ローカルグローススタジオは、『地方企業にスタートアップのような成長を』というテーマで、コンテンツ発信と支援サービスを展開しています。この記事では、実践的なビジネスノウハウを、できるだけわかりやすくお伝えしていきます。
今回取り上げるのは、長野県北佐久郡軽井沢町のクラフトビールメーカー、株式会社ヤッホーブルーイングです。1996年5月設立、1997年創業。星野リゾートの星野佳路氏が「日本に新しいビール文化をつくる」という構想のもとに立ち上げた会社で、現在は2008年に代表取締役社長へ就任した井手直行氏(ニックネーム「てんちょ」)が率いています。看板商品は「よなよなエール」。従業員は223名(2026年4月時点)です。
この記事は、創業家以外の人が経営に入って会社を作り替えた事例を扱う「経営参画編」の1本です。井手氏は創業者でも創業家でもなく、軽井沢の広告代理店で営業をしていたところを誘われて入社した人でした。外から来た人が、その会社の何を資産と見なし、何を捨てるかという判断の中身を読み解きます。
この記事の要約
先にストーリーの全体像です。ヤッホーブルーイングは、1994年の酒税法改正で可能になった小規模ビール醸造、いわゆる地ビールの枠組みで1997年に醸造を開始しました。創業から数年は地ビールブームの追い風を受けますが、ブームが去ると売上は急落します。20人いた社員は約半数まで減り、8年連続の赤字に陥りました。井手氏が星野氏に「この会社、もうだめじゃないですか」と泣きついたとき、返ってきたのは「本当にすべてをやり尽くしたのかなぁ。とことんやってみようよ」という言葉でした。転機は、退職した社員のロッカーから出てきた1997年6月の手紙です。楽天の三木谷浩史氏の署名で「一緒にインターネットで世界を目指しましょう」と書かれていました。開店休業のままだった通販サイトに向き合うと、店頭では売れなくなっていた「よなよなエール」が、ネットではそこそこ売れていることが分かります。ここから通販を主軸に立て直し、2008年に井手氏が社長へ就任しました。以後、「100人に1人に深く刺さる」という製品方針と、ファンが集まる「超宴」というイベント、そしてニックネームで呼び合うフラットな組織を、20年かけて作っています。
このストーリーから持ち帰れる観点は、次の8つです。それぞれ本文の章で事実を確認し、最後の6章で説明し直します。
1. 売れないのは商品ではなく、売る場所かもしれない(2章)
2. 100人に1人へ深く刺さることを、意図して選んでいる(3章)
3. 赤字でも続けると決めたイベントが、関係を作っている(4章)
4. 議論が成り立つ組織にするために、呼び方から変えている(5章)
5. 撤退の話を先にしたため、続ける決断ができた(全体)
6. 好調の理由を誤認した経験が、次の判断を作っている(全体)
7. ブームで増えた市場で、他社の品質が自社の評判を左右している(全体)
8. 避けていた手段が、最後に残っている(全体)
各章の末尾に、ローカルグローススタジオの分析と「この事例から考えられること」をまとめています。
参考資料一覧
- ヤッホーブルーイング 公式サイト、会社概要、ヒストリー、公式ストーリー「開店休業状態の通販サイトが『最強サイト』と言われるまで(前編)」「(後編)」(2021年5月)
- 日経ビジネス「ヤッホー・井手直行氏 ビール文化の熱き伝道師」(2022年3月29日復刻、原記事2013年12月16日号)
- Business Insider Japan「ヤッホーブルーイング社長・井手直行」2・3・4(2020年3月、宮本恵理子)
- エン・ジャパン「よなよなエールを育てた『非常識』な男。倒産寸前でも”初”に賭ける|井手直行の履歴書」(2019年10月28日)。2026年9月時点でページが削除されておりURLは付けていません。この記事を出典としてベースラインが掲げていた引用は、原文に存在しないことを確認したため本記事では使っていません
- NewsPicks「【井手直行】星野佳路と働きたくて入社。よなよな大ヒット」(2021年6月24日)
- 楽天グループ「楽天25周年 井手直行さんの楽天履歴」(2022年6月1日)
- Agenda note「よなよなエールが、イベント『超宴』を赤字でも開催する理由」(2018年10月15日)
- ICC FUKUOKA 2023 セッション記事(2023年8月7日)
- 井手直行氏 note「模倣との戦いよ、サラバ! ヤッホーの模倣困難な戦略」「『出る杭』を応援し続けていたら、世界平和を目指すようになった話」ほか全16件
- ヤッホーブルーイング公式note「フラットな会社がチームとビールをうまくする!」ほか全51件
- PR TIMES MAGAZINE「『卒乳祝い』などに2.6万件の応募」(2025年4月4日更新)
- カンブリア宮殿 座右の銘【ヤッホーブルーイング 社長 井手直行】(2022年8月11日)
- あの人に会いたい! 第196回 井手直行氏
- 『よなよなエール』を広めたクラフトビール×エンターテインメント 井手直行×宇野常寛(楽天大学ラボ)
数字で見るヤッホーブルーイング
| 時点 | 数字 | 出典 |
|---|---|---|
| 1996年5月 | 会社設立。1997年に醸造開始 | 公式サイト |
| 1997年 | 井手直行氏が営業担当として入社(1967年福岡県生まれ、国立久留米工業高等専門学校卒) | 公開報道 |
| 1997年6月 | 楽天市場のオープン1か月後にネットショップを開店。以後7年近く開店休業 | 公式ストーリー |
| ブーム崩壊後 | 20人いた社員が約半数に減り、8年連続の赤字 | 日経ビジネス |
| 2005年〜2007年 | 3年連続で年率30%超の売上成長 | 公開報道 |
| 2007年〜 | 楽天ショップ・オブ・ザ・イヤーを10年連続受賞 | 公式ストーリー |
| 2008年 | 井手直行氏が代表取締役社長に就任 | 公式サイト |
| 2010年 | ファンイベントを40〜50人規模で開始 | ICC、Agenda note |
| 2015年 | 「超宴」と改称し約500人規模へ | 公開報道 |
| 2018年10月27日 | お台場特設会場で約5,000人規模(当時の史上最大) | 公式プレスルーム |
| 2019年10月 | 2日間で1万人規模の開催を予定するも、台風のため中止 | ICC(井手氏本人談) |
| 2020年 | オンラインの「おうち超宴」を2日間で延べ1万人が視聴(同時視聴は約1,500名) | 公式ストーリー |
| 2017年〜2026年 | GPTW(働きがいのある会社)ベストカンパニーに10年連続で選出 | 公式プレスルーム |
| 2022年4月 | 社員200名を突破(2012年比で10年間に4倍以上) | 公式ストーリー |
| 2025年5月 | 「超宴」参加者約1,000名、満足度85.3% | GPTWプレスリリース |
| 2025年6月発表 | 2025年11月期は売上高が前期比16%増、売上総利益18%増で過去最高 | 公開報道 |
| 2026年4月 | 従業員223名。資本金1,000万円 | 公式サイト 会社概要 |
| 2026年8月 | 国内のクラフトブルワリーは約1,000社。ビール市場全体に占めるクラフトビールのシェアは約1.7%(2023年度) | 公式ストーリー |
1. 断るつもりで会いに行った男が、営業として入社する
親会社の主業ではない領域に、別法人で踏み込んだ
ヤッホーブルーイングは、星野リゾート(当時の社名は星野温泉)の星野佳路氏が、米国留学時代にエールビールに出会ったことをきっかけに立ち上げた会社です。1996年5月に設立し、1994年の酒税法改正で可能になった小規模ビール醸造の枠組みのなかで、1997年に醸造を開始しました。
親会社はリゾートの運営会社で、ビール事業は主業ではない領域に別法人として踏み込んだものでした。この点がこの会社の出発点です。社長は当初、星野佳路氏自身が兼務する形で始まりました。
断り続けた末に、留守電で気が変わった
そこに営業担当として加わったのが井手直行氏です。1967年に福岡県で生まれ、国立久留米工業高等専門学校の電気工学科を卒業後、大手電気機器メーカーにエンジニアとして就職。その後、環境アセスメントの事業会社などを経て軽井沢に移住し、現地の広告代理店で営業職に就いていました。担当顧客の1つが星野リゾートで、そこで星野氏と知り合っています。
ただし、誘いにはすぐ乗っていません。
「はじめは、営業時代にお世話になった方から伝言で『星野さんが会いたがってるんだけど、どう?』とか、『ウチに来ないかって言っているよ』とか言われてたんですけど、『いや、しばらく考えたいので』とお断りしていて。でもある日、家の電話に留守電が残ってたんです。星野から直々に『一回、お話ししたいんだけど』と」
「すると、ビール事業を立ち上げようとしていて、ぜひ一緒にやらないか、と。星野もさすが、人を乗せるのが上手なんですね。一通り話した後、僕をここに連れてきて、まだ基礎から鉄骨が出ているような工事現場だったんですけど、直感的に面白そう!と思って」
星野氏が語った構想も記録されています。
留学先のアメリカで出合った華やかな香りのエールビールを、日本の醸造所でつくりたい。日本のビール業界に新風を吹かせ、もっと豊かな文化を発信しよう。井手さん、僕と一緒にやってくれないか
── Business Insider Japan(2020年3月24日)
本人は後に、この縁をこう振り返っています。
「星野との出会いは人生において大きな転換点となりました。彼と出会っていなければもちろん今の自分はない。でも星野から何度かお誘いの声を掛けてもらっても興味がなくお断りしていた私。そしてひょっとして最後の誘いだったかもしれないチャンスをギリギリ掴んだのは本当にラッキーだったというか不思議な縁」
創業家でも親会社の出身でもなく、地縁でつながった外部の営業マンが加わったことが、後の社長就任の前提になります。
ブームが去ったあと、立場が逆転した
創業から数年、「軽井沢発のクラフトビール」というポジションは追い風を受けました。全国で地ビールメーカーが急増し、観光地の土産物としても脚光を浴びた時期です。ところが、ブームは続きませんでした。
「完全に天狗になっていました。30歳そこそこの若造なのに、お客さんに『そちらに納品できる分はもう残ってませんよ』なんて偉そうに言ってたんですよ」
「その数年後にブームが去ると、状況は一変。売り上げは急落して、立場が逆転した。必死に営業に行っても、『あの時の井手さんの冷たい態度、忘れていないよ』と返される始末。コマーシャルを打ったり、キャンペーンを企画したり、考えつく限りのことはやってみました。でも、売れない。絶望していました」
現場の光景も残っています。
とにかく1本でも多く売ろうと、冬のスキー場に隣接した温泉の出入り口に立ち、震えながら「ビール、いかがですかぁ」と手売りしたこともあった。「お兄さん、頭に雪積もっているよ……」と哀れみ半分で買ってくれる客の背中に、明るい未来は見えなかった。
── Business Insider Japan(2020年3月24日)
ブームが終わった理由は、3つあった
なぜブームが終わったのか、井手氏は3つの要因を挙げています。1つめは価格が高かったことで、2つめは、なじみのない個性的な味だったことです。
「ちょっとなじみがない個性的なビールなので、1回2回飲んでみても面白いけど、やっぱりいつものビールがいいやって言って戻っていった」
そして3つめが、業界全体の品質でした。
「一番良くなかったのが、品質が悪いという問題もありまして。当時ブームで地ビールメーカーが乱立して、その中ではまだまだビールを作る経験が本当に未熟な会社もたくさんありまして、明らかに製造工程上ちょっとミスを犯したような味のビールというのも出ていた」
そして、業界の規模の変化が語られています。
「あっという間に300社近く地ビール会社ができたんですけど、100社くらいがもう倒産とか事業撤退していった」
自社の努力とは別に、業界そのものの評判が落ちていました。ブームで参入した会社の品質が、後から入った顧客の印象を決めてしまうため、急に増えた市場では、自社が正しく作っていてもこの影響を受けます。
20人いた社員は約半数まで減り、8年連続の赤字が続きます。井手氏は星野氏に直談判しました。
「社長、こんなにうまくいかず、皆が辞めていく事業なんて続ける意味、あるんでしょうか……? できることはすべてやりました。僕はもう何をしたらいいか分かりません。ただただ途方に暮れています」
返ってきたのは、次の言葉でした。
「でもさ、本当にすべてをやり尽くしたのかなぁ」「とことんやってみようよ。それでもダメだったら、会社を畳んで、湯川で一緒に釣りでもしながらのんびり暮らそう」
湯川は、星野リゾートの敷地内を流れる川です。畳むことを否定せず、その先の暮らし方まで示したうえで、もう一度やろうと言っています。
この事例から考えられること
照らし合わせてみる項目
- 市場のブームに乗っているとき、それがブームだと認識できているか
- 好調時の顧客対応が、不調時に跳ね返ってくることを想定しているか
- 撤退の判断基準を、経営者と現場責任者で共有しているか
- 別法人で始めた事業の権限の範囲が、決まっているか
- 外から人を招くときに、事業の構想を自分の言葉で語っているか
事例から読み取れること
1. 好調の理由を、後から自社の力ではなかったと振り返っている
「完全に天狗になっていました」という反省は、好調の理由を自社の力だと受け取っていたところから来ています。売れている理由を市場の要因と自社の要因に分けられるかどうかという問いが、ここから立ちます。
2. 撤退した後の姿まで、言葉になっている
「会社を畳んで、湯川で一緒に釣りでもしながらのんびり暮らそう」という言葉で最悪の場合を具体的にしたことが、もう一度やる決断につながったと本人は語っています。
3. 人を誘うときに、本人が直接語っている
伝言では動かなかった人が、本人からの留守電と現場の見学で動いています。間に人を挟むかどうかが、結果を分けた例として読めます。
2. ロッカーから出てきた、1997年の手紙
7年近く開店休業だった通販サイト
8年連続の赤字を抜けるきっかけは、思わぬところから出てきました。
退職した社員のロッカーを片付けていると、古びた手紙がスッと手の中に収まった。開いてみると、走り書きのような数行が目に留まった。「この度はご出店ありがとうございました。一緒にインターネットで世界を目指しましょう。 楽天 三木谷浩史」
手紙の日付は1997年6月。楽天市場がオープンしたわずか1カ月後に、ヤッホーはネットショップを開店していた。しかし、それから7年近く、その販路を生かすこともなく開店休業状態が続いていた。
── Business Insider Japan(2020年3月25日)
出店したのは創業と同時期でした。星野氏の判断です。
「私は営業担当で、インターネット販売には関わっていませんでした。代表だった星野が意欲的だったんです。実は私は、インターネットのことはよくわからず興味もなかった。星野の先見の明だと思います」
その手紙を読んだときの心境も語られています。
「『一緒にインターネットで世界を目指しましょう。』スタート地点は同じだったのに、気が付けば楽天は飛ぶ鳥を落とす勢いでヤッホーは倒産寸前。悔しさがこみ上げました」
「この違いは何だ? どうしてここまで差が開いてしまったんだ?と自問自答しました。そして、その違いは”信じ切れるかどうか”だと気づいたんです。『三木谷浩史にできて井手直行にできないわけないだろう!ないだろう!ないだろう!』と1000回くらい自分に言い聞かせて奮い立たせていました。僕には勇気の鎧が必要でした」
社員に向けても、退路を断つ形で宣言しています。
「受講費用は数ヶ月で元をとります!逃げ出しそうになったら怒ってください」
楽天大学を受講するにあたっての発言です。
唯一、やったことがなくて残っていたもの
そもそも、なぜ通販に向き合うことになったのか。その経緯も語られています。
「何をやってもうまくいかなかったんですが、営業なんで、営業にかかることをいろいろやって本当にダメで。正社員もどんどん辞めていっちゃって。そうした時に唯一、営業の私ができることで残っていない、やったことがないのが1個だけ残っていたんですよ。もうずっと避けてたんですけど、それがインターネット通販だったんですね」
営業として思いつく手を全部やり尽くし、避けていたものだけが残った状態で手を付けており、前向きな選択ではありませんでした。
楽天大学へも、軽井沢から通っています。当時、楽天市場のオフィスは六本木ヒルズにありました。そこで繰り返し聞いた考え方が、後の設計につながります。
「ただ商品を自動販売機で売るだけじゃなくて、ショッピングエンターテインメントというこれを大事にしてるんだって、いうのを何度も聞いてるうちに」
売り場を、商品を並べる場所ではなく楽しませる場所として捉えるという考え方を持ち帰りました。
商品がないため、企画を作った
当時、売る商品は限られていました。
「よなよなエールしか当時商売するビールがなかった。新商品も出てこないんですよ。なので、くだらない企画というのを作って」
「例えば、びっくり写真展みたいなのを作ってね。よなよなエールにまつわる面白い写真を送ってください、私が審査して評価してページにアップします、とかね」
商品を増やせないなら商品のまわりに参加できるものを作るという、この時期の工夫が、後のファンとの関係づくりの原型になっています。
メールマガジンも、書き方を変えました。
「180度違うメルマガを書き出したんですよ。よなよなエールの話をほとんどせずに、私がブログみたいな。しかも素人が書くブログなんで」
商品の話をしないメールマガジンです。反応は分かれました。
「そうするとますます好反応が出て、注文も増えてきたんですよ。でもこれはすごいと思ったと同時に、同じぐらいクレームのメールも来て」
批判は、内容だけでなく本人に向くものもありました。それに対する対応が記録されています。
「1件1件クレームを返信していくうちに、『お前のことは嫌いだしメルマガも嫌いだけど、あの気持ちは分かった。頑張れ』みたいな」
嫌われたまま応援されるという反応は、全員に好かれることを目指さず、なぜそう書いているのかを1人ずつ説明した結果です。後の「100人に1人」という方針は、この時期の経験の上にあります。
店頭では売れないのに、ネットでは売れていた
向き合ってみると、事実も違っていました。
「しょうがなく開店休業状態だった楽天市場店をなんとかしようとネット販売に向き合いました。そこではじめて知ったことは、全然売れなくなったと思っていた〈よなよなエール〉が、実はネットではそこそこ売れていたんです」
商品が売れなくなったのではなく、売る場所が合っていなかったのです。地ビールブームの主戦場だった土産物店の流通から、自宅で飲むためのクラフトビールという位置づけへ、売り場ごと移した形です。
この立て直しが効き、2005年から3年連続で年率30%超の成長を達成します。楽天市場店「よなよなの里」は、2007年から楽天ショップ・オブ・ザ・イヤーを10年連続で受賞しました。
2006年、星野氏は井手氏に後継の社長になるよう打診し、2年後の2008年に就任が実現します。
「ネット戦略がうまくいき、営業部門を責任者として見るようになって、現場を切り盛りしている感覚はありました。なので、星野から社長のバトンを受け取ったのも自然な流れでした。社長になって夢が広がるというよりは、会社をクビにならないようにしなきゃな、と身が引き締まるような思いでした」
ローカルグローススタジオの分析:顧客の連絡先が残る売り方を選んでいる
顧客獲得コストを下げるには「ストック>フロー」を意識しようで、私たちは、止めれば効果が消えるフロー型と、積み上がって効き続けるストック型を分けて考えるという考え方を書きました。予算の限られる企業ほど、ストック型の比重を上げる意味が大きくなります。
土産物店の棚は、置いてもらえる限りは売れますが、誰が買ったのかは分かりません。通販なら、買った人の連絡先が残ります。ヤッホーブルーイングが通販へ移ったとき、売上の経路が変わっただけでなく、顧客との関係が残る構造に変わりました。井手氏が長文のメールマガジンを書き続け、つくり手の考えを直接伝えられたのも、この構造があったからです。
同記事では、ストック型は効果が出るまで時間がかかるとも書きました。出店は1997年、本気で向き合ったのが2004年、成長が始まったのが2005年です。7年間、資産は存在していたのに使われていませんでした。持っているのに使っていないものが、社内にある場合があります。
この事例から考えられること
1. 売れない原因が、商品ではなく売り場の側にあった
店頭では売れず、ネットでは売れていました。同じ商品でも売り場が変われば結果が変わるという、はっきりした形で現れた例です。
2. 使っていなかった販路が、転機になっている
7年近く開店休業だった通販サイトが起点になりました。過去に作ったまま動いていない販路が社内にないかという問いは、他の会社でも立てられそうです。
3. 研修費を、社内に公言してから使っている
「受講費用は数ヶ月で元をとります。逃げ出しそうになったら怒ってください」という宣言のとおり、費用を公言したことが、使い切る動機になっていたと本人は語っています。
3. 100人に1人へ、深く刺さる
ヤッホーブルーイングの製品開発の核が、「100人に1人に深く刺さるブランドをつくる」という方針です。
100人に1人でいいので、その1人に「熱狂的に刺さり、喜んでもらえるもの」をつくってお届けしたいという考えが、当社にはあります。100人に1人のお客様が弊社のビールを買ってくだされば、ビジネスとして十分成り立つという考えがあるからです。
── ヤッホーブルーイング広報担当(PR TIMES MAGAZINE「『卒乳祝い』などに2.6万件の応募。コアなファンを増やす企画づくりのポイント」)
この方針は、意図的なトレードオフとして説明されています。
「特定のキャラクターを使うと、それが好きな方にはフックするが、嫌いな方には拒絶されるリスクがある。ネコ好きにはたまらないが、ネコ嫌いには拒絶され、イヌ好きには何の興味ももたれない」
「我々がお手本にしているのは、名著『競争の戦略』の著者であるマイケル・ポーターの戦略論だ。模倣困難な仕組みである『トレードオフを伴う活動』を選ばなければならないと説いている」
「よなよなエール」「インドの青鬼」「水曜日のネコ」「裏通りのドンダバダ」「正気のサタン」という商品名は、一見すると奇抜です。ただし、その根拠には素材のストーリーが置かれています。IPA(India Pale Ale)が大航海時代にインドへ輸送するためホップを大量に配合したビールから生まれた、という由来の引用です。
味の基準についても、製造部門の責任者が語っています。
「誰が飲んでも『おいしい』と感覚的に思える要素だと思うからです。バランスが悪いと、不快な何かが残ります。我々のものづくりにおけるものさしとして『コンペ(品評会)で受賞できるようなビールか』というものがあります」
目指す位置も明示されています。
「100人に1人でいいので、その1人に『熱狂的に刺さり、喜んでもらえるもの』をつくってお届けしたいという考えが、当社にはあります。クラフトビール市場は、大手メーカーを含めたビール市場全体でみると1%ほどのシェアに留まります。ゆくゆくはクラフトビール市場を2%に押し上げてその半分にあたる1%のシェアを弊社で獲得していきたい」
日本のビール市場の98%は大手メーカーが占めています。その残りで、さらに1人に絞る選択です。
ローカルグローススタジオの分析:大手が取れない土俵を、狭くして取りに行く
地方企業やスタートアップに共通する、低リソース・ブランド無しの戦わない戦略で、私たちは、資金も知名度も限られる企業が大手と同じ土俵で競わない方法を書きました。同じ棚で同じ広告量を投じれば、資本の差がそのまま結果になります。
「100人に1人」という方針を読み解くと、私たちが記事に書いた考え方と同じ考えを、製品開発の段階から持っていることが分かります。100人のうち99人に届かないことを最初から受け入れています。大手メーカーは、この選択ができません。大量に作って大量に売る構造では、99人に届かない商品は成立しないためです。狭くすること自体が、大手との差になります。
同記事では、自社の強みを活かせる市場や手法を選ぶ方法も書きました。ネコ好きに刺さる商品はネコ嫌いに拒絶される、というトレードオフを、井手氏はポーターの戦略論として説明しています。避けられない不利を引き受けることが、模倣されにくさを作るという理解です。
この事例から考えられること
1. 100人に1人と決めることが、99人に届かないと決めることでもある
狭く深く刺さる開発を選ぶということは、届かない相手を決めることでもあります。自社の商品が届かない相手を言えるかどうかという問いが、ここから立ちます。
2. 奇抜な名前に、由来がある
「インドの青鬼」という名前は、IPAというビアスタイルの由来から来ています。目を引くだけの名前と、由来のある名前では、説明を求められたときの答え方が変わりそうです。
3. 品質の基準を、自社の外に置いている
「コンペで受賞できるようなビールか」という基準は、社内の主観ではありません。自社の品質を測る基準を外に置いた例です。
4. 赤字でもやめないイベント
ヤッホーブルーイングの代名詞になっているのが、ファンが集まる「よなよなエールの超宴」です。
始まりは小さいものでした。
「我々はビール屋なので、当然ビールを飲んでくれている方がいます。ずっと前から、そういう方を『ファン』と呼んでいます。こういうことを2010年から始め、ずっと続けていたら、だんだん大きくなっていきました。40人くらいのファンを、東京にある、得意先のパブに集めて行ったのが最初です」
2015年に「超宴」と改称して約500人規模、2018年10月27日にはお台場の特設会場で約5,000人規模まで拡大しました。2019年10月には2日間で1万人規模の開催を予定しましたが、台風のため中止になっています。翌2020年、オンラインの「おうち超宴」を開催し、2日間で延べ1万人が視聴しました(同時視聴は約1,500名)。2025年5月の開催では、参加者約1,000名、満足度85.3%と公表されています。
特徴は、コンサート型ではなく文化祭型である点です。社員がニックネームで自分を名乗り、ファンと直接話し、ファン同士の交流も並行して起こる構成になっています。
そして、収支については明確です。
「お台場で行った5,000人のイベントは、ものすごい赤字でした。もう、言えないくらいの大赤字です。イベントに来たお客様がどこで利益を出してくれるかは分からないのですが、ずっとイベントを続けているわけです」
「短期的な売上や利益は、まったく求めていない。そもそも『超宴』のようなイベントは、費用と効果の相関を明確に紐づけにくい。僕らのイベントは、ある意味『赤字でないと実現できない』と思っているところもある。黒字化するならチケット代を高くする必要があるけれど、それでは参加者の満足度が下がってしまう」
赤字を許容する根拠として、顧客の構造も語られています。
「我々の場合、10%の顧客による売上が、全体売上の60%以上を占めるのですよね。『熱狂度』のレベルが2番目の人のLTVは、最高レベルの人のLTVの半分以下です。レベルが3番目の人のLTVも、2番目の人のLTVの半分以下ですし、4番目、5番目はさらに3分の1になります」
上位10%が売上の6割を作るため、その人たちとの関係に投じるという説明です。イベント単体の収支ではなく、顧客生涯価値の分布から判断しています。
ローカルグローススタジオの分析:イベントを1回ごとではなく、続く関係として見ている
上の分析で触れたとおり、ストック型の施策は初期に費用がかかり、効果が出るまでに時間がかかります。だからこそ、単発の収支だけでは判断できない施策になっています。
「超宴」は、まさにこの性質の投資です。イベント当日の収支だけを見れば赤字です。それでも続けるのは、上位10%の顧客が売上の6割を作るという構造を把握しているからです。その人たちとの関係を維持することの価値を、イベント単体の損益とは別の場所で評価しています。
同記事では、ストック型とフロー型のバランスを取るという考え方も書きました。ヤッホーブルーイングは、通販という収益の柱を持ったうえでイベントに投じています。赤字のイベントを続けられるのは、それを支える事業があるからです。関係づくりへの投資が、それを支える収益源とセットで成り立っていた例として読めます。
この事例から考えられること
1. 上位10%の顧客が、売上の6割を作っている
この数字が把握されていることで、誰に時間を使うかの判断ができます。顧客を購入額で並べたときに何が見えるかという、基本的な確認です。
2. 赤字を前提にした施策が、続いている
「赤字でないと実現できない」と言い切れるのは、目的が売上ではないと決めているからです。それを支える収益源があることが前提になっている点も、同時に見ておきたいところです。
3. イベントが、話す場ではなく話される場になっている
社員とファンが話し、ファン同士も話す構成が取られています。一方通行の発表会とは、設計の考え方が違います。
5. ニックネームで呼び合う理由
ヤッホーブルーイングは、社長も社員も全員が自己申告のニックネームで呼び合います。井手氏の「てんちょ」は、社長になるずっと前、楽天市場店の店長を務めていたことに由来します。
この仕組みの目的は、明確に説明されています。
「なぜこのような仕組みを導入しているのかと言うと、年齢、性別、職位に関係なく、言いたいことを言いたい人に言えるようなフラットな組織の雰囲気をつくるためです。ヤッホーブルーイングでは、メンバー同士で侃々諤々と議論をして充分に意見を抽出することで、納得感のある質の高い打ち手を生み出すことができると考えています。すなわち『成果の大きさ=打ち手の質×打ち手の実行』です」
呼び方を変えることが目的ではなく、議論の質を上げることが目的だという整理です。
起点は、社内の意見が割れたこと
この組織づくりを始めた理由も語られています。
「きっかけは、マーケティング戦略に関する社員間の意見のすれ違い。まだ社員が20〜30人ほどだった2008年頃、みんなで戦略を練っていたところ、考える方向性がみんなバラバラで、まとまらなかったんだよね。その原因は、ファンの気持ちが見えていなかったことにあった」
社長就任と同じ年です。業績が上向いた後に、社内がまとまらないという別の問題が出てきた形になります。
制度としても整備されています。新卒と中途が混ざったチームに、現在の会社が実際に抱えている課題を与えて解決させる「新人プロジェクト」を2011年から毎年実施しています。社内のビジネススクール「麓村塾」は現在16講座あり、受講は任意、業務時間外、回数は無制限です。
「自分の時間を投資しているからこそ、『より深く学ぼう!』『もっと自分を成長させたい!』という意欲が高い人が集まっているのではないか?と考えています」
こうした取り組みの結果、GPTW(働きがいのある会社)のベストカンパニーに2017年から10年連続で選出されています(中規模部門の製造業では国内2社目)。社員数は2012年比で10年間に4倍以上に増え、2022年4月には200名を突破しました。
なお、同社は自らを「ティール組織」と称してはいません。皆が働きやすい組織のために進めてきた取り組みが、外部からそう呼ばれるようになった、という説明をしています。
座右の銘は「なんとかなるさ」
井手氏が挙げている座右の銘は「なんとかなるさ」です。その出どころは、8年連続赤字の時期でした。
「入社してから8年間ずっと赤字で、ずっと売り上げは下がっていって、このままで大丈夫なのか不安だらけ。あまり前向きな希望もなく、すごく悩んでいって。いろんなことをやっていって、少しずつ途中でうまく行きだしたんだけど、それが一番大きいきっかけで」
「大変なことが起きたとしても、心配するよりも、諦めずにもがいて乗り越えていくので。なんとかなるさと最初から思っていたら、そんなに悔やまない」
「自分を奮い立たせる意味でも大切にしている言葉です」
楽観ではなく、悩んだ期間を実際に越えた経験から来ている言葉です。そして、この姿勢は現在も使われています。
「結構大きいプロジェクトが今ちょっと暗礁に乗り上げているのがあるんだけど、かなりお金を投資する予定で。うちのスタッフはそれが慌てていて顔色が真っ青なんですけども」
「でもまあ、きっとなんとかなる。まあ、そのためにはあの手この手をやって、いろんな努力をしたり対策は練ったりするんですけども、結果的には多分乗り越えられるんだと思います」
何もしないで大丈夫だと言っているのではなく、手を尽くせば越えられるという意味で使われています。
ローカルグローススタジオの分析:議論が成り立つことを、成果の条件にしている
マネジメントとは、今のリソースでやりくりすること、リソース調達力を上げること。バフ人材とデバフ人材を見極める。で、私たちは、周囲のパフォーマンスを高める人材と下げる人材を分けて考えるという考え方を書きました。特に、心理的安全性がチームの挑戦を左右するとも整理しています。
ニックネーム制は、この心理的安全性を制度で作りにいったものです。「言いたいことを言いたい人に言える」状態を作るために、まず呼び方から変えています。役職名で呼び合う限り、下の立場の人が上の立場の人に反対意見を言うのは難しくなります。
同記事では、リソースは今いる人でやりくりするしかないとも書きました。ヤッホーブルーイングが「成果の大きさ=打ち手の質×打ち手の実行」と定義しているのは、同じ人数でも議論の質が上がれば成果が変わるという理解です。人を増やすのではなく、いる人の意見を全部出すという方向の投資になっています。
この事例から考えられること
1. 議論が成り立たない原因を、呼び方の側に見ている
役職名で呼び合う状態をやめ、ニックネーム制に変えました。呼び方が発言のしやすさに影響するという見立てが、制度の変更につながっています。
2. 研修の題材が、実際の課題になっている
新人プロジェクトの題材は、会社が現在抱えている課題です。架空のケースを使う形とは、関わり方が変わってきそうです。
3. 学ぶ機会が、業務時間外の任意になっている
任意という設計が、結果として意欲のある人を集めています。強制の研修とどちらが身につくかは一概には言えませんが、この会社ではこの形が続いています。
6. ローカルグローススタジオの視点
冒頭に挙げた8つの観点を、本文で確認した事実で説明し直します。
1. 売れないのは商品ではなく、売る場所かもしれない
土産物店では売れなくなっていた「よなよなエール」が、ネットではそこそこ売れていました。商品を変えたのではなく、売る場所を移しています。しかもその販路は7年近く前から存在していました。
2. 100人に1人へ深く刺さることを、意図して選んでいる
「ネコ好きにはたまらないが、ネコ嫌いには拒絶される」というトレードオフを、模倣されにくさの源泉として引き受けています。99人に届かないことを最初から受け入れる選択です。
3. 赤字でも続けると決めたイベントが、関係を作っている
5,000人規模のイベントは大赤字だったと明言しています。それでも続けるのは、上位10%の顧客が売上の6割を作るという構造を把握しているからです。
4. 議論が成り立つ組織にするために、呼び方から変えている
全員がニックネームで呼び合うのは、年齢や職位に関係なく意見を言える状態を作るためです。起点は2008年、社員20〜30人の頃に戦略の議論がまとまらなかったことでした。
5. 撤退の話を先にしたため、続ける決断ができた
「会社を畳んで、湯川で一緒に釣りでもしながらのんびり暮らそう」という一言は、続けることを促す言葉ではありません。それでも、やめた後の姿を具体的に示したことで、もう一度やる判断ができています。撤退の話を避けるほうが、かえって決断を遅らせることがあります。
6. 好調の理由を誤認した経験が、次の判断を作っている
地ビールブームの時期、井手氏は「完全に天狗になっていました」と振り返ります。市場の追い風を自社の実力と誤認した経験があるため、その後の判断で「何が自社の力によるものか」を分けて考えられるようになっています。
7. ブームで増えた市場で、他社の品質が自社の評判を左右している
地ビールブームの崩壊について、井手氏は業界全体の品質の問題を挙げています。「明らかに製造工程上ミスを犯したような味のビール」が出回り、300社近くできた会社のうち100社ほどが撤退しました。自社が正しく作っていても、カテゴリー全体の印象が落ちれば影響を受けます。急に人が増えた市場では、この種の影響が起きうるという読み方ができます。
8. 避けていた手段が、最後に残っている
通販に手を付けた理由は「営業としてできることを全部やって、唯一やったことがなくて残っていたから」でした。しかも本人はインターネットに興味がなく、ずっと避けていたと語っています。得意な手から順に試すのは自然ですが、苦手だから避けている手段が、結果的に一番効くことがあります。
本事例から見える経営とマーケティングの学び
ヤッホーブルーイングの物語は、地方の小さなビールメーカーが「ブームの終焉」「大手との資本力の差」「社内の意見がまとまらない」という3つの宿題を、外から来た営業マンが社長になって解いていった事例として読めます。重要なのは、井手氏が新しい何かを外から持ち込んだのではなく、7年近く放置されていた通販サイトという既にあったものを使い直したことです。
そして、100人に1人という狭さを選び、赤字のイベントを続け、呼び方から組織を変えるという判断は、どれも短期では非効率に見えるものでした。それを20年続けられたのは、上位10%の顧客が売上の6割を作るという構造を数字で把握していたからです。ブランドやリソースが薄い状態から成長を作る経営者にとって、ヤッホーブルーイングの歩みは「誰に届かなくてよいか」を決めるための学びになります。
「ビジネス知の機会格差をなくす」という私たちのミッションに向けて、これからも実践的で価値ある情報を発信していきます。この記事の内容について、さらに詳しく知りたい方は、ぜひご連絡ください。

執筆者 : 佐久間 一己 (さくま かずき)
つなぐスタジオ株式会社 代表取締役社長 / ローカルグローススタジオ Director
リクルート営業マネージャーを経て、福井県小浜市で道の駅・古民家ホテルの集客支援と行政の産業6次化に4年携わり、その後ユーザベースFORCAS(現Speeda)カスタマーサクセスマネージャー、スタートアップ執行役員、フィンテック事業責任者を務め、2025年に地方企業向けのマーケティング代理店を設立。BtoB事業でWEBメディアを立ち上げオーガニック流入を3か月で20倍に伸ばすなど、知名度や予算が限られる時期に効くマーケティングと採用の手法を、地方企業の規模に合わせて伴走します。



