の充実など米国的な考えを会社に持ち込んだ人でもあります。覚の妻で、利彦の長女だった4代目の利子は、消費者目線と女性の活用に目を向けた人です」
ここに重要な事実が含まれています。3代目の覚氏と4代目の利子氏は夫婦です。利子氏は2代目・利彦氏の長女で、覚氏は米国の大学で利子氏と出会い、日本へ招かれた人物でした。
この経緯について、松本社長が利子氏の生前の言葉を紹介しています。
「3代目の覚の入社ですね。覚が入ってこなかったら、利市と利彦が培ってきた技術力を生かした、田舎の製作所で終わっていた可能性もあります。覚が加わったことで、町工場からビジョンを持ち社会貢献までを目的とした企業へと変革を遂げることができました。米国の大学で覚と知り合った利子が生前、『私の一番の功績は覚を日本に連れてきたこと』と話していたのを思い出します」
創業家の当主が、自分の一番の功績を「外の人材を連れてきたこと」だと語っています。
つまりサタケの創業家は、血統だけで代を継いできたのではありません。婚姻という形で外部の人材を経営に迎え入れ、その人が会社の性格を変えました。米国育ちの3代目が海外展開と業務の効率化を持ち込んだからこそ、田舎の製作所で終わらなかった、という自己認識です。
2021年の非同族への承継は、この延長線上にあります。外の人を経営に入れることは、この会社にとって初めてではありませんでした。
ローカルグローススタジオの分析:何のための会社かを、代ごとに更新している
私たちは間違ってはいけない戦略の順番|ビジョン→事業→商品→営業→組織という記事で、戦略には順番があり、最初に「何のために事業をやるか」を決めるという考え方を書きました。手元の技術から考え始めると、その延長線しか出てきません。
サタケの3代目を読み解くと、私たちが記事に書いた「何のために」を決める役割を果たしたことが分かります。「町工場からビジョンを持ち社会貢献までを目的とした企業へ」という表現は、技術は変わっていないのに会社の定義が変わったことを意味します。同じ精米機を作りながら、何のために作るのかが更新されました。
同記事では、内製と外部活用を柔軟に使い分けるという考え方も書きました。サタケの場合、その外部活用が婚姻という形を取っています。特殊な例ですが、構造としては「社内にない視点を、外から人を入れて埋める」という一般的な打ち手です。
この事例から考えられること
1. 代ごとに足したものが、はっきり分かれている
松本社長の説明では、技術、海外展開、消費者の視点と、各代が足したものが1つずつ挙げられています。代ごとに何を足したかを並べられる状態にあることが、次の代の議論をしやすくしている可能性があります。
2. 外から入った人が、節目を作っている
3代目の覚氏は婚姻によって外から入り、会社の性格を変えました。その事実が記録に残っていることが、非同族への承継を検討するときの材料になっています。
3. 会社の定義が更新された時期を、社内で共有している
「町工場からビジョンを持ち社会貢献までを目的とした企業へ」という転換が、いつ誰によって起きたかを現社長が語れる状態にあります。定義が更新された時期を特定できることは、次の更新を考える材料になりそうです。
3. 精米機の隣に、光と電気の技術を足す
サタケのもう1つの主力が、玄米や雑穀に混ざった石や虫食い米を光で選別する色彩選別機です。当初はモノクロカメラと蛍光灯の組み合わせで色の違いを検出していましたが、その後フルカラーカメラ、近赤外線カメラ、LED光源を搭載し、色だけでなく素材や形状、水分量まで判別できる装置へ進化しました。
対象も広がっています。米だけでなく、麦類、豆類、ナッツ、コーヒー豆、種子などを扱えます。創業以来の「米の精米機」という一見狭い技術が、対象を切り替えるだけで世界の穀物加工市場に広げられる技術になりました。
事業領域の拡張は、装置を動かす部品にも及びました。1980年代半ば、電力事情の悪い東南アジア向けに「停電からの復旧時でも小さい消費電力で起動できる精米機」を開発する過程で、低始動電流の特殊モータが生まれています。このモータは後に、鉄道車両にも採用されました。
なお、公式の沿革には1986年の食味計測システムと1989年の高始動特性三相交流電動機について「世界初」と記載があります。ただしこれは自社の発表であり、第三者による検証を示す資料は確認できていません。同様に、松本社長は「量産型の無洗米製造装置を世界で初めて開発したのも当社です」と語っていますが、これも自社の発表です。祖業である動力式精米機については、精読した資料のすべてが「日本初」と表記しており、「世界初」と書いた一次資料はありませんでした。
こうした技術の広がりを支えているのが、研究開発の体制です。
「サタケは技術開発こそ会社発展の原動力と考えている技術開発型企業です。広島R&D部門だけで300名以上のエンジニアが研究開発に従事しており、現在までに3,000件以上の特許を取得しています」
松本社長も、強みをここに置いています。
「当社の強みは何と言っても技術開発力です。『我等には世界最高の商品を開発普及する使命がある』と綱領に掲げ、創業時から画期的な商品を次々と開発して世に出してきました。最初に開発した動力式精米機はそれまでの人力に比べて生産効率を飛躍的に向上させました」
海外は、90年以上前から始まっていた
サタケの海外展開は、3代目の覚氏が本格化させたものですが、始まりはさらに古く1932年です。
「弊社が初めて海外に進出したのは、今から85年前の1932年の事です。当時日本は現在の韓国や中国東北部を統治していました。満州国の人々は栄養不足、特にビタミンB1の欠乏による脚気に苦しんでいたため、ビタミンを豊富に含む『胚芽米』の提供が急務となり、弊社の胚芽米精米機が満州国に輸出されました。その後1939年には満州国に精米機を製造する『満州佐竹製作所』を設立しました」
現在の展開の考え方も、明確です。
「今日、弊社は世界12か国に17事業所を設置し、世界約150ヶ国に製品とサービスを提供しています。日本で製造し消費地まで輸出したのでは多くの費用が掛かってしまいます。現地調達、現地生産、現地販売を目指すことで、なるべく安価に弊社の機械とサービスを提供できるよう目指しています」
アフリカへの展開も、40年以上前から始まっていました。
「40年ほど前の政府開発援助(ODA)事業がきっかけだ。アフリカの中でも稲作が盛んで、コメを食べる文化がある国を対象に、ガーナ、ナイジェリア、エジプトへ精米機を輸出した。1991年には、英国の老舗製粉機メーカーを買収して、欧州拠点を同国のマンチェスターに設立し、そこからアフリカビジネスをカバーしていた」
2016年には、アフリカ初の駐在員事務所をコートジボワールに設立しています。
ローカルグローススタジオの分析:狭い領域から出ずに、対象だけを広げている
地方企業やスタートアップに共通する、低リソース・ブランド無しの戦わない戦略で、私たちは、資源の限られる企業が大手と同じ土俵で競わない方法を書きました。総合メーカーと同じ品揃えで戦えば、規模の差がそのまま出ます。
サタケは「精米機メーカー」というカテゴリーから出ていません。にもかかわらず、扱う対象は米から麦、豆、コーヒー豆、種子へと広がり、技術は光学と電気へ伸びています。カテゴリーを広げるのではなく、コア技術の隣に対象を足していく形です。
同記事では、自社の強みを活かせる市場や手法を選ぶ方法も書きました。停電の多い地域向けに低始動電流のモータを作るという開発は、電力事情の良い国のメーカーには生まれにくい発想です。市場の制約が、そのまま技術の差になっています。
この事例から考えられること
1. 技術を変えずに、扱う対象を増やしている
米で使っていた選別の技術が、麦、豆、ナッツ、コーヒー豆、種子へ広がりました。技術そのものは変えずに対象を変えるという道筋が、この会社では実際に機能しています。
2. 条件の悪い市場向けの開発から、別の技術が生まれている
停電の多い東南アジア向けに「小さい消費電力で起動できる精米機」を開発する過程で、低始動電流の特殊モータが生まれ、後に鉄道車両にも使われました。制約の多い市場が、技術を鍛える場になった例として読めます。
3. 「世界初」の根拠が、資料によって異なる
サタケの資料には、自社発表の「世界初」と、業界で共有されている「日本初」が混在しています。この記事でも、どちらの根拠かを分けて書きました。自社の実績を語るときに、その根拠が自社なのか第三者なのかを区別しておくことは、読み手の信頼に関わる部分だと私たちは考えています。
4. 4代の創業家から、生え抜き社員へ
2021年6月、サタケは創業から125年、4代続いた創業家の社長から経営を渡しました。松本和久氏が代表取締役社長に就任し、佐竹利子氏は取締役名誉会長へ退いています。
公式のリリースが挙げた理由は、簡潔です。
「経営の若返りを図り、当社グループの継続した事業成長を目指すため」
会長も、創業家ではなかった
ここで押さえておくべきなのが、このときの体制です。社長が松本氏、会長が福森武氏、副会長が木原和由氏、名誉会長が佐竹利子氏という4名の代表体制でした。
福森武氏は創業家ではなく、1969年入社の生え抜きの社員です。つまり2021年の交代では、社長と会長の両方が創業家以外になりました。福森氏は2023年3月に名誉相談役へ退き、同年6月24日に逝去しています(満76歳)。現在の会長は木原和由氏です。
社長1人が創業家以外になったのではなく、経営の中枢を段階的に非同族へ移したと読むほうが実態に合います。
引き継ぐものと、変えるもの
松本社長は、自分の立場を創業家と対比して語っています。
「創業から4代続いて佐竹家の社長が会社を率いてきましたが、5代目の私は生え抜き社員から初めての社長になりました。創業家の歴代社長は研究熱心で真面目。従業員のことを『家族』といって大切にし、仕入れ先や販売代理店、据え付け工事の発注先などのパートナー企業も大事にしていました。そうした姿勢は引き継いでいきたいと思います」
「一方、カリスマ性をもって会社を率いていた創業家とは違って、生え抜きの私は、従業員の皆と一緒にやっていかなければならないという思いがあります」
引き継ぐものは人と取引先を大事にする姿勢で、変えるものは意思決定の仕方です。カリスマがいない前提で、全員でやるという形に切り替えると明言しています。
自社の性格についても、率直な自己認識があります。
「特徴を問われたら『田舎のまじめな会社』と説明しています。言われたことをちゃんとし、ルールを守れる組織ですが、自分から考えて行動するのが苦手な部分があったように思います」
「『田舎の真面目な会社』であり続けていたこと。平たく言うと、実直に、誠実に、お客さまのためになろうと商品を開発してきたことです。ブレのない経営が130年につながった原動力だと思います。東広島という地域に支えられてきたからこそ、今のサタケがあります。東広島に本社があることも誇りです」
真面目さを強みとして認めたうえで、自分から考えて行動するのが苦手だという弱点も同じ場で挙げています。そのため「従業員の皆と一緒に」という形を取るという筋が通っています。
地域への還元も、事業として組んでいる
松本社長は、地域との関係も事業として語っています。
「農家がいて米があるわけで、農家には恩返しを続けていかなければなりません。農家の数も減少している中、農業を元気にしたい。過疎が進む東広島市豊栄町で2016年から取り組む『豊栄プロジェクト』はそうした思いで始めました」
2015年7月には、過疎化が進む東広島市豊栄町の清武地区で農業生産法人を設立しています。代表はサタケの社員です。2016年11月には産官学民が連携する「豊栄プロジェクト」を発足させ、空き家を再生した拠点や、体験型の農業教育事業を展開しています。掲げている目標は、人口の増加、持続的な一次産業、若者のUターンとIターンの促進、町民の健康寿命日本一です。
顧客である農家が減れば、精米機の市場も縮みます。地域への還元は、その意味で事業の前提を守る活動でもあります。
ローカルグローススタジオの分析:自社の弱点を明示したうえで、体制を設計している
マネジメントとは、今のリソースでやりくりすること、リソース調達力を上げること。バフ人材とデバフ人材を見極める。で、私たちは、マネジメントの本質は今いるメンバーの力を引き出すことにあると書きました。人を入れ替えるのではなく、今の組織で何ができるかを設計する話です。
松本社長の「自分から考えて行動するのが苦手な部分があった」という自己認識は、この設計の出発点になっています。カリスマ型の経営者がいた時代には、その苦手さは表面化しませんでした。指示する人がいたためです。その人がいなくなった以上、全員が考える形に変えるという判断につながっています。
同記事では、リソースを増やすより今のメンバーの力を引き出すほうが先だとも書きました。「従業員の皆と一緒にやっていかなければならない」という言い方は、能力の不足を人の入れ替えで埋めるのではなく、進め方を変えることで埋めるという判断です。
この事例から考えられること
1. 引き継ぐものと変えるものを、両方とも言葉にしている
松本社長は「人と取引先を大事にする姿勢は引き継ぐ」と述べる一方で、「カリスマ性をもって会社を率いていた創業家とは違う」とも語っています。守るものと変えるものを両方明示した承継の説明として読めます。
2. 社長だけでなく、会長も創業家以外になっている
2021年6月の交代では、社長と会長の両方が創業家以外になりました。社長1人を外部にする形とは、負荷のかかり方が違ってくる可能性があります。
3. 自社の弱みを、経営者が公の場で認めている
「自分から考えて行動するのが苦手な部分があったように思います」という自己認識が、対外的なインタビューで語られています。その認識が「従業員の皆と一緒にやっていかなければならない」という体制の選び方につながっている点は、筋が通っていると私たちは読みました。
5. 撤退が議論された技術を、20年後に完成させる
サタケには、一度撤退が議論された事業があります。酒造用の精米機です。
2000年代、この分野からの撤退が社内で検討されました。日本酒の市場が縮小するなかで、専用機を作り続ける意味が問われたためです。それでも撤退せず、2015年に新しい精米方法の開発に着手し、2018年度に「真吟精米」として実用化しています。
真吟は、従来の球形に削る方法ではなく、米の形に沿って扁平に削る方法です。同じ精米歩合でも、雑味の原因になる部分をより多く取り除けるとされています。2026年5月時点で、全国100蔵を超える酒蔵が採用しました。
2022年には、広島の3つの酒蔵と共同で真吟精米を使った日本酒を発売し、2023年3月には「ひろしまブランドアンバサダー企業」を宣言しています。撤退が議論された技術が、20年後に地域のブランドを支える技術になりました。
なお、直近では大規模農家向けの生産支援システムも始めています。乾燥機や光選別機の稼働データを自動で集計し、農地ごとの収穫量と品質を可視化する仕組みで、2030年までに全国1,100件の導入を目標としています。2025年には他社の農業管理システムとの機能連携も進めました。
2025年7月には食品事業本部を分社化し、保存食などの一般消費者向け事業を別会社にしています。
この事例から考えられること
1. 撤退を検討した事業が、20年後に主力になっている
2000年代に撤退が議論された酒造用精米機は、2018年度に真吟精米として実用化され、2026年5月時点で100蔵を超える採用に至りました。撤退の判断を先送りしたことが結果的に効いた例ですが、当時どこまで見通せていたのかは資料からは分かりません。
2. 縮小する市場のなかで、技術の水準を上げている
日本酒の市場が縮むなかで開発を続けた結果、採用する酒蔵が増えました。市場の大きさと、そのなかで選ばれるかどうかは別に動きうる、という読み方ができます。
3. 地元の酒蔵3社と共同で、製品を出している
広島の酒蔵3社との共同開発は、技術の実証であると同時に、地域での位置づけを作る活動にもなっていました。
6. ローカルグローススタジオの視点
冒頭に挙げた6つの観点を、本文で確認した事実で説明し直します。
1. 地元の産業が、最初の顧客であり技術の基準になっている
西条は灘と伏見に並ぶ酒の産地でした。そこで求められた「米を高い精度で削る技術」が、1908年の竪型研削式精米機と、後の吟醸酒づくりの基盤を生んでいます。地方のB2B企業の最初の顧客が、遠くの大企業ではなく隣接する地元の産業だった例として読めます。
2. 創業家は、婚姻によって外部の人材を迎え入れてきた
3代目の佐竹覚氏と4代目の佐竹利子氏は夫婦です。覚氏は米国の大学で利子氏と出会い、日本へ招かれました。利子氏が生前「私の一番の功績は覚を日本に連れてきたこと」と語っていたことも記録されています。血統だけの継承ではありませんでした。
3. カテゴリーを広げず、扱う対象を広げている
精米機というカテゴリーから出ないまま、対象を米から麦、豆、コーヒー豆、種子へ広げ、技術を光学と電気へ伸ばしました。停電の多い地域向けの開発から生まれたモータが、鉄道車両にも使われています。
4. 同族から非同族への承継が、段階を踏んで進んでいる
2021年6月の交代では、社長が生え抜きの松本和久氏、会長も創業家ではない福森武氏という4名の代表体制になりました。社長1人を外部にするのではなく、経営の中枢を移しています。
5. 外の人を入れることは、この会社にとって初めてではなかった
2021年の非同族への承継は、創業家が守ってきたものを手放したように見えます。しかし3代目が外から迎えられた人物だったという事実を踏まえると、外の視点を入れることはこの会社が以前から取ってきた方法でした。同族から非同族への承継を検討する会社にとって、自社の歴史にすでに前例がないかを見に行くことには意味があるかもしれません。
6. 顧客が減る前提で、顧客を作る側に回っている
農家の減少は、精米機の市場が縮むことを意味します。サタケは農業生産法人を設立し、地域の一次産業を支える事業を始めました。顧客を奪い合うのではなく、顧客がいる状態そのものを維持する活動です。地域への還元が、社会貢献であると同時に市場を守る事業にもなっている例と読めます。
本事例から見える経営とマーケティングの学び
サタケの物語は、地方のB2B企業が「祖業の市場の縮小」「創業家の承継」「海外での競争」という3つの宿題を、130年かけて解いてきた事例として読めます。重要なのは、精米機というカテゴリーから一度も出ていないことです。そのうえで扱う対象を広げ、技術を隣接領域へ伸ばし、世界約150カ国へ届けました。
そして経営の承継では、4代の創業家から生え抜きの社員へ渡しています。ただしその創業家自体が、婚姻によって外部の人材を迎え入れてきた歴史を持っていました。ブランドやリソースが薄い状態から成長を作る経営者にとって、サタケの歩みは「何を守り、誰に渡すか」を考えるための学びになります。
「ビジネス知の機会格差をなくす」という私たちのミッションに向けて、これからも実践的で価値ある情報を発信していきます。この記事の内容について、さらに詳しく知りたい方は、ぜひご連絡ください。

執筆者 : 佐久間 一己 (さくま かずき)
つなぐスタジオ株式会社 代表取締役社長 / ローカルグローススタジオ Director
リクルート営業マネージャーを経て、福井県小浜市で道の駅・古民家ホテルの集客支援と行政の産業6次化に4年携わり、その後ユーザベースFORCAS(現Speeda)カスタマーサクセスマネージャー、スタートアップ執行役員、フィンテック事業責任者を務め、2025年に地方企業向けのマーケティング代理店を設立。BtoB事業でWEBメディアを立ち上げオーガニック流入を3か月で20倍に伸ばすなど、知名度や予算が限られる時期に効くマーケティングと採用の手法を、地方企業の規模に合わせて伴走します。


